マインドフルネスと猫のいる生活 21

ところで瞑想には二段階があるそうです。

第一段階は、雑念をひたすら俯瞰している、実践瞑想。これは、まだ深い変性意識に入り込む前の状態ですね。そして、第二段階が雑念が取り払われ、深い変性意識状態にいる境地瞑想。

境地瞑想に入ってからも、雑念は起きますから、げに人間というのは下らん考えから逃れられん生き物なんやなー、と思います。

瞑想のやり方もたくさんあるようです。最初にやってた、ひたすらマントラを唱える「サマタ瞑想」をそろそろ卒業したいと思っていたわたしは、程なく、レッテル貼り瞑想、といわれる「ヴィパッサナー瞑想」に切り替えました。マインドフルネス瞑想というのは、ヴィパッサナー瞑想のことを言うようですね。

レッテル貼り瞑想っていうのは、ひたすら自分の感覚や思考を客観的に観察する瞑想のこと。最初は呼吸を観察し、レッテルを貼ることから始めます。「吸っている。吐いている。吸っている。吐いている……」ってな具合ですね。

そのうち雑念が生まれますが「昼飯はカレーライスにしたいと考えている。カレーライスを食べたがっている」とレッテルを貼ってしまえば、そのうち、カレーライスを食べたいという思いは、どこかに消えてしまいます。

便意を催しても「うんこをしたがっている。うんこをしたがっている……」とレッテルを貼り続けると、いつしか便意が無くなってくるから不思議です。

これは何も座禅を組む瞑想に限らず、動きながらでもできるようです。お坊さんなど、歩く時も掃除をしている時も、瞑想をしているといいます。歩きながら「右足を上げている。左足の足裏はまだ床についている」「右足が床についている。左足が床から離れている……」とレッテル貼りをしているのですね。

これは一言でいえば「己」からズームアウトする行為です。

どういうことでしょうか?

オウム信者の脱洗脳で有名になった、認知科学者のべっち―博士(苫米地博士)は、変性意識状態になるためには、抽象度を上げよ、といいます。

自分という具体的な存在から、男、人間、霊長類、動物、生物、有機体、自然、地球……といった具合に抽象度を上げて行けば、仕舞には「宇宙」に辿り着きます。宇宙という単語を、神、神羅万象、涅槃などに置き換えてもかまいません。これがズームアウトです。

自己という小さな殻に閉じこもって己を見るのではなく、宇宙視点、創造主視点から己を観る。「こいつ、今息吸ってるな」「今、うんこしたがってるな」「今、左足を上げてるな」とレッテル貼りする行為は、正に宇宙視点から己を観ている行為に他なりません。

こういう風に考えると「一元論」という思想が、非常に納得のいくものとなります。西洋では「神」と「人間」がいるという二元論が主流ですが(スピノザやヘーゲルのように一元論を唱えた哲学者もいます)東洋哲学では、「神」「仏」「宇宙」などは己の内にある(一体である)という、一元論が基本です。一元論は、物理学の量子論にも整合する考え方ですね。人間も宇宙も、同じ素粒子でできていると量子論は説きます。

己からのズームアウトが完璧にできるようになると、修行僧のように、燃え盛る炭火の上を,裸足で歩くことも可能になるというから、驚きですよね。

さて、いつもの悪いくせで、クソ長く解説文を書いてしまいましたが、前回20で記した通り、瞑想を続けているうちに、ちょっとヤバ目なことが起こりました。

ヴィパッサナー瞑想に切り替えてから、三日目ぐらい、瞑想を始めてからトータルで一週間ぐらい経ってからでしょうか、瞑想に入ると、僅か数秒で身体が痙攣するようになったのです!

これは前述した、境地瞑想の状態にすぐに入ってしまったからだと思います。痙攣した時の精神状態はどうなのかといえば、一言でいって「気持ちい~っ!(by 北島康介)」です。経験したことはないですが、ランナーズハイに似てると思います。

さすがに、ちょっとヤバいんでねーの、と思い、色々調べてみたのですが、瞑想を始めて高々一週間で痙攣が起きるなんて事例、ありませんでした。そればかりか、瞑想の危険な点を色々発見してしまいました! 

で、知り合いの住職にSOSを発信しました。

続きは次回で。



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