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切迫早産

私の職業は保育士だ。
3月に妊娠が分かったが、産休までの間クラス担任を受け持った。

まず4月始めから悪阻により、1ヶ月程休職させてもらった。
新学期早々担任が1ヶ月も休んだので、本当に迷惑がかかったと思う。
でも、本当に歩くこともままならず仕方のないことだった。
無理して出て倒れでもしたらそのほうが迷惑がかかるであろう。
頭では今は仕方ないと分かっているのだが、毎日毎日迷惑をかけているということが頭の中をグルグルと駆け巡り、周りからどう思われているだろうかと気にしていた。 

5月からは何とか仕事に復帰し、有り難いことに周りに気を遣ってもらいながら仕事を続けていた。
保育士というのは、やっぱり体力のいる仕事なのだと常々思う。
子どもたちは私が妊娠していることなどいまいち分からないので、かけっこをしよう、鬼ごっこをしよう、一緒にジャンプをしよう、と誘ってくるのだが、それを断るのがとても心苦しかった。
女の人ばかりの職場なので、勿論力仕事なども多く行事のときには準備や片付けなどでバタバタとする。
職場の中で若手の私は、みんながバタバタしている中、物を運んだりも出来ずみんなに気を遣わせてばかりでとてもしんどかった。
頭では仕方ないことと分かっているが、人一倍人の目を気にする私には耐えられず出来ることを見付けては動いていた。
1人目の時は違う職場だったが、同じ保育士だったし特に問題なく正産期で産まれてくれたので多少の無理は大丈夫だろうと思い込んでいた。
みんなに迷惑をかけるのが辛かったのだ。

そんなことを思っていたので、プライベートでもこのくらいなら大丈夫だろうと8ヶ月のときには旅行にも行ったし、よく歩いたりもしていた。
少しずつ少しずつ蓄積していった無理が祟り、8ヶ月終わり頃出血があった。
それは行事の前日のことで、出来れば行事を休みたくなかった。
それまでかなり練習してきており、私がしなければならない役目も沢山あった。
またここでも迷惑をかけたくないという思いがでてしまい、一応病院を受診したあと大丈夫そうだったので休み休みだが、行事に参加してしまったのだ。

今考えると、この時もし大事を取って行事に参加していなければ何か変わっていたのだろうかと思う。
行事中も終わってからもお腹の張りが頻繁にあり、出血も少し増えていた。
帰ってすぐに横になり、安静にしていたのだが夕方には10分間隔で張るようになっていた。
これは、まずいのでは…と思っていたが、家から病院までかなり距離があったので、この期に及んでまだ病院に行くか行かないか迷っていたのだ。
本当に考えが甘い。
結局夜になるとその張りと共に痛みもついてきており、陣痛のような感じだったので最後の最後まで迷いながら病院へ行くことにした。

病院へ行くとすぐにNST(張りを調べるモニター)を1時間かからない程とり、内診を行った。
結果、出血もしているし一定の間隔で張っているので陣痛ではないと言い切れないとのこと。
そこは個人病院だったので、すぐに総合病院へ救急車で運ばれ有無を言わさず入院が決定した。


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