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それがあったから生きてこられた。

ずっと忘れられない景色がある。

10年前の秋のこと。夜の11時頃、フラフラになりながら辿り着いた本栖湖で見た、月夜に光る逆さ富士。

この世のものとは思えないほどに美しかった。

***


わたしは一人、街灯もない真っ暗な山道を自転車でひたすら登り続け、体も心も疲れ果てていた。

なんでこんなことを始めてしまったのかと後悔していた。

あとどれだけ走ればいいのだろう。距離計で残りの距離を確認して絶望的な気持ちになった。もう無理だ。これ以上は走れない。走りたくない。

半分泣きそうになりながらトンネルの中に入って少し進むと、トンネルの先がぼんやりと光っているのが見えた。

あれはなんだろう。


そう思い始めたら早く確かめたくて、ペダルを漕ぐ足が少しだけ軽くなった。

トンネルを抜けると、そこには大きな大きな真っ黒い影があった。あまりに唐突に現れた大きな影は、最初はそれと分からないほどに大きく、そこだけ空の色が濃くなっているのかと思った。

・・・富士山だ!

疲れすぎていて、トンネルを抜けた先に湖と富士山があることをすっかり忘れていた。

富士山のやや左上に、金色に鈍く輝く満月が出ていた。満月の月明かりの下で富士山の影はいよいよ黒く、ずしりとした佇まいが神々しかった。

光がもう一つあることに気づいて湖面に目をやると、満月に照らされた富士が逆さまに、水の表面を境にして世を分けているかのように、そこにあった。

あまりに美しい景色に、ひとりでこれを見ていることに、涙が出てきた。諦めないでよかった、と思った。

***


短い間に悲しいことが重なり、生きていること自体が辛くなってしまった時期があった。

いま考えてみても、どうやって毎日を過ごしていたのか思い出せない。

断片的に覚えているのは、朝目が覚めるのがとてつもなく怖くて、呼吸をするのも辛いと感じたこと。駅の中で、日々の買い物で訪れた店の中で、気晴らしのはずの散歩の途中で、私はしばしば頭の中が空白になるような感覚を覚えて、体が動かなくなった。そういう時はいつも、どこへ行こうとしていたのか、どこへ行けばいいのか、分からなくなってしまうのだった。

そんな頃、いろいろな偶然が重なって自転車に出会った。ロードバイクという乗り物は、頑張れば人力だけでかなりなスピードで走ることができるので、思わぬ遠い場所まで行ける。

そして走っている間は、一人の世界に入り込むことができる。

ロードバイクを初めて手に入れてから、毎日のように地図を眺め、行ってみたい場所を探してはルートを引いて、どこへでも一人で走りに行った。

続けているうちに沢山の仲間と出会って一緒に走る機会も増えたけれど、何よりも好きだったのは、一人で山を登っている時間だった。

山を登るのは、足で登るのと同じように自転車でもとてもキツい。しかしそれが逆に、私にとっては好都合だったのだ。

家でじっとしていると、鬱々として悲しい記憶ばかり拾ってしまう。でも自転車で山を登っている間は、全部を忘れることができた。前に進もうとするだけできつくて苦しくて、自転車を漕ぐこと、それしか考えられなくなる。自転車の上でだけは解放された気分だった。

あの頃の私は、あらかじめ指定されたルートを200km、300kmと走るサイクリングイベントが好きで、よく参加していた。

逆さ富士を見たこの日は、初めて300kmに挑んだ時だった。仲間を誘わずに一人で挑戦したのも初めてだった。夜通し走らなくてはならないため、夜の山道は心細いかと思ったが、やってみれば不思議な高揚感が体験できた。

真っ暗な中、灯りは自転車に取り付けた二つのライトだけ。チェーンが回るシャラシャラという音と、自分の荒い息遣いだけがはっきりと聞こえる。

時折り、風で葉の擦れる音や、鳥や動物らしき鳴き声が聞こえてくる。

疲れ果てて何も考えられず、ひと足ひと足ペダルを回すことだけに集中していた。悩んでいる余裕なんかなかった。行き詰まっていた物事などどうでも良くなり、ただただ自分は生きているのだな、と実感した。

自転車に出会わなかったら、今頃こんな風に暮らしてはいなかったかもしれない。

その原点があの景色で、だからずっと忘れられないんだろうと思う。




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