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マインドフルネスと猫のいる生活 8

ミヤンマーでは軍が子どもを撃ったりして、とんでもないことになってますね。アメリカではアジアンヘイトが益々過激さを増しているし。無抵抗なお年寄りを突き飛ばしたり、殴ったり蹴ったり、まったく信じられないです。(; ・`д・´)

こういうことばかり起きると、やはり世の中、差別と分断が蔓延してるのかと思ってしまいます。

ということで、今回は人はなぜ差別をするのか、大脳旧皮質と新皮質の観点から考えてみました。

まずは旧皮質、つまり本能ですけど、

あなたが夜道を一人で歩いているとします。と、正面から、日に焼けた筋骨隆々で強面の男が、速足で歩いてきました。よく見ると、逞しい腕に何やらタトゥらしきものもしています。

男の歩みが速まり、しまいには駆け足であなたに近づいてきました。あなたは反射的に悲鳴を上げ、近くの民家に逃げ込むなり「けっ、警察を呼んでください!」と叫びました。

警察が駆け付け、男に事情聴取をしましたが、①男は終電に乗り遅れないため、急いでいたこと。②筋トレと日サロが趣味のソーシャル・ワーカーで、日ごろは炊き出しの手伝いなどをしていること。③タトゥはファッションとして入れただけで、その筋の人間とはまったく関係ないこと。等々が判明しました。

つまり人は、外見や雰囲気で判断してはいけないのですね。これは差別です。

とはいえ、もし男が外見通りに怖い人だったら、あなたは襲われていたかもしれません。だから本能が「取りあえず逃げとけ!」と警告を発したのです。そんなあなたの行動を一概に責めることは、できないのではないでしょうか。

ライオンの子どもが近づいてきたら、鹿は逃げます。たとえライオンが単に鹿と遊びたかっただけだとしても、鹿は逃げるのです。食い殺されないという保証はどこにもないですからね。

次に新皮質、つまり理性ですと、

人類はアリストテレス以降、分類と整理が大得意になりました。分類・整理ができなければ、物事すべてがぐちゃぐちゃで、なんだかわからなくなります。学問の進歩のためにも、分類・整理は不可欠です。

政治思想でいえば、共産主義、民主主義、絶対主義などが分類ですね。地理では、熱帯地方、温帯地方、寒冷地法など。先端科学技術なら、ナノテク、AI、ロボティクスといったところでしょうか。

分類・整理したあとは、分かり易いようにレッテルを貼ります。共産主義=もう古い、失敗、とか。AI=シンギュラリティ、人類の仕事が奪われる! とか。

分類・整理の仕方には、帰納法と演繹法といったようなものがあります。

例えば、あなたがAさんにお金を貸したとします。でもお金は戻って来なかった。つぎにBさんにお金を貸した。これも戻ってこなかった。さらにCさんにも貸しましたが、持ち逃げされちゃったとします。

ここであなたは、ABCの共通点を考える。そして

「あいつら三人とも〇〇出身だったな」

ということに気づくわけです。で、

「○○出身者には注意しろ」

というレッテルを貼る。これ以上お金を巻き上げられては、たまったものではないですから。これは帰納法的考え方です。でもまあ、差別っていえば、差別ですよね……( 一一) ○○出身者の中には、きちんとお金を返す人もいるはずですから。

以上のように、本能的にも合理的にも、分断・差別というものとは百パーセント縁が切れないようにできているのが、人類なのではないでしょうか。

とはいえ、これらの差別思考を、心から完全に取り払うことは不可能だとしても、自制することはできるはずです。

マインドフルな生活を送っていると、それが可能です。

お経を読んだり、座禅を組んだりしているお坊さんは、皆穏やかな表情をしているでしょう。

ってここまで書いたら、78歳の住職が女性をボンネットに載せたまま、一キロ爆走し、殺害しようとしたとして、逮捕されたというニュースが飛び込んできました。

いったい世の中、どうなっちゃったんだよ……(>_<)


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