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2歳👦と0歳👶の2児の母◎ 育休中の保育士。 田舎暮らし。

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最近の記事

出産、その後

やっと大仕事を終えて、安心しているとあっという間に次々とまた痛いことが起こる。 胎盤を出すのにお腹を押す、会陰を縫う、尿道にカテーテルを入れられる、等など… 勿論、陣痛に比べたら大した痛みではないのだが、痛いものは痛い。 2人目以降は後陣痛が凄いと聞いていたが、意外にも少し痛いくらいでそんなに痛みを感じることはなかったので安心した。 一通り痛いことを終えて、ここでやっと旦那に出産報告の電話をする。 電話で声を聞いた瞬間涙が出る。 1人での出産は心細かった。それに無事に出産出

    • 出産

      やっと子宮口が全開になり、こちらの準備は整っていたが、全く破水する気配がなく破水待ちだった。 何度も 「お願い、破水して〜無理!!」 と叫んだが、痛くないときがないくらいの間隔で陣痛が襲ってくるばかりだった。 こういう時って人工的に破水してもらえるものだと思っていたが、自然に破水するまで待つものなんだなとしんどいながら思っていた。 この時にはもういつ痛くていつ痛くないのかも分からなかった。 あの陣痛が来るのが分かる感覚はとても怖い。 お腹が張りそうになり、くる、くる、きたあぁ

      • 陣痛

        呑気なことを考えていた私だが、さすがに張りと共に痛みがついてくると あれ?これは、まさか。 と思わずには居られなかった。 最初は あー、何か痛いかもなー くらいだったのが深夜になると確実に痛いと分かるくらいの痛みに変わっていた。 そのくらいから張りも5分間隔の痛みに変わり、さすがの私も少しずつ出産に対して心の準備をしだした。 その間もとりあえず張り止めの点滴はさしたままで、朝になってお医者さんに内診してもらうまではつけたままだと言われた。 明け方になるともう寝ていられないくら

        • 切迫早産3

          切迫早産で入院していたこの時も何故かまだ実感がなく、自分は大丈夫だろうとばかり思っていた。 結局早産になることはなく、退院して正産期まで普通に過ごせると信じて疑わなかったのだ。 だからいつ退院出来るのだがろうかということばかり考えていた。 腹部の痛みはなくなっていたが、相変わらずよく張っていたし出血も落ち着いたと思ったらぶり返したりしていた。 それでも早く点滴の流量を減らして退院の目処が経たないかな〜と呑気に考えていた。 早く退院したかった私はお医者さんと話し、少しずつ張りが

        出産、その後

          切迫早産2

          切迫早産と診断され、あれよあれよという間に入院が決定し、己の考えの甘さと馬鹿さを恨んだ。 何故、私は大丈夫と思い込んでいたのか。 お腹の中で元気に動いてくれている赤ちゃんに対し、何度もごめんね。と謝る。 入院が決定し、張り止めの点滴を入れて貰うとさっきまでが嘘のようにお腹の張りと痛みがなくなった。 本当に薬というのは凄い。 そこから私の点滴生活が始まった。 私はどうやら血管が細いらしく、点滴の差し替えのとき5回目にしてようやく差し替えが成功したりなどもあった。 元々注射が苦

          切迫早産2

          切迫早産

          私の職業は保育士だ。 3月に妊娠が分かったが、産休までの間クラス担任を受け持った。 まず4月始めから悪阻により、1ヶ月程休職させてもらった。 新学期早々担任が1ヶ月も休んだので、本当に迷惑がかかったと思う。 でも、本当に歩くこともままならず仕方のないことだった。 無理して出て倒れでもしたらそのほうが迷惑がかかるであろう。 頭では今は仕方ないと分かっているのだが、毎日毎日迷惑をかけているということが頭の中をグルグルと駆け巡り、周りからどう思われているだろうかと気にしていた。 

          切迫早産

          悪阻

          私は最近2回目の出産を経験した。 妊娠・出産はその子どもによって全く違うのだと実感したのである。 1人目のときも悪阻はあったが、今回はもっと酷かった。 私は体質的に悪阻が重い方なのだと思う。 その為、1人目の時も仕事を制限する必要があり、あまり覚えてはいないのだがしばらく休んでずっと布団の上で日々が過ぎるのを待っていた。 だが、私は吐くことに恐怖心を持っている嘔吐恐怖症、というと少し大袈裟だが、とにかく吐くことが出来ないしとても恐怖を感じる。 吐きそうにはなるのだが、どうに