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小説『生物失格』 3章、封切る身。(Episode 4)

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Episode 4:サーカスデート。ショー、炎、番号札。

 会場が暗い。尚更警戒せねばならない。今なら首を掻くも背中も刺すも好き放題なのだ。況して自分は痛覚が存在しない。気付かれずに死、なんてのも有り得る。常に気を張っておかねば――。

「楽しみだね、えーた」

 ぎゅっ、と腕に抱き着いてくるカナ。
 ……っ、ああ。
 そうだ、そうなんだよ。今、可愛い彼女とデート中なんだ。悲しいことに苛立たしいことに、何が楽しくて殺されるかどうか心配しなくちゃならないんだ。
 そんな小言を漏らせば、入院中に折角警告をくれた夢果に合わせる顔がなくなるのだけれど――いや、もう既に合わせる顔がないか。自分がサーカスショーに訪れた時点で殺されようとも生き延びようとも。
 ならば、顔を可能な限り長い時間合わせられる様、怪我をする訳にはいかない。最悪殺されなければ良い。殺されたらそもそも顔を合わせることが不可能となるからな。
 しかし、デートは楽しみたい。
 ……やることが多すぎだ。中学生の自分にはキャパシティ不足も甚だしい。ガキの自分を呪う。呪いを持つ自分が。……笑えない冗談だった。
「さあ、皆さん☆ 手拍子をお願いします!」
 ピエロが先陣を切って手を叩く。カナも含め観客がほぼ同時に全員リズムに乗り、一瞬遅れて自分も続く。
 するとステージ全体に明かりがつき、ピエロの周りを玉乗りする大人の男女がぞろぞろごろごろと入場。曲は最早お馴染み『剣闘士の入場』だ。円形闘技場に入ってくる剣闘士グラディエーターをイメージした楽曲だったか。
 何故こんな変な知識がついているのか。多分昔病院にいた時――この前の入院とは違う、さらに前の時だ――にでも触れたことがあるのだろう。
 しかし、剣闘士の入場、か。
 ある意味この場じゃ皮肉な選曲だ。今ここにいる奴らは全員、剣闘士よろしく人を殺すかもしれないのだから。
 1~2周程ぐるりと周った後、全員一緒にその場に止まり、宙返りジャンプ。タイミングピタリと着地をした。一際大きな拍手と歓声が上がる。
 ……確かにこの動きのシンクロ率と技術の高さは目を瞠る。正しく『敵ながら天晴』だ。実際、会場の熱気が上がっている。
 玉乗りしていた集団は止まらない。玉が片付けられながら、中央のピエロを避けるようにアクロバティックな動きを次々繰り出す。曲も更なる盛り上がりを見せていく。側転、宙返り、回転しながら飛ぶ(この飛び方の名称が分からない)。それぞれの肌に触れ合いそうな至近距離で飛び回り、一歩間違えれば大怪我間違いなしだ。だが、恐怖も危惧もなく淡々と伸びやかに演目を続けていき、剣闘士の入場もフィナーレに近づいていく。
「盛り上がって参りましたネ☆ それでは、早速最初の演目に移りましょう!」
 曲と司会と演目が全部同時にピタリと止んだ。爆発するように拍手が沸き起こる。それをバックに舞台上の全員が捌け、誰もいなくなる。

 曲が入れ替わった。大太鼓の音だ。鼓膜だけではなく腹の底まで震える。

 厳粛な雰囲気の中、スレンダーな男が現れた。手には細長いマラカスの様なものが4本。次の演目はジャグリングらしい。出てくるや否や早速4本のジャグリングをし始める。
 この辺りまでは、サーカス基準では普通だ。商業においては何事もそうだが、基準を超えるモノ――即ち付加価値がないと客は満足を得られない。その付加価値をチケット代として前払いしているのだから、不満を抱くよりも怒りが先に立つだろうか。
 だから、皆は期待する――人間の限界に近づく演目を。「さて、何が来るんだ」と一様に。
 隣のカナも、期待からか手に力が込められる。
 まさにその瞬間、舞台裏から男が2人。手にはそれぞれジャグリング棒が3本ずつ。各々が三竦みの如く向かい合う。
 直ぐにジャグリングを開始。個別に行うだけでは新規性はない訳だが。数秒後、示し合わせたかの様に――3人全員、ジャグリング棒を斜め前方へ放り投げる!
「わっ」
 カナが声を上げる。驚くのも当然だ。あれでは投げた本人はキャッチすることができない。掴まなくてはならないのは、ジャグリング手だ。
 ジャグリング棒は空中でくるくる回転し、投げた高さが違うからかぶつかることなく空中で交差。
 そして――再び手元に収まる。
 瞬間、大歓声が上がった。それでもジャグリングの勢いは止まらず、次々と手持ちを斜め前に投げて交換していく。
 どれだけの鍛錬を積めば到達できるのが分からぬ絶技だ。いくら生物失格でもこれには心動かされた。
 自己犠牲や、カナを除く他者犠牲の点では生物として落第点でも、人間の感情としては及第点なのだ。そう、自分は総合得点上『生物失格』のスタンプを押されているに過ぎない。
 隣のカナも目をキラキラと輝かせている。
「すっごい、すっごいね! えーた!」
 最早凄すぎて語彙力を失っている風だ。そうなっても仕方ないだろう、これは。
 こんな笑顔になれるのなら、やはり連れて来て良かった――自分はそう思った。

 ……その後も、立て続けに演目が続く。
 上がり切った熱気を維持する様に、空中ブランコや綱渡りと言った空中曲芸(一度本当に落ちそうになったが、縁起でもないそれら含めて演技らしく、アクロバティックな動きで再び元に戻るなどした)や、自転車やオートバイから一度も降りることなくウィリーのまま回る地上曲芸など。息をつかせて落ち着かせない、とばかりの連撃だ。
 とは言え、気分の上昇も続き過ぎると疲れてしまう。主催側はそれをきちんと分かっているのか、少しばかりの休憩が挟まれる。
「すっっごいね! えーた!」
「ああ」
 興奮して顔を上気させるカナのことも、頭を撫でて落ち着かせる。
 ここまで興奮するのも分かる。自分も今、始末に負えない程高揚している。
 他者のことにほとんど感慨を覚えなかったこの自分が。
 どうも、あのピエロ――京戸希望に会ってから可笑しい。ヤツのことを可愛いと思ったことから。
 ラブコメならば、「これが……恋?」と自分の感情に名前を付ける訳だが、故意にもその語彙を貼り付ける訳にはいかない。
 自分が今好きなのは、横でドリンクを味わっている可愛らしい彼女だけなのだ。始点スタートラインに立ってからこれまでの道程、横道に外れたことも無い程に。
「次はどんな演目かな! 後何が残ってたっけ?」
「えーと……」
 ……そう言えばパンフレットを貰っていた。演目順ネタバレは無くとも大体の演目種類あらすじ位は書かれている筈、とページを捲った瞬間だった。
 パッと照明が消えてゆく。後半戦スタートだ。
「えーた! 始まるみたい!」
 さっきの質問は胸の中に仕舞っておくことにした様で、ステージに向き直る。中央にライトが一筋、そこに立つのは当然ピエロ。
「はーい☆ 皆さん休憩は出来ましたか? 後半もハラハラドキドキ、胸いーっぱいの楽しいサーカスをお見せするので、どうぞお楽しみに☆」
 歓声、拍手。
 再び会場のボルテージが上がる。小休止を挟んだからか勢いが盛り返している。上手い進行だ。移動サーカスとして人気が出ているとは聞いたが、納得だ――。

 ぐるるるる……。

 低い唸りが、暗いステージから鳴る。
 成程。次はサーカスで定番の猛獣ショーの様だった。照明が点くと1匹のライオンが鎮座する。
「はい☆ 次はライオン、ビスタによる演技ですよ☆」
 雄叫びを上げる。猛獣の登場にピリピリと会場に緊張感が走るが、直ぐにピエロが訂正する様に告げた。
「ビスタはとーっても仲が良くって、襲い掛かったりはして来ないのでご心配なく☆ ね、ビスタ!」
 ピエロがたてがみを撫でると、ゴロゴロ喉を鳴らして甘える様に目を閉じて受け入れる。まるで猫の様だ。生物学上は猫であると頭で分かっていても心では反発してしまうから、中々に新鮮な感覚だ。
 そんなライオン――ビスタの目の前には、何やら大きな輪っかが付いたものが現れる。その輪っかはライオンがくぐれる程のサイズであり――。

 ……いや。
 
 

 演目一覧を先に見ておくべきと後悔した。したところで遅すぎたが。
「さ、じゃあ頂戴☆」
 失念していた。小学生の教科書にも掲載されている常識ではないか。
 サーカスの定番演目の1つ、ライオンの火の輪くぐり。
 隣にいるカナ――火殻哉は(名前に火が入っているが)とある一件により極度のなのだ。お蔭で料理はできないし、見るだけでも彼女にとっては非情で非常な負担になる。
 しかしサーカスは滞りなく進行する。客はライオンの火の輪くぐりを期待しているからだ。需要には供給をしなくてはならない――その時に少数派の需要は、容赦なく切り捨てられる。
 輪に、火が灯される。元々油が塗られていたのか、火が輪を一気に走って燃え盛らせた。
「……カナ」
 自分は隣にいるカナに声をかけた。不安で心配で仕方ないのだ。
 だが。
「……ううん、大丈夫。大丈夫だから」
 ……見るからに大丈夫ではなかった。顔は青褪めているし、自分の腕を抱く体が小刻みに震えている。気絶一歩手前で耐えてる様な風だ。
 それでも、目の前の演目を楽しもうとしていた。カナの中には、自分が半ば強引に連れて来たデートなんだから楽しく過ごさなきゃ、という強迫観念があるかもしれない。あってもおかしくないが、そんなことよりカナ自身のことを優先して欲しい――。
「……ね、えーた」
 ぎゅっと。
 カナが自分の手を、求めてきた。
「怖いから。手も握っててほしいな」
「……お安い御用だ。無理はするなよ」
「うん」
 ……ここで弄るほど、自分は人間を辞めていない。人間を9割辞めていたとしても、生物として失格であっても。
 求められたカナの手を、ちゃんと握ってやった。歯を食いしばって、カナは手を握る力を強めてくる。自分はそれを優しく受け入れた。
 どれだけ強く握ってきても、自分は痛みを感じないから。
「それでは――」
 舞台で火の輪を横に、ピエロは命ずる。
「行けっ! ビスタッ!!」
 瞬間、ビスタは怯むことなく力を溜めて、太い脚で床を蹴る。駆けて、駆ける。
 カナの握る力が少し強くなった。だが震えはない――むしろハラハラしているのかもしれない。
 口を横一文字にして恐怖を噛み殺しているのだろうが――頑張れ、と応援しているような気配さえ感ずる。
 カナの視線は火の輪ではなく、ライオン『ビスタ』に向いていた。
 『ビスタ』は力強く地を踏みしめ、跳躍。
 火の輪の中を――。

 潜り、抜けた。

「やったあ!」
 思わずという感じか、カナが喜びの声を上げた。
 快哉を起点に会場からも拍手、歓声が沸き起こる。それらは全てビスタに向けて注がれていた。
「えーた、えーた! やったよ! あのライオンさん、やったよ!」
「……ああ」
 素直に喜ぶカナを見て、自分は思わず笑顔になった。まさか、まさか。長年苦しめられたトラウマに苛まれながらも目の前の演目を楽しめるなんて、夢にも思わなかったからだ。
 これも、あのピエロの力だろうか――『力』なんて口走っているが、実際そうなのだと思う。自分がカナ以外の人間を可愛いと思っている時点で異常な現象が起きていることには違いないのだ。
 例えば、無条件で相手に好意を抱かせる、とか。

 まるでそんなもの――じゃないか。

 呪い――『死城家』の呪い。
 ……京戸希望。彼女はもしかするとなのか? あの下道獄楽クソ野郎と同じく。
 仮にそうでも、温情を掛ける余地は1ミクロンも存在しないが。どれだけ悲しい過去があったとて、敵は敵であって味方にはなり得ない。
 ただ、潜在的な敵であっても、カナを楽しませたことだけは感謝しなければならない。
 その後も何度か火の輪くぐりを披露した。後半になるにつれ、連続でくぐったり輪の直径が短くなったりとハラハラドキドキの展開が続いたが、その度にカナはぐっと恐怖を堪えて楽しんでいた。
 ビスタによる演目が一通り終わると。
「それではっ☆ 次はですね!」
 というピエロの掛け声と共に、あの番号札を渡してくれた女性が登場した。その手には箱が1つ。
「マジックをご覧頂きますよ☆」
 想像通り彼女はマジシャンだったようだ。紹介にあずかったマジシャンは恭しく礼をする。
「しかーし!」とピエロが指を1本立てて客席を指す。「ただマジックをするだけでは面白くありませんのでね☆ 今回は参加型と行きましょう!」
 参加型。
 それで、この番号札か。
「今からこの箱に入った番号を出して、同じ番号札を持っている人に、ステージに上がってもらいましょう!」
 自分たちが持っているのは、166番と167番。どっちが当たったとしてもカナにステージに上がってもらえばいい。
 流石に――敵地とは言え流石に、この衆人環視の中で無関係で無害な人間を殺す程の度量は存在しないだろうから。
「では、早速引いていきましょー!」
 ピエロが箱の中に手を突っ込む。がらがらとプラスチックがぶつかり合う音が響く。恐らくボールが無数に入っているのだろう。
 数秒して、「はいっ!」と大仰なモーションで箱から手を出した。手には、1つの緑色のボール。そこに数字が書かれている筈だ。
「さてさてさーて、本日のラッキーなお客さんの番号は~……」

 ピエロが、その番号を読み上げる――。

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