「問うお題」と書いて「問題」と読む。個人的考察。
纏まってないけど、
明け方にふと感じたことを書いてみようと思う。
明け方に思うこととか、感じることって、夢と現実の狭間のようなんだけど、なかなか覚醒した時には考えない事だったりするから面白い。
相変わらず、ネガティヴケイパビリティの事なんだが、
昨日はその事を複雑に考えすぎない方がいいな、と、何気に思ったのね。
私は考えはじめるとそれにハマって、ある日突然、醒めるか、気付く傾向にあるんだが、
今朝、ふと思ったのは、
「解決しない問題の中に留まり続ける強さ」に囚われているかもな。
って事だった。
私には解決しない問題がある。
ひとつは自分自身のこと
もうひとつは家族のこと
他にも出せば出てくるものも色々あるが、
そもそも、
問題とは何ぞや?
と、思ったのだった。
私自身が、問題と認識している事は私の中の問題である。
ということは、手に及ばない問題(自分の手ではどうしようもないこと)を問題として感じるから問題として認識して苦しみが生まれるのであり、
それを問題という視点から見ずに、事象として認識した場合は、問題じゃなくなる事もあるのではないか?
という、文字にするとややこしい、こんがらがった糸のように思うが、
その糸は、見た目はこんがらがっていても、クシュっとなっているだけで実はスルスルっと解けることもあるよね。的な発想である。
実際、解決出来ない問題というのは、私の場合、息子の身体が不自由だという事なのだが、
これは、母親である私にとって、自分の身に起きている出来事より痛い事なのだ。
難産で産まれた。
その結果、脳の運動機能の場所に酸素が行き届かず、産まれたときに障害を負ってしまった。
私はその事について考えない日は無い。いつも何処かで考えている。
そして、そういう運命を負っている息子に心から申し訳ないと感じている。(息子はその事について、一切、誰かを責めたりしない。)
子供が幼い頃は、なんとか治療法が無いものかとあらゆる方法を探し、選択していったし、少しでも息子が生きやすいように守り環境を整えて頑張った。まるで肢体不自由という事が悪であるような態度だったと思う。
治れば幸せになる的な。
今思えば、それは大変歪んだ思考だという事が分かる。
身体が不自由であると、計り知れない苦労があるだろう。
しかしそれを私の視点でどうこう決めてはいけないし、決められる事ではない。
身体が動こうが、不自由であろうが、自由であろうが、
心が辛い人も居れば、不便でも満ちている人も居る。
人に思いを寄せるのはいいが、個人的な価値観で決めてはいけない。
先日、息子の小学校時代に知り合った方と再会した。
懐かしくて昔の話しをしていたら、「運動会のとき本部テントで見ていた。お母さん(私のこと)辛そうだったね。」と言われた。
ああ、そうだった。ずっと辛かった。特に運動会はめちゃくちゃ辛かった。皆んなと同じように並んでも1人だけ車椅子。ダンスも出来ない。徒競走も参加するが車椅子で走る。分かっているけど他の子たちがスクスク発達していく中で、我が子だけ歩けない走れない。それを見て、泣くわけにはいかないと思ってた。
「うん。辛かった。」とだけ答えて思い出して少し泣きそうになった。
でもね、
その辛さは、親としての私の思いなの。
本人は運動会を楽しんでいたかもしれない。
先生が一生懸命介助して下さって、友だちもみんな囲むように助けてくれていて、笑っていたじゃないか。
そうかもしれない、そうじゃないかもしれない。
本当のことは本人にしか分からないんだよ。
辛いのは自分だった。
その頃の私は、自分のことは後回し、フルート吹くことも忘れて日々闘うようにして生きてた。世界は敵だと思ってた。(その結果、壊れて倒れてしまうのだが、それが切っ掛けでフラワーエッセンスの世界に来た。)
それから随分時は流れ、
今は昔とは違う価値観と生活をしている。
とても楽だ。
しかし
私は今ももしかしたら無意識に、それを何とかしようと解決したいと何処かで思ってる。と、感じたのも事実で。
でもね、
そもそもそれは「問題」なのか?
という、
新たな疑問?
気づき?
が、今朝、バーンと来た。
わたしひとりが、ずっと、それを、「問題」だと思っていたんじゃないか。?
問題だと思うから、解決思考に入るのではないか?
問題としてでは無く、
事実として目の前にあること、
それと共に居ることはどうだろう。
と。
「問題」は、「問う、お題」。
これは、私の人生の半分である母としての立ち位置を問う「お題」なのである。(あくまでも私の視点から。)
そして、
長い年月、その事実と共にいて、私はめちゃくちゃ鍛えられた。
自分の弱さも強さも知ったし、若い頃全く知らなかった世界に開眼した。
障害という世界、病という世界、生きるという世界、人生という世界、
母親という立ち位置の世界、自らの病気を通して知った世界、
こころと身体の繋がり、それを通した目に見える世界と見えない世界、諸々、諸々。
そして私は優しくなったと思うし、強くもなった。
倒れて回復していく過程で、我慢せずに泣けるようにもなった。
これは、私個人の歴史の1部である。あくまでも私視点。
全てでは無いが、自身の抱えている問題へのアプローチは
それがそもそも問題なのか?
を問うのがひとつの手段なのかもしれない。
出来事は自分にとって何なのか。
(たぶんここで大切なのは、誰かにとってではなく、自分にとってどうなのか?)
答えは無いかもしれんしあるかもしれない。
そもそも、答えが必要な事なのか?
とか。
と、書いて、自らこんがらがっているかもしれないが、
ドツボにハマらないように注意しつつ、
今、もういちど、ドツボ視点ではなく、
俯瞰視点をインストールして、
さりげなく?眺めてみるのも良いかもな。と、思った。
答えは無くてもいいの。
近づけば遠ざかり、遠くなれば近くにある的な、
宇宙の摂理のような?入れ子的な?禅問答は好きである。
ぱっと思い浮かんだ事も、大切にしながら生きていきたい。
そういえば、
昨日受けたオステの治療の後、「旅」というフレーズを聞いた。
・・そうなんや。
私が自分でどうこうしようと、もがくより、
それが「旅」なのであればそれもよし。
「問うお題」は色々あれど、
囚われず、風のように居てみたい、と思った、4月中頃。
花が一斉に咲いてきたよ。
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