「そして、バトンは渡された」の感想
本書の概要
主人公の「森宮優子」は、実の母の死、父の再婚、実の父の海外赴任などにより母親や父親が何回も変わった経験を持つ。高校生の現在は、「森宮さん」という37歳の父親と2人で暮らしている。そんな森宮優子の日常や、新たな人生のステージへ進む中での成長が描かれている。
感想
本書を読んでまず思ったことは、主要な登場人物全員が優しいということだ。こういう家族関係が複雑な家庭な子供を主人公にする場合、主人公は何かしらの葛藤を抱えながら生活しており、その葛藤と向き合っていくことが物語のメインになることが多いのではないかと思われる。しかし、本書は序盤の一文でそういう流れになることを否定する。
そしたら、この本はどういうテーマの話なんだ?そんなことを気にしながら読み進めていくが、読み進めていけばいくほどそんなことはどうでも良くなるくらい幸せな気持ちにさせられる。実の父親ではない森宮さんは不器用ながらも、料理で、言動で、優子への愛を表現する。また、優子もその愛を実感しながら日々生活している。そんな描写が数多く描かれる中で、どんどんこの幸せな世界に引き込まれていくのだ。
数々のエピソードがあって、それらはどれも素敵なのだが、その中で印象に残ったエピソードをひとつ紹介したい。優子は前の父親「泉ヶ原さん」の家でピアノを弾いていたこともあり、高校の合唱祭のピアノの伴奏を担当する。しかし今の森宮さんの家には電子ピアノしかないため、実際のピアノで演奏するとどうしてもミスをしてしまう。そのため「ピアノが欲しい」と森宮さんの前で思わず呟くも、すぐに「失礼なことを言った」と思い訂正する。そんな優子に対し、森宮さんは「どうして欲しいものを口にしただけで、必死に取り繕おうとするの?」と問いかけちょっとした口論になるのだが、その際に優子が感じたことに非常に考えさせられた。
優子は家族が代わる経験を何度もしていることもあり、人付き合いが上手な描写が散見される。森宮さんとの関係も良好だ。しかし、おそらく自分を押し殺すことがあったり自我が少なかったりという特徴がある。そんな特徴が、悪い意味で明るみに出たエピソードであった。そして、正直かなり地味な場面なのだが、その次の日の出来事は、かなり重要なのではないかと個人的には思う。
森宮さんとギクシャクしている中でも、合唱祭の練習は続く。その日は天才的にピアノの上手い早瀬くんと一緒に練習する日であったが、精神的な乱れはピアノに現れており、それを早瀬くんに気づかれる。そのきっかけで早瀬くんと親子関係の違いについて話したり、早瀬くんにピアノについて褒められる。その後、森宮さんと和解したこともあり演奏の乱れは無くなるのだが、その時に、「最近の森宮さんのピアノはいい」とクラスメイトに褒められ、先ほどの引用部分の悩みが少し晴れたことが描写されている。
私は「ブルーピリオド」という漫画が大好きなのだが、それに近しいものをこのエピソードから感じた。ブルーピリオドの主人公もやりたいことがなく容量良く生きることを大事にしていた。でも、誰にも言っていなかった自分の好きな景色を絵に描き友達に見てもらい、自分が伝えたかったことに気づいてもらった経験を通し、「初めて人と会話できた気がした」と涙ぐむ。
この描写も、無自覚に自我を押し殺している優子の心境に、ピアノの演奏を通して早瀬くんやクラスメイトは気づく。そんな些細な「会話」を通して優子は演奏に前向きになっていく。このように、本書では森宮さんを含めた親やクラスメイトなどの学校の登場人物に支えられながら、優子が成長をしていく様がたくさん描かれている。
本書を読んでの一番の感想は、「こんなに心温まるハートフルな小説を読んだのは初めて」である。家族愛、人とのつながり。それが人生の全てなんだ。立場がどうであれ、人を大切に思い、人のために行動できること。それが人を幸せにするんだと感じた。本当はもっといろんな場面を紹介したかったのだが、そうするとこの10倍くらいの分量になってしまうので、今回はこの辺でおしまい。
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