小説『生物失格』 3章、封切る身。(Episode 1)
指切りげんまん、嘘ついても一切合切文句を言わない、指切った。
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Episode 1:退院後のお約束。
「えーたっ! 退院おめでとうー!!」
「……ありがとう。心配かけたな」
「本当よもう! これ以上心配したら爆発しちゃいそうだよ!」
ぷんぷん、という擬音が聞こえてきそうなくらいに怒るカナ。頬をぷくりと膨らませている。これが爆発しては困るな、と馬鹿らしいことを思った。
さて、しかしだ。怒らせ続けるというのは良い筈が無い。怒っている姿も可愛いという言葉は、一次元下がった対象にこそ言えるもので、生身の人間に言ったら殴られるのがオチである。
「本当に悪かったって。それに約束しただろ。もう危険なことはしないって」
「……うん、そうだよね。えーたは、約束守ってくれるもん」
えへへ、と顔を緩めてカナは抱き着いてくる。
……ああ、この笑顔だ。この笑顔さえあれば、自分は何度だって何があったって立ち上がれる。
退院できて良かったですね、という感情の籠っていない看護師の言葉とか(時々、彼女は人間なのか疑う時がある)。もう異常はないな、という『最低』先生の舌打ち混じりの安堵とか(平常運転である)。社交辞令な祝福よりもカナの笑顔こそが活力になる。
……とは言え一応「御世話になりました」とだけは言っておいた。周りなどどうでもいいと思っていても、処世術を使わなければこの世は生き辛い。矛盾に思える思想だが、案外同居し得るのだ。一般論としても、矛盾は同居し得る。
「……久々の外だな」
柄にもなく息を思い切り吸い込んで呟くと、カナがうんうんとオーバーに頷く。
「娑婆の空気は美味しい、って感じかな!?」
「どこでそんな言葉覚えてくるんだよ……」
まあ、あの病院ですら監獄の様なものだから、『娑婆』は強ち間違ってはいないかもしれない。
……早速閑話休題。
「あ、えーた、そう言えばさ。来週テストがあるみたいだよ!」
「テストか――後で範囲教えてくれ」
「らじゃー! まあ、範囲さえ教えれば、えーたはきっちり良い点数取れると思うけどさー」
カナにそう思われる程、確かに自分はテストで良い点数をとっていた。
それと言うのも話は簡単で、テストという代物は至極単純で、知識を入れてそのまま吐き出すだけの作業だからだ。或いは入れた知識を組み合わせて吐き出すだけの作業。それで高得点を採れないヤツの気が知れない――と前にカナに言ったことがあった。それを聞くとたちまち苦笑いして「それ、他の人に言わないでね」と忠告してくれたっけか。
一応その忠告は守るようにしている。これも世渡りの術だ。大体、当人が点数を採る為に費やす時間の採算が取れないだけの話で、これ以上とやかく自分が口を挟むことではない。
閑話休題。便利な言葉を乱用して、こんな殺伐とした話をするのは止めにしておこう。別に好感度が下がったとて、自分は気にしないのだけど――。
家に帰ったらテスト勉強を始めよう。
良い点数が採れず最悪補修ともなれば、カナと過ごす時間が減ってしまうから望ましくない。自分はこれでも学校では模範的生徒として通っているのだ。人間関係は極端に薄いが。
「テスト、頑張らないとだな」
「そうだねー!」
カナは突然自分から離れて、少し前へとスキップして立ち止まり、くるりと華麗にターンをして振り向いた。映画のワンシーンの様だった。カナに女優は向くだろうか。身内の意見からしても向かないだろうと思った。大体、演技よりも本心の方が断然カナは魅力的だ。
「えーた」
カナは笑顔を振り向けた。何か少しだけ圧を感じる。
「……何だ?」
「まさか、忘れてないよね?」
「……」
まさか。
病室で話したあの約束のことを言っているのだろう。忘れる筈がない。入院中はそのことばかりを考えていたのだ。
――サーカス。
自分を殺し得る者がいる集団『ノービハインド』が催す移動サーカスは、あと指折り数えるだけで開演を迎える。既にショッピングセンターの所で設営が始まっていると聞いた。
本当のところ、カナを連れて行きたくはない。間違いなく厄介ごとに巻き込まれ危険な目に遭うからだ。
今更だろうが。今更であっても。というより夢果から忠告を受ける以前にカナからお誘いを頂いたから、時系列的には時既に遅しであるし、それを考えると夢果の忠告こそ「何を今更」である。
いずれにせよ、今回は自分の落ち度の贖罪の為に連れて行くのだ。断るという手札は無い。選べるのは『はい』か『YES』か『OK牧場』のみ。
だから忘れる筈も無いのだが、退院(出所?)して久々にカナと一緒に居られて浮ついているのか、少しカナと遊んでやりたくなった。倒錯した感情だなと思った。
「…………………………忘れてはいないさ」
「その割には、思い出すのに時間がかかり過ぎじゃないのかな~?」
もう仕方のない人、とでも言いたげな表情で、カナは突然「ででん!」と音階を取る。
「では問題ですっ! 退院後に私とえーたとで何をすることになっていたでしょーかっ!?」
「クイズの司会者かよ」
カナのそういうノリとテンションは嫌いじゃない。ということで、そのノリに則って遊ぶことにした。
「はい」
「おっ、えーた選手早かった! 答えは!?」
「動物園に行く!」
「惜しいっ! 何処かに行くのは行くけど、目的地が違いますっ! さあ、何処でしょうっ!」
「食品工場見学!」
「正解から謎の遠ざかり方してるっ! 違う違うそうじゃないの! さあ、どーこだっ!」
「幽霊屋敷!」
「嫌、それだけは絶対嫌!」
「ちなみに自分も幽霊役だ」
「え、えーたの鬼いいいいいいっ!!」
涙目で怒ってきた辺りでこの位にしておこう。
十分楽しかった。ガキだなあ。
「ごめん。答えはサーカスだろ? この前言っていた移動式サーカス」
「! そ、そうそう! それだよそれっ! 分かっているなら早く言ってよっ!」
「いや、カナのクイズ番組的ノリに合わせるべきかなと」
「ノリ過ぎだよっ!」
ぷくっと頬を膨らませながら、ぽかぽかと自分を叩いてくるカナ。別に物理的な痛みは感じないので可愛らしい反抗だと思った。思うだけに留めた。
「というか何でクイズ番組風にしなくても良いんじゃねえのか」
「ほら、『何事も楽しく』が大事じゃない!」
ま、それもそうだ。
自分も、カナと過ごすのなら楽しい方がいい。
「……何はともあれ、折角退院できたしな。カナにも寂しい思いはさせたから、約束通り行こう」
「うん!」
取り敢えず、行くものは行く。
その為にも。
「取り敢えず、来週のテストが終わってからのお楽しみだな」
「テスト、頑張らないとね……!」
カナはメラメラと闘志を瞳に燃やしていた。一体彼女は何と戦おうとしているのだろうか。
別に何と戦おうとも――全ては、勉強が終わった後。
恙なく日々を過ごせるように、倒すべきものは倒しておこうと、自分とカナは心に決めたのであった。
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