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"自分色に染め切る"

昨日ブログで、自分が思うように毎回の休日を
過ごすことが出来ない事に関して自分なりに
その原因を考えてみた。
という事で今日はその後半、
昨日挙げたそれらの原因を踏まえ
今日は自分なりに具体的な解決策を述べていきたいと思う。

昨日ブログで挙げた"原因"としては、
休日には普段のような客観性を気にする必要がなく、それに伴って強制力も芽生えて来ないという事。
そしてもう一つ、そもそもまだ自分の中で
反射的に避けてしまいがちな「ダラダラ」と
リラックス感満載の「のんびり」の違いが
全く持って明確になっていない事。
そう、今まで自分は、
自分の中で定義すら曖昧なのにも関わらず
何もそれについて考えようとはせずに
「ダラダラ過ごす事」をひたすら毛嫌いしてしまっていたのだ。

普段のルーティンや習慣などに対しては
自分の価値観を思う存分反映させてそれを自分に最適化したがる性格であり、
言ってしまえばそれなりにこだわりは強い方だ。

しかし
普段と休日を別々に分けて考えてみると今回、
休日に対して自分は前提としてのこだわりが全く無いという事に気が付いた。
それはこれまで休日を何気なく過ごしてしまっていたのも無理は無い。

そうなってくると
中途半端にこだわりを持ちつつも
「ダラダラ」を端から毛嫌いする僕は
これまでなんだかんだ
休日に"思い切って"休んだ事も無かった。

休日をダラダラ過ごさないようにする為の
解決策を考える以前に、どうやら自分はまず
毎回の休日をどのように過ごしていきたいのかという事を考えないといけなかったようだ。

それを踏まえ今回出した転用策は、
まずは自分の意思や価値観を前提にして
"思いっ切り"休む休日を過ごしてみるという事。
そして、休日の過ごし方の"素人"として
一から休日を自分色に染め上げる努力をしていくという事。

そのような転用策を自分の考え方の前提とすると
休日の他にも
大したこだわりを持っているわけでもなく
自分にとって不本意に感じるものというのは
まだまだ身の回りに細かく沢山存在しているという現実にも気付く。

例えば
スマホのホーム画面のアプリの散らばり具合。
これまでは大してこだわりも持たずに
画面いっぱいにアプリをただ散らしていただけだった。
その結果"何気に"スマホを触るという事が
自分にとって当たり前となってしまっていたのだ。
そこにきちんと自分のアイデンティティを丁寧に反映させていれば、もしかしたら日常的にもある程度自分の気も多少締まっていくのではないだろうか。

これはほんの些細な例だが、少なくとも
自分色に染め切れていない物事が自分の身の回りに山ほど在るという事は変わりない。

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