小説『生物失格』 3章、封切る身。(Episode 3)
Episode 3:サーカスデート。抗えぬ笑顔、開幕。
「はっ、はひっ、お、待たせ……っ!」
滅茶苦茶息を切らしながらカナが戻ってきた。流石に怒りすぎたらしく全速力で往復疾走したことが伺えた。正しいことをした筈なのに罪悪感を覚えた。
罪な女め。……意味が180度違うけど。
カナに労いのりんごジュースを渡す。
「少し座って休もう、まだ開演まで時間あるし。はい、りんごジュース」
「はっ、はっ……ありがと!」
受け取るや否やプルタブを開けて喉を鳴らす。飲み口から外すと「ふうっ!」と報われた声を漏らした。
「えーた、ありがとね! あ、えーと、お金……」
「いいよ。元々買ってあげる予定だったろ?」
「んえ、でも悪いよ……」
財布もチケットも忘れたからか、既に悪者だと自認しているらしいカナは、珍しく引かない。が、自分としてはこんな状態のカナに払わせる訳にはいかない。
「……気持ちだけ受け取っておくよ」
ということで便利な言葉に逃げた。『気持ちだけ受け取っておく』は、相手を傷つけずに断ることができる最強の武器の1つだと思っている。
よし、それじゃ――。
「えいっ」
……。
カナが、突然抱きついて来た。
「……カナ?」
「……気持ち」
「え?」
「き、気持ちだけ、受け取るんでしょ?」
顔を真っ赤にしながらか細い声で答えた。
……なんだこの可愛い生き物は。気持ちだけ受け取る、ってそういう意味じゃないのだが。
公衆の面前ではあるものの、あまりに可愛いので抱き締め返した。少し甘酸っぱい、良い匂いがした。多分汗のものかもしれない――。
カナは、焦った様にパッと自分から離れた。
「さ、ささ! えーた! サーカスの中に入ろっ!」
手をぶんぶん振り回しながら自分の手を引っ張る。照れ隠しのその仕草が本当に可愛くて、思わず頬が緩んでしまった。
ここは敵地だが、そのくらい許されて然るべきだろう。
***
チケットを手渡すと、もぎり担当らしいスーツ姿の女性――服装的にマジシャンか?――から一緒に番号札を貰った。見ると166番、167番の2つ。適当に167番をカナに渡して、布の垂れ幕を通る。
サーカステント内――中央にステージがあり、それを囲むように客席が360度配置されていた。種も仕掛けもないことを証明するためか――で、雑音が自分の耳を襲う。発声源の観客達が其処彼処で右往左往していた。サーカスという大衆娯楽は観客がいてこそ成立するから致し方ないが、こうも多いとカナの声がよく聞こえなくて邪魔でしかない。
いや、今は寧ろ人が大勢いる方が有難いのか。意図せずに観客が監視の目の役割を果たしているからだ。
……もし、周りの観客がグルで無ければという条件付きだが。
「えーた、早く座ろうよ!」
「ああ」
入る前と変わらずカナに手を引かれ、ずんずん歩いていく。
「うーんと、この番号の席は……」
きょろきょろと辺りを見回すが、中々席を見つけられない。近くの席を見ると589番と書かれているが、これだけ広いと探すのも大変――。
「お困りですネ☆」
「ひうっ!?」
突然ピエロに声をかけられた。
背が高いスレンダーなピエロ。声からして女性だろうが、服がだぼついているせいか性別を一瞬判別できなかった。右半分は黒、左半分は白の見たこともない色の髪をしている。
カナが驚く振動が握る手を伝って感じられた。件の幽霊屋敷ですら怖がったのだ、この程度も驚くに決まっている。カナが平静を取り戻すのに少し時間がかかりそうだと判断し、代わりにピエロに座席の番号札を見せた。
「この番号の席に行きたいんですが」
「ん~? ……ああ、はいはい、案内しますヨ☆」
「こちらへ☆」と腕を伸ばし、掌で指し示す。大仰な動きは流石道化師――愚者の具現化と言ったところか。そう言えば元々はそういう存在だと、何処かで聞いた気がする。
ピエロに尋ねたのは正解な様で、ものの10秒くらいで、目当ての席に辿り着いた。
「ここだネ☆」
「ありがとうございます、ピエロさん!」
「ありがとうございます」
ピエロに礼をすると、あはは、と快活に笑って続けた。
「良いのヨ☆ これが私の仕事だからネ☆」
ウインクをするピエロ。
可愛らしいウインクだなあ、と思いながら、カナと一緒に席に座る。
……。
……?
……は?
「えーた! あのピエロさん、なんか可愛かったよね!」
「……だな」
……一先ずカナには同意した。
同時に自分は動揺していた。
どうにか表には出さなかったが、今、自分の心は困惑で揺れ動く。
……今。
今!
自分は、何を思った?
あのピエロに、可愛らしいなんて言葉を、使わなかったか?
カナ以外など滅んでも良いと思っている、この自分が!
「……えーた?」
我に返る。カナの声が引き戻してくれた。次いで、口煩い話し声が其処彼処から耳に入ってくる。
「……どうした?」
「ん? いや、ちょっと深刻そうな顔してたからさ」
口に出した途端、はっ、と口元を手で押さえる。しおらしい声で言った。
「も、もしかして……まだ怒ってる?」
「……」
……怒ってる?
……。えーと……。
「ち、チケットの、こと……」
……ああ。
「……ぷっ」
「えっ、えっ! 何で笑うのさー!」
だって、まさかそう思っていたとは感じられなくて。
「ごめんな。もう怒ってないよ」
「もー! 心配して損した!」
ふん、とそっぽを向くカナ。少し怒らせてしまった。
損をさせてしまったのだから、埋め合わせをしないといけないな。
「ごめんって。何かしてあげるから」
「……何でも?」
……しまった、約束を交わすに当たっては大変危険な言葉を口走ってしまった。が、抵抗する術は自分にはない。今や自分は損失の補填をする側なのだ。
「ああ」
「じゃ、じゃあさ……」
すると顔を真っ赤にするカナ。おい、一体何を要求する気なんだ。やめなさい、頬に手を当てて躊躇うんじゃない。マジで一体何の約束させるつもりだ。
「このサーカス終わったらさ、私と――」
その瞬間だった。
テント内の照明が全て落ちる。同時に、話し声に代わり拍手の音が鳴り響く。隣のカナも少し不服そうだったがすぐに拍手をした。
自分も、手を打ち鳴らす。
「レディース! アーンド! ジェントルメン!」
ステージ中央に光が灯る。光の中に立つ、1人の演者。
「あっ、えーた。さっきのピエロさん!」
「だな」
そう、道案内をしてくれたピエロだ。確か名前は――京戸希望。
弟を倒された仇を討つべく、自分を殺そうとする推定異常者にして黒幕。
彼女は可愛らしい笑顔を魅力たっぷりに振り撒いて、観客の注目を集める。
……ああ、くそ。
またか。また、可愛いなんて思ってしまった。
何なんだこれは。気味が悪い――。
「皆々様☆ 本日は良くぞお越し頂きました! 大変お待たせしました、これより皆様を非日常へお連れします☆」
くるくると体を回転させながら、全方位へ可愛――ウインクを飛ばす。
……畜生。自分の頬を叩く。こうでもしないと正気を保てなくなりそうだ。
「それでは――」
そして。
「種も仕掛けもございません! 嘘偽りのないサーカス、『ノービハインド』のショーをお楽しみくださいませっ!」
自分の命を狙う集団による、サーカスショーが幕を開けた。
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