小説『生物失格』 1章、英雄不在の吸血鬼。(Episode 6)
1話目はこちらから。
Episode 6:シャイニング・オン・ベリー。
結論から言えば、2階には何もなかった。
あれだけ『帰れ』と言わんばかりに、下手に過剰に配置された装飾品はすっかりと消え失せ、シンプルに廊下が伸びるだけ。
進むにあたっての障害もない。それどころか、電気がついている。
……幽霊屋敷と言われているくせに、誰かが律儀に電気料金を支払っているらしい。最早それは幽霊屋敷と言わない。歴とした人家だ。
それはさておき。電気のついた廊下なら別に怖いものは何もないだろう。むしろ1階とは逆に、来るならかかって来い、とでも言われているような気分だ。
――ここの『幽霊』とやらの考えていることが全く分からない。
1階で帰れと言いながら、2階でおいでと誘い込む。
……『幽霊』はツンデレなのか? いや、武闘派なツンデレは勘弁して欲しいものだが。
「……何もなかったね」
「ああ、何もなかった」
普通の光景が広がっていたことに、安堵しながらも拍子抜けな様子のカナ。
いつの間にか震えは止まっていて、自分にしがみつかずとも普段通り歩いては写真を撮れるようになった。
カナは、単純と言えば単純だ。『単純』というのは悪いこととして受け取られがちだが、単純ということは因果がはっきりしているということだ。
つまりは、素直なのだ。悪く言えば考えずに行動するということになるが、別にそう悪いものじゃないだろう、とは思う。
熟慮の末に辿り着いた行為が、絶対に善であるとは限らない。時に、最悪であることもある。
それに、単純な方が、分かりやすいし接しやすいし、分け隔てがない――カナは、そういう人間なのだ。
「探索も、あとここを上れば終わりだな」
「なんか、あっという間だったね」
恐怖に存分に触れたためか、少し心が昂っている様子のカナ。さっきまであんなに怖がっていたのに、今はなんだか楽しかったようだ。
結果的には良かったと言える。
ちなみに自分は、カナと一緒に過ごしていれば、どんな所でだって楽しい。
邪魔さえ入らなければ、という厳しい条件付きだが。
「3階には何があるんだろうね」
「ラスボスみたいなのがいるんじゃねえか」
「ゲームみたい……」
「じゃあカナは何がいると思うんだ」
「幽霊がいるのかな、って!」
「ちなみに、いたらどうする」
「写真に撮る!」
写真に撮って幽霊が果たして映るのか。
そんな非科学的なテーマを発しても、仕方ないと言えば仕方ない。
今は、目の前の階段を上ることを考えるとしよう。
「なら、とっとと写真に収めて帰るぞ――もう正直眠い」
「もう遅いもんね……ふわあ」
暢気に欠伸を1つ。
眠い目を擦りながら、カナは階段を見据える。
「よし、行くよえーた!」
……ほう。
「カナが先頭を切るのか?」
そう言ってやると、カナは突如固まる。
それから、自分の前にいたはずなのに、いそいそと自分の後ろに回り、きゅっと自分の手を握ってきた。
そして元気よく一言。
「……えーたが先に行って!」
……まあ、やっぱりね。
「心が強くなったのかと思ったんだけどな」
「怖いものは怖いの!」
単純な彼女を後ろに、少し苦笑して階段を上る。
残るは3階。
どうせ、何が待ち受けていたって自分は驚かない。
本物の幽霊がいたとしても、別に。
呪いがこの世にあるのだから。
幽霊もこの世にいたって可笑しくない。
***
3階。
そこは、ぶち抜きの広い空間が1つだ――多分。
多分と言ったのは、遮光カーテンのようなもので光が一切入らず、真っ暗闇で何も分からないからだ。それに、さっき電気のついた廊下を歩いてきたせいで、暗闇に目が慣れない。
一体、この場には何があるんだ。
「……えーた、手を離しちゃ嫌だからね」
「離すかよ」
カナの震える手をぎゅっと握り返す。
その震えを無理矢理止めるかのように。
暗闇の中で手を離してしまったら、もう二度とカナに会えない気がした。
――もう、失いたくはない。
二度と、失わせるようなことがあってはならない。
「離すものか、絶対に」
――そう言った瞬間だった。
「……っ!?」
カナと、手を離してしまった。
正確には――引き離された。
「えっ、えーたぁ!!」
「っ!! カナ!?」
すぐに辺りを見回す。
暗闇ばかりが広がる。比喩表現抜きで、一寸先が闇だ。
声が聞こえるので、カナはまだ無事なのだろう。安堵はすれど、余裕はない。
……してやられた。
この幽霊屋敷、効率よく人を殺傷することに長けているのだと、漸く気付けた。
1階の過剰な装飾を超えた先の、2階の変哲のない廊下。
こんな造りになっているのは、拍子抜けさせるため――つまりは、緊張感を少しでも失くしてしまうため。
2階の明かりを超えた先の、3階の暗闇。
これはもっと単純だ――視界を奪うことが目的だ。桿体細胞を働かせ、錐体細胞の機能を相対的に下げる――簡単に言えば、暗闇に目が慣れていない状態にする。
一方で『幽霊』はずっとこの暗闇にいる。視界は初めからはっきりしている。
視界を奪われた者と、視界のはっきりしている者。
勝敗など、はっきりしていた。
――目的を見抜くことが出来なかった。これは自分の落ち度だ。
しかし、落ち度を嘆くよりも今は。
「……何処に居る」
カナを、守らなくては。
失うなんて、もう真平御免だ。
何処だ。
何処に居る。
「何処に居るんだ、姿を見せろ」
「――お前らこそ、何しに来たんだよ」
……声がした。
男の声。成熟していない感じの、青年の声。此奴が、カナを連れ去った張本人という訳か。
「カナを何処へやった」
質問する。
別にこっちの理由なんて関係ない。早くカナを出せ――そう言外で訴えてみた。
が。
「煩い、質問に答えろ――でないと、黙らせているだけのこの餓鬼を殺すぞ」
物騒な答えが返ってきた。
……分かりやすく殺意を感じる。これは本気でカナを殺す気だ。
成程、相手の質問に素直に答えた方が良さそうだ。
「……肝試しってヤツだ。悪かったな、邪魔したよ」
「発案者はお前か」
「そうだ。そこの彼女はただ着いてきただけだ」
殺す気が満々ならば、首謀者とモブのどちらを選ぶか。
犯人は間違いなく、首謀者を選ぶ筈――モブが無力ならば尚更、首謀者だけを狙えば事足りる。
モブは後でゆっくりと殺せばよいのだから。
だからこそ、今回の肝試しの首謀者は自分であると伝える。
なるべく、カナを危険に晒したくない。それだけが、頭の中を占めていた。
「だから、離してやってくれ――殺すのなら、発案者の自分が相手になる」
「……お前が?」
くすくす、と。
馬鹿にしたような笑いが暗闇から聞こえてきた。
「その鉄パイプで、一体何が出来るってんだ」
「人を殴るくらいは出来る――少なくとも、お前を退屈させはしない」
「お前、俺を何だと思っているんだ」
「人に喜んで危害を加えるヤツじゃないのか? この家の悪質な造りを見たら分かる」
「……良いぜ。そんなに犠牲になりたいのなら相手になってやる」
ほら、放してやる。
その言葉が聞こえた後、カナの声が少し聞こえた。
「え、えーたぁ……」
「カナ、自分は此処だ」
「えーた!」
たったっ、と駆ける音。
喜び勇んで走る音。
その足音は、間違いなくカナのものだろう。
――そう。
信じて疑わなかった。
「……?」
だからこそ。
その足音に幽霊のものが混じっていると、気付く筈もなかった。
……何かが、腹に刺さる感触がした。
痛みは感じない。何か異物が混入されていくような。
「えーた、何処? 何処にいるの?」
恐らくきょろきょろと探し回っているであろうカナの声がする。
その直後、目の前にいる『幽霊』は、自分に対してこう言った。
「ほら――お前には何も出来やしないんだ。ふらりと遊びに来るんじゃなかったな、クソ餓鬼」
瞬間。
ぱっと、部屋に明かりがついた。
突然眼球に襲いかかる光量に、目は拒絶反応を起こす。
だが、そんなことをしている場合ではない――無理矢理に目を開けて慣らそうとした。
そして見えたのは。
少し離れたところに、カナの姿。
その顔は、みるみる内に真っ青になっていった。
目の前には男。こいつが『幽霊』というやつだろう。
シャツにジーパン、黒のパーカーという井出達。
服から覗く腕や顔は、包帯だらけで肌1つ見せていない。
包帯の奥に宿る眼光は、憎しみと怒りを燃料に強く輝いているようだった。
そして。
自分の腹に、ふと目線を落とす。
「え、えーたあっ!!」
カナが、鬼気迫る声で自分の名前を呼んだ。
そう呼ばれた自分の腹には、確かに。
光と血に輝くナイフが一本、突き立っていた。
次の話へ。
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