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貢献したい気持ちと、無力感のはざまで。

ゆうべ、夫は帰ってくるなり、こう言った。

「俺の仕事って、無くてもいいような仕事なのかな。」

いつもポジティブな夫が、そんなことを言うのは珍しかったので、何かあったのかと思い、「どうして?何かあったの?」と聞いてみた。

2度目の緊急事態宣言が出されることになり、夫の勤める職場も時短要請に応じることになった。前回は、2ヶ月の休業を余儀なくされた。

料理人である彼は、仕事の一番のやりがいは、料理を食べた人の喜ぶ顔を見ることだ、と言っていた。でも、今はそれが叶いづらい世の中になってしまった。積極的に、「食べにきてください。」とは言い難い世の中になってしまった。


夫が、そのこと以上に考えていたのは、料理では世の中が救えないことだ。

医療従事者の方々は、必死に現場で命を救っている。医療研究者の方々は、命を救う薬や方法を必死に探っている。

そのことを思うと、本当に頭が下がる。自分にも何かできることはないか、少しでも役に立てることはないか、と考える。

けれども、夫のような職業に要請されることは、極端に言ってしまえば、「仕事をしないで。」ということだ。

わかってはいても、心が折れそうになる。無力感に苛まれる。

昨年、たくさんの飲食店が閉店していった。中には、まだまだ頑張れば続けていけるお店も含まれていた。

私が子供の頃連れて行ってもらった、老舗の洋食店も閉店した。そのオーナーシェフのインタビュー記事を読んだけれど、心が折れてしまった、とおっしゃっていた。

痛いほど、気持ちがわかる。自分たちがやりたいことは世の中のためにはならないのだ。今は。

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朝日デジタルの米津玄師さんの記事を読んだ。

「自分は、『あってもなくてもいいもの』を作っている、という自覚は以前からありました。(生活に必要不可欠な)1次産業に比べて。音楽は、人の心に作用して、時に誰かの明日を生きる糧になるものではある。けれども、新型コロナウイルスを前にライブをすることすら出来なくなってしまうというのは、脆弱(ぜいじゃく)な存在だと、改めて強く感じました。それに、罪悪感のようなものも感じていました」

職業は違っても、とても共感した。

飲食店や観光業の人たちは、皆おそらく同じような思いを抱いているのじゃないかなと思う。

生業を続けたい気持ちも当然大きいけれど、世の中の役に立ちたい気持ちだってきっとあるはずだ。だから、いろいろな思いをのみ込んで、堪えて、時短要請にも応じる。休業しろと言われれば応じる。

そういう形でしか、この緊急時には貢献できないのだ。

いつか、この事態が終息したときに、どうかその人たちの心が折れずに残っていてくれたらいいなと願う。


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