小説『生物失格』 3章、封切る身。(Episode 2)
Episode 2:愉快哉。
結論から言えばテストは終わった。
この「終わった」には複数の意味可能性があるが、ここでは普通に「物事が完了した」の意味だ。
日本語――いや、言語というのはこういう時に面倒だ。単語に複数の意味が含まれていて、文脈と意志によって1つの意味に確定する。文脈と意志が誤れば、必然、異なる意味で伝わる。異なる意味で伝わった先に待ち受けているのは、関係性の崩壊。最悪の場合は終焉だ。そうでなくても、負の感情を相手に生み出してしまう。
ならば全ての意図が直接人の脳味噌に伝われば良いのでは、という話になるが、そんなことをすればどうなるかなど、少しだけ考えれば分かる。
発狂だ。
人の意図が全て伝わる世界なんて、地獄以外の何物でもない。楽しい、嬉しい、心地よいといったプラスの感情だけでなく、悲しい、憎い、苛立つ、絶望、嫌悪といったマイナスの感情まで伝わるのだ。最悪だ。地獄以外の何物でもない。いっそのことぶぶ漬けを出されて「ありがたく頂きます」と返せる方が、人間は幸せに違いない。
そう考えてみると、獣の方が案外幸せに暮らせているのかもしれない。
心が無いとまでは言わない。獣における心の存在など悪魔の証明でしかないから深追いはしない。だが彼らの言葉には、意味が複数含まれていないことは分かる。警告や威嚇、求愛など、鳴き声の細かなニュアンス1つ1つで意味が決まる。無意図的に関係崩壊しようがない。
そうしてストレートに伝えてくれるからこそ、疲れた時に動物を求めるのかもしれない。言葉が通じないから関係に疲れることがない、なんてよく聞く話だ。
まあ、率直に伝えるからこその悩みはあるのだろうが(そもそも動物は『悩む』のか?)、生憎自分には関係無い。
……ということで、ここまでは意味のない暇潰しの戯言だ。放課後の夕暮れ時に誰もいなくなった教室で、部活に行ったカナを只管待つには打ってつけだが。
時間は有限だ若者よ、と叱咤されたところで、これが自分の時間の使い方なのだから仕方がない。
とはいえ、長くなってしまった。
では、閑話――
「終わった! 終わったよ、テストがっ!」
――休題する間もなく、カナが教室に転がり込んで来た。無論に勿論、「転がり込む」は比喩表現だが。
ちなみにカナの「終わった」がどの意味かは聞かないでおくことにした。多分大丈夫だという確信がある。
そもそもカナが悪い点をとったことを見たことがあんまりない。むしろ、良いも悪いも全部見せて来る。「良い点とれたよ!」と子犬のように喜んで撫でてもらうのを待つか、「悪い点になっちゃった」としゅんと撫でてもらうのを待つかどちらか。
どっちにしても可愛いので撫でてやるけど。
「ああ、終わったな」
「さあ! 行くよ、えーた! 急いで!」
忙しないなと思うも束の間、手を引かれ教室から引きずり出された。尚、比喩表現ではなく、物理的な意味で。
手首が痛いが、手は繋ぎたいので、されるがままにした訳だが。
***
歩いて10分程。
一体いつ建てられたんだと疑いたくなるレベルで、町一番のショッピングモールの大広場に巨大なテントが聳えていた。辺りを柵に囲まれ、周りにうようよと人が犇き、互いにさざめき合う。
「うわー! 人いっぱいだね!」
「このサーカス、人気なんだな」
「当然!」
カナが胸を張って答える。
「だって人がいっぱいいるもん!」
……その答えはちょっと面白いかもしれない。
「人気がない、ということを言いたいんじゃないぞ?」
「人気と人気って通じると思うんだけどな~」
まあ確かに。
「というかその回答は、カナもこのサーカスよく知らないんだな?」
「……うぅ、そうだよ! 知らないもんっ!」
とうとう白状した。だろうな。
ぽんぽんと頭を撫でてやると「もう! 撫でちゃやっ!」と怒る。でも手を大人しく多分満更でもないのだろう。
長い間一緒に過ごしていると、何となく分かる。
実際、カナは顔を緩ませてきているわけだし。
……しかし此処でもたもたしても仕方がない。
「じゃあ行くか」
「あ、ちょっと待って! その前にジュースか何か買っていこうよ!」
娯楽には付け合わせが付き物だ――映画にポップコーンが必要なように。あの習慣は何時から出来たのだろうか?
カナは財布を探すべく、スクールバックの中を弄る。
……弄っている。
少しして、その手がぴたりと止まった。錆びたロボットよろしく、ぎこちなく顔だけ向けてくる。
「……」
「……」
「……」
「……カナ?」
うん、もう嫌な予感がする。
ものすごーく小さいレベルの嫌な予感が。
「……もしかして」
「わ、わわわ、忘れてないよっ!?」
「まだ何も言ってないけど」
「ひうっ」
声が上擦っているし言っちゃったし。
カナ、財布を忘れる。どこぞの日曜アニメの主婦の如く。
「このおっちょこちょいめ」
「むー、ごめんなさい……」
「いや、いいよ。カナの分も買ってやるから」
「ほ、本当!?」
目を輝かせるカナ。元々奢るではあったから何も問題はない。
……しかし何となくまだ、嫌な予感が止まらない。
いや、まさかな。
まさか、まさか。
誘ってきて、忘れるなんてことは、ないよな?
念のため、聞いておくことにしよう。
「カナ」
「なあに?」
「サーカスのチケット、持ってきたよな?」
「……」
おい、何故黙るんだ。
「……」
おい目を逸らすなこっちを見ろ。
「……」
「……カナ?」
思わず冷えた声が出た。今回ばかりは仕方ない。いかに好きな人であれ、怒るときは怒る。
「……えへ」
汗をたらりと垂らすカナ。
今日はよく予感の当たる日なのか? さっき獣がどうこう考えていたから、獣の勘でも働くのか?
何にせよ勘は当たりらしく、カナはぎこちない笑顔のまま口を開いた。
……さて、と。
「……えーた!」
「何だ」
「チケット貸して!」
流石に今回はきちんと叱ってやる!
「家帰って取って来い!!」
「ひぅん!!」
日曜アニメの某主婦も、これには真っ青だ――そんな戯言を頭の中で思い浮かべながら「ごめんなさいいいいいいっ!!」と家へ駆けて行くカナであった。
……ま、開演まで時間はあるし間に合うだろう。あとは事故に遭わないことを祈るばかりだ。カナの到着をゆっくり待って、帰ってきたらちゃんと慰めてあげよう。このままでは可哀そうだしな。
サーカス位、明るい気持ちで見て欲しい。
……周囲を警戒している自分とは違って。
『君が殺されるからだ』
夢果の言葉が思い出される。そう、ここは既に危険地帯――敵の拠点なのだ。
「……」
辺りにはサーカス集団『ノービハインド』のメンバーが彷徨く。無駄な程に筋骨隆々な男、吹けば飛びそうな細身で不愛想そうな女、華麗にアクロバットを決めて拍手を稼ぐ女に、飲み物を売り歩いている少年少女。
さあ。どこから来る。
人が多いからまさかここでは殺人は犯すまい――という常識が通用するとは思えない。弟が倒されたから犯人を殺そうと考えているような弟偏愛者の耳に、雑多な自分達の意見など入る筈がない――鼓膜に到達する前にフィルターで濾過され、自分の思考を強化するだけだ。
「……」
カナのために此処でジュースを買おうと思ったが、危険だろう。毒を盛られでもしたら一溜りもない。
一旦離れて自販機で買うことにした。
……。
……さて、カナはリンゴジュースが好きだったかな。
***
「……来たね」
物陰から誰かが覗く。
その視線の先にはぴゅーと去っていく火殻哉と、少ししてからその場を後にした死城影汰の2人。
「……さあ、幕開けよ」
鋭い眼光を置き去りにするように踵を返す。
怒りと殺意が混ざった笑顔を浮かべながら。
「未来の仇はきっちりと討たせて貰うよ、糞餓鬼……!」
その肚に含む悪意の濃さは、サーカス座長のピエロ――京戸希望にしか分からない。
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