小説『生物失格』 1章、英雄不在の吸血鬼。(Episode -1)
1話目はこちらから。
Episode -1:人間の断末魔、怪物の産声。
「……残念ですが」
今から3年前。とある病院。
素っ気ない診察室で、初老を迎えたであろう医者は顰(しか)め面をした。
目の前にいる、皮膚の爛(ただ)れた19歳の青年。隣には姉が付き添っている。
良くない結果が待ち受けている、ということが姉弟には、なんとなく分かっていた。
なんとなくでも分かってしまったからこそ、医者に真実を言う覚悟を持たせてしまった。
――医者は、覚悟を以て宣告する。
「あなたは、晩発性皮膚ポルフィリン症、という非常に珍しい病に罹っています」
「……?」
聞いたことも無い病名だ。
当然のように目を白黒させる姉弟に対して、医者は優しい声で残酷な解説を始めた。
「晩発性皮膚ポルフィリン症。症状をはっきり言えば、『日光をまともに浴びられない病』です」
「……え」
姉弟共に、顔が暗くなる。
医者はそれでもズレた覚悟で以て説明を続ける。
「ポルフィリン、というのはヘモグロビン等を作る蛋白質の構成要素です。細胞呼吸や解毒機構など、重要な役割の幾つかの元となっているのです。ただ、ポルフィリンというのは通常体内に残りません。尿や便で体外に排出されるのです。……残ったところで、光に当たると毒になりますから、残らない方が自然です」
「……」
「ポルフィリン症というのは、体内の異常によって、そのポルフィリンが体内に残ってしまう病気なのです。普通は遺伝が原因なのですが、あなたの場合は珍しい……どころか、普通では有り得ないと言ってもいいでしょう。何せ、ご家族でその病をお持ちの方はいらっしゃいませんし、何より、晩発性ポルフィリン症は、50代からの発症が主ですから」
それはつまり。
「つまり、あなたは類い稀なる不運によって、二度と普通の人のように外で生活することは――」
――そこから先、医師が言葉を紡ぐことはなかった。
青年が立ち上がり、椅子を両手で掴み、医師に殴り掛かったからだ。
奇跡的に間一髪で避けた医師は、どうにか診察室から脱出する。残された青年は、怒り狂い、雄叫びを上げて病室を荒らす。
カルテが宙に舞い、パソコン画面が床で破砕される。注射器が棚のガラスをぶち割り、ベッドのシーツが破れ去る。看護婦は悲鳴を上げるばかりで、どうすることもできない。
だが、青年にとってはそんな瑣末なことなど、どうでも良かった。
外に出られない、普通の人として過ごせない――吸血鬼の如く、太陽を避けて一生を過ごさなければならない。19歳の青年にとって、それはあまりに残酷すぎる仕打ちであった。
彼は、叫び続ける。
何故。
何故、自分がこんな目に遭わなければならないんだ!
自分が一体、何をしたと言うんだ。何か悪いことをしたか? 罪を犯したと言うのか?
罰を受ける謂れのあるコトなんて、何一つ無いというのに。
罰を受ける謂れのあるヤツなんて、腐る程いるというのに!
どうして、自分なのだ!
なあ、この声が聴こえるのなら。
英雄め、俺を助けてくれよ!
理不尽な目に遭っている俺を、救い出してくれよ!!
だが、その叫びに『英雄』は応えることなく――否、応える英雄などいなかった。
世界には、英雄という在庫は残っておらず、従って、無い袖は振れなかった。
それなりに理解力があるからか、数分でそれを悟った青年は真に発狂し、叫喚した。
その叫びは、正しく人間としての青年の断末魔であり。
その叫びは、正しく怪物としての青年の産声であった。
結局、姉の必死の呼びかけでようやく青年は静止した。が、彼を待ち受けるのは絶望しかなかった。
誰も助けてなどくれない。英雄など、居やしないと分かってしまった。
病は治らず、普通の生活を送れない。明るくできる筈の未来は、全て闇に呑み込まれた。
――逃げ場を失くした人間がとれる道は、2つしかない。
1つは、自分を殺してこの世から逃げてしまう道。
もう1つは、相手を殺してこの世を滅ぼす道だ。
社会を人並み以下にしか知らず、自分の責任でも無いのに自死を選びたくなかった彼には、怪物に成り果てる以外に方法を知らなかった。
その後彼は、完全隔離を余儀なくされた。日の差さない薄暗がりな病室で、彼は長すぎる余生を1人寂しく暮らすことを余儀なくされる。
……だが、青年はここで終わる筈がなかった。
とうに狂い、怪物として生きることを決めた彼は、程なくして姉の助けを借り、病院を脱走する。
そして、包帯でその素性を隠し、全ての人間を呪い、殺すための仕掛けを作り上げ。
――『幽霊』として、廃墟に棲み憑くことにしたのである。
これは、人間である青年が、人間を辞めた挿話。
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