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#16 サービス・ラーニングを経験した一人のICU生が、なんやかんやあって人生の方向性を決めた話(後編)

こんにちは!

前回に引き続き、西川みずきが執筆を担当いたします。
見出しの画像はケニアで撮影した中で、一番きれいに撮れた動物の写真です。
内容とは全く関係ありません。

1.前回の続き

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さて、前回も掲載したこちらの写真。
皆さんは、何か疑問に感じる部分はあったでしょうか。
私が感じ取っていただきたかったのは、一人の先生に対して児童数が多すぎないか?ということでした。
こうした授業の一コマから、問題点を感じ取りコミュニティに問題提起を行うなどして参与していく、というのもサービス・ラーニングの醍醐味です。

2.活動における私のスタンスと感じたこと

前回も述べたように、私は縁あっていくつかの海外ボランティアに参加した経験がありました。本当にありがたいことです。
しかし、どれも期間が短く、こちらが申し訳なくなるほど現地の人々にもてなしていただいた、ということしか残らないような経験でした。
(もちろん活動が無駄だったとは思いません。)
そのため、過去一番長く活動を行う事が決まった時に、私は自身の活動スタンスを決めようと思いました。

私が決めたのは、1か月間、観察者としてコミュニティに参与することでした。

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大学2年生が1人で出来ることには、本当に限りがあります。
というか、何もできないと思った方が正しいとさえ言えます。
(そもそも、そんな短期間に個人の力でどうにかなっていたら、この世の貧困問題はもう少し解決方向に向かっているでしょう。)
そのため、自分が最後まで継続して出来ることは何か、と考えた際に、思い当たったのが「観察者」という立場でした。

3.観察者≠傍観者

ここでいう観察者と、傍観者は違うものです。
私の中では、こういう違いがあると思っています。

傍観者:五感を通じて、さまざまなことを観察・記録する
観察者:五感を通じて、さまざまなことを観察・記録し、得たものを踏ま
    えて自身の疑問や考えを共有する

私は観察者という立場をとって、自分が気になったことを聞きまくりました。その中でも、特に記憶に残った経験を2つ、ご紹介します。

①壊れているのではなく、水源が枯れている水道
私がお世話になった小学校には、立派な水道設備がありました。
ただし、それは久しく使われた形跡がありませんでした。先生方に聞くと、「水道は壊れていないが、水源が枯れていて意味がない」という返答をいただきました。
「水道が建設された際、水源の管理方法に関する援助はあったか?」という質問に対しても「なかった」という返答でした。
この一連の流れで、私が一番気になったのは、壊れても特に直そうとはせず、また撤去しようともしない彼らの姿勢でした。邪魔だと思っているわけでも、本当に必要だから直そうとするわけでもなく、機会があればだれかが直してくれるかもしれない。そんな人任せな空気が漂っていました。

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②「それで、君たちは僕たちに何をくれるの?」
これは、私が直接体験したわけではなく、同じくSLに参加していた学生が現地校の先生から投げかけられた言葉です。
先生方は、彼女を学校の隅々まで紹介したあと、先の言葉を口にしたそうです。その言葉の真意は、「先進国の人々は、この学校に来て問題点を自分たちで見つけて、その解決策として資金や資材を支援してくれる。それが(ある意味)当たり前だから。」というものでした。

これら2つの経験を経て、私の中で、これまでタブーとしていた部分のふたが開いたような感覚を得ました。
支援に対する、被支援者のまなざしというのは、私が考えていた以上に冷ややかで、ドライなものだったことを知り、ここで私は「本当に支援活動って必要な物なのか?」という、更なる深みにはまっていくことになりました。

4.帰国、そして決めたこと

サービスラーニングを終えて元気に帰国した私は、身体とは裏腹に先ほどの疑問が頭から離れず、日々悶々と考えていました。

「本当に支援活動は必要なのか?」
「人々のためになっているのか?」
「それに私は従事しなければならないのか?」

そんなことをグルグルと考え続け、やっと結論が出ました。
そして、その結論を受け入れることは本当に恥ずかしいことでした。

私は、お礼を言われたり感謝されるために支援活動をやりたい、と思っていました。もちろん、途上国に住む人々の生活が少しでも豊かになれば、という思いもありました。ですが、その先にある自分への謝礼(?)と承認欲求を満たすことを求めて、途上国支援に取り組もうとしていました。

そのため、「やってもらって当たり前」という姿勢をもった人々を見て、ショックを受けました。

支援はやりっぱなし、という言葉を頭ではわかっていても、腑には落ちていなかったのでしょう。
しかし、そんな私の傲慢な考えをサービス・ラーニングは「違うよ」と教えてくれました。

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仮に支援を受ける人々が「やってもらって当たり前」と思っていても、お礼を言われなくても、誰にも気づかれなくても。
防ぐことが出来る病で倒れる人がいるのならば、明日食べるものがない人がいるのであれば、学校に行きたいのに行くことが出来ない人がいるのならば、私はしなくてはならない。

そう、考えを変えることが出来ました。
これが、私がサービス・ラーニングで得た最大の学びでした。

そうして、やっとこさ私はメジャーを開発研究に決定しました。

5.今後の話

さて、ここまで長々と過去語りをしましたが、この項目では未来の話をします。

私は4月より、とある金属部品の卸売業の会社で働かせていただきます。
一見、途上国支援とは何のゆかりもなさそうですが、私には大きな野望があります。
それは、アフリカに支社を立ち上げることです。
雇用を生み出す、という側面だけではなく日本で培われた金属加工技術の輸出を通して、その地域の技術発展も狙っています。
もしかしたら、私が生きている間には実現しないかもしれません。もしくは、社会人としてやっていく中で、もっと違った方法を思いつくかもしれません。ですが、目標は大きく、心は熱く、これからも頑張っていきます。

6.最後に ~サービス・ラーニングの良い所~

サービス・ラーニングは本当に面白い活動だと思います。
留学とも違う、単なるボランティアとも違う、衝撃的な経験をするかもしれないし、穏やかに何かを吸収していくかもしれない、そんな1か月間です。

人によって、形を変え、得られるものも学ぶものも全く違う、そして、その違いをきちんと共有する場も用意されている。
ここが、サービス・ラーニングの良さの心髄だと思っています。

そんな経験を、読んでくださっている皆さんにも是非(!!)体験してほしいと思います。

興味がある方は、公式ホームページにアクセスしてみてください。

また、何か質問があるときは、こちらのメールアドレスまでお問い合わせください。

slc@icu.ac.jp

お待ちしております!


2021.3.21
西川みずき

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