見出し画像

"何気ないきっかけ"とはこのこと

夜の時間の使い方を変えたくて
昨日はブログの執筆を通常の活動前に行った。

案の定、ブログ執筆を終えた16時から
カフェに移動してその日の英語学習を始めた。
いつもよりも少し遅い時間帯からの学習開始となったが、それからカフェ閉店時刻までは安心してTOEIC対策に打ち込むことが出来た。

普段と違う1日の感覚だった。
いつもはカフェ閉店と共に
その日1日の振り返りを始めようとする僕の頭。
「帰宅後も英語に向き合わなくては...」という気持ちと葛藤していてもやがては日本語の波が押し寄せて来る。
ブログを書き終えるとすでに日が変わっている。
その作業によって1日の達成感を味わった後は
気がつけば交感神経も入れ替わっている。
リラックスしたい気持ちを抑えて参考書に向き合っても日中の学習みたいに上手くいくことはない。

その現状に対する"罪悪感"と翌日の自分に対する"希望"、娯楽に対する"憧れ"が頭の中で入り混じる。
そして終いにはその興奮状態のまま
スマホをいじりながら完全に眠りが来るのを待つ。
画面の左上をチラ見してみると"4時"という文字が。

これまではずっとこんなかんじの生活だった。
毎回時間の使い方を改めようとして毎回結局何も変わらなかった。

しかし昨日は日中の間に
ブログ執筆を済ませておいたことで
夜中に"背負う"べきものが何も無かった。
気がつくと夕食を食べて『進撃の巨人』を見ながら
リラックスしていた。
普段よりも心が吹っ切れていて自分が潔く感じられた。
そしてすぐ自然な眠気に襲われ、
いつものように興奮を拗らせることもなく
比較的早い時間帯に眠りにつくことが出来た。

今回、ブログの執筆時間を夜から日中に変えたことで生まれた変化。
元々英語学習の為に起こしたつもりだったが
寝る直前の"娯楽欲"と上手くやっていく為の方法としての可能性が垣間見えた。

もしかするとこれは
時間の使い方を改めるチャンスなのかもしれない。

とある"きっかけ"が別の考えを創る。
自分が予感していたものとまるで違っていたが
それによってまた新たな可能性が導かれた。

"何気ないきっかけ"というのは時々予期せぬ結果を生むもの。
しかしその"きっかけ"は以前自分が求めていたものと
実は繋がっていたりする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?