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死なずの魔女の恋愛譚(ファンタズム)「一、血塗れのボーイミーツガール。」

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誰が何を論じようとも。
これは、愛の物語だ。

***

 深夜二時。
 東京スカイツリー――東京都墨田区に聳え立つ日本国のランドマークにして電波塔。ショッピング街や水族館、展望台にレストランといった商業施設が塔の下に設えられ、更にはライトアップとデートには事欠かない。今やスカイツリー本体を除いて電灯は消され、沈黙と漆黒が寂しく商業施設を埋め尽くす。
 誰も居ない筈のその場所に、十代前半程の少女が一人。肩甲骨辺りまで伸ばした黒髪に、珍しい藤色の瞳。人形のように整っていて可愛らしく、十人に九人は思わず振り向いてしまうであろう目鼻立ち。純白のブラウスに桜色のカーディガン、薄緑色のスカートの春色コーディネートだ。
 そんな少女が居るのは、暗闇の商業施設内でもなければ塔の脚元でもない。
 地上三百五十メートル地点の、暴風吹荒ぶだ。お蔭で春色の装いも無遠慮にはためいている。
「なんか、懐かしいな」
 乱暴に靡かれる髪をそのままに、眼下を見渡していた。
 ミニチュアの様にちょこまかと動く車。
 等間隔に植えられた模型の如き街路樹。
 計算づくで張り巡らされた電線。
 穏やかに流れる一級河川。
 の下で輝く、『街』東京の光景が。
 橙色の街に微笑みを浮かべる。両手を広げ、吹けば折れそうな華奢な脚で鋼鉄の展望台を踏みしめ、大人すら立っていられない暴風を真っ向から気持ち良さそうに受け止める。
「もう、数か月前のことかあ……」
 だとしたらそろそろ私の十五の誕生日か、と突拍子に思い出す。
「あの時は右も左も分からずに、色んなもの試したっけ」
 もう一度、少女は眼下の街を眺望する。
 を。
 を。
 を。
 を。
 役に立たなかったそれらの全てを。
 あーあ。
 橙色の夜空を見上げながら、口端から漏らす。
「死にたいなあ」
 一度漏洩すると、そこを起点に堰を切って想念が溢れ出す。
「死にたい死にたい死ーにーたーい!」
 駄々を捏ねて地団駄を踏むが、それが社会的に許されないことは百も承知だった。玩具を強請ねだるのとでは勝手が違い過ぎるし、大体その願いを叶える大人も居ない。
 だからこそ少女は勝手に行動を起こすしかない。
 誤った事が出来るのは、十代の子供の特権だ。
「……よし!」
 寸分の逡巡すら無く、一歩ずつ踏み込む。かつん、かつん、と重い決断に反比例な軽音を響かせながら。
 今度は上手くいくと良いなあ――信じなくなった神様に心の中で中指を立てつつ、一歩ずつ踏み出す。否認・怒り・取引・抑鬱チェックポイントは通過済み、最後の受容もほぼ終えた。後は、人生のゴールテープを切るだけ。
 そのゴールが、少女には余りに遠い。
 だが十中八九駄目でも、残る一の可能性に賭けてみたい、というのが少女の偽らざる本音だった。可能性豊かな十代らしい、諦めを霞ませる青い思い。
 少女は一歩踏み出した。が、そこに地面は無い。そのまま体を展望台から投げ出した。
「あははははははっ!」
 腹から込み上げた年相応の無邪気な笑い声と共に、自由落下に身を任せ、体を破壊する為墜ちていく。
 待ち受けるのは、待ち焦がれる死――。
「何を、しているんだッ!」
 そのラストスパートの途中、がしり、と少女は腕を掴まれた。
 地上三百メートル程を立派な両翼で飛び回る、の男だった。間髪入れずに少女を抱き留めて素早く状況を確認する。怪我は無さそうだ、と分かって胸を撫で下ろした。それから慈愛を込めて少女を叱る。
「何をしているんだ! こんな所で! 死ぬところだったじゃないか!」
 一方の少女はそんな竜人に。
 諭すように蔑むように、薄ら笑みを浮かべて即答した。
「――?」
 竜人は、聞き間違えたのかと思った。
 だが少女はその勘違いを許さない。
「何呆けてるの? 竜人はお耳が悪いのかな? もう一度言ってあげる。死ぬところだったの、私。まったく、お異人ひと好しにも程があるよ」
「な……!」
 絶句する竜人に、少女は遠慮も配慮もしない。
「まあ、に比べればマシだけどさ。本心から私のこと助けようとしたみたいだし」
「何を――」
 言っているんだ。竜人は頭がおかしくなりそうだった。
 会話が通じない。会話する意志の有無以前に、根本から何も理解できない。
 宇宙人と会話している様な。
「でもまあ」
 続く一言が、竜人の思考を完全に停めてしまった。
んだけどね、こんなんじゃ」
 少女は茫然とする竜人に構わず続ける。
「それでも万が一、億が一にでも死ねるかもしれないじゃん。何かの間違いで、誰かの手違いで、この私を死なせてくれるかもしれないじゃん。だから邪魔しないで欲しかったんだけどなあ」
 少女の微笑に、竜人は心の底が冷えた感覚がした。
「死にたい、なんて……」
 そんなこと言うな――呼びかけた竜人に、少女は嘲るように尋ねた。
「じゃあさ、君が私を救ってくれる?」
「……救う?」
「そ」
 そう言った少女の手には何処から取り出したのか、半自動式拳銃セミオートハンドガン――ワルサーPPKが握られていた。安全装置セーフティは解除済み、撃鉄は引き起こされている。
 竜人が当惑と緊張で混乱する中、少女は小さな銃口を。
 自らの蟀谷こめかみに押し当てて。
「この私をさ」
 引き金を、引いた。
 それも三回。三十二口径弾丸が轟音と共に射出され、少女の頭の中に詰まった液体が散開する。
 びくり、と死の間際特有の痙攣を起こし、少女の四肢はだらりと垂れた。流れる血と共に、手を離れた拳銃がオレンジの街に自由落下していく。
「っ、ああああああああああああああっ!!?」
 とばっちりな飛び血を受けた竜人は限界を迎え、少女の死体を手放した。死んでいるのだから今更落としても同じこと――そう思っている時点で彼も大概狂っていた。
 しかしまだ立て直せる。今すぐ去ってここで起きたことを忘れれば、正気に戻って日常に帰れる。
 だが、で。

 の一言で、竜人は正気を粉々に砕かれてしまった。
 頭を抱えて今にも自害しそうな彼を一瞬憐れんで。
「だって君、もの」
 それから興味の外に置いた。
 さて、地面に頭が砕かれるまであと十数秒。死に向かう少女はしかし、生き生きとした煌びやかな目をする。
「あーあ、でもどうせこれじゃあ死ねないんだろうなあ! 死ぬ為には――」
 まるで。
「まず、ならない!」
 恋する乙女の様に。
「よーし、待ってろ! 私の未来の恋人! 私が死ぬ程愛してやる! だから死ぬまで愛して頂戴! そうすれば――」
 支離滅裂な言葉で、死を切望する。
!!」
 地面到達まで、あと数秒。
 その時である――。

***

 時を遡り、深夜一時。
 殆どが寝静まる状況を隠れ蓑に、道徳的にも倫理的にも許されない行為が横行する。
 殺人を犯しても、気付かれることはなく。
 人を犯しても、咎められることもなく。
 両方を犯したとて、同じことだった。
「……はっ、はっ」
 東京スカイツリーの程近く、曳舟にあるマンションの一室。一糸纏わぬ少年少女がベッドの上にいた。俗に言う不純異性交遊であるが、事態がそれだけならまだ可愛いものだった。
 息を荒げているのは十四歳の少年。
 対する同年齢の少女は、息すらしていない。首には、少年の手の痕が痣となって遺っていた。
 少年は性的興奮で息を荒くしていたのではない。
 で、過呼吸を起こしていた。
「っ、あ。あ……ぐ」
 少年はベッドの横に急いで顔をもたげ、胃の中のモノを吐いた。汚い音が床に鳴る。数秒してすっかり出し切ってから、口の中に残る汚物を唾と共に吐き捨て、目の前の恋人だった少女の死相を一瞥する。
 瞳孔が開き切った目から零れた涙と、口端から漏れる泡、そして脂汗。凄絶な表情だった。
「……ま、たかよ」
 少年は頭を掻き毟るように爪を立てる。意味が無いと分かっても止められない。
 だ――少年は先にも役にも立たない後悔の念を募らせる。五人、恋をして告白してしまい、それから紆余曲折を経てしまっていた。
 少年はこんなことを望んでいない。
 だが恋をすることも殺すことも自分で止められない。その要因が、少年にではない――在った。
「……早く、出なきゃ」
 少年は吐瀉物を震える手で処理する。それから、少し離れた机に置いた服に手を掛け、焦りと疲労で何度か失敗しながらもどうにか着る。それからフードを目深に被り、部屋に鍵を掛けて後にした。鍵は後で川にでも投げ棄てようと思った。
 もう自分が捕まるのは時間の問題だろうか――嘗て、軽犯罪者を白昼堂々する警察の姿を目にしたのを思い出し、身震いする。
 死にたくない。
 死にたくない。
 殺しておいて何だその言種いいぐさは。
 でも、死にたくない。
 恐怖と緊張と罪悪感に押し潰されそうになる。それに反発するので、十代の少年には手一杯だった。
 過酷な運動をしていないのに呼吸は酷く荒くなる一方だ。それでも、脚を動かさねばならなかった。動かさねば補導銃殺されるからだ。
 二十分間苦しさに胸を抓り上げながら歩き続け、東京のシンボル――東京スカイツリーの脚元に辿り着いた。橙色に不気味に染まった電波塔と、そこに群がるように密集する店と、その横を寛大にも流れる川が見えた。
 ……少し、休憩しよう。
 倒れてしまいたくなった少年は、シャッターの閉まった店――スカイツリーの真下にあるコンビニだ――の前に腰を落とした。
 少し。ほんの少しだけ。まだ逃げなくてはならないのだから。
 少年はそんなことを思いながら、瞼を閉ざした。
 瞼の裏の色は、暗闇の黒色ではなく、逃れられないオレンジ色だった。

***

 恐らく六〜七ヶ月前。まだ一日が二十四時間だった頃、人間は平凡だった。ある者は凡庸に正気であり、ある者は常識的範囲内で狂人であった。
 少年――昏殻くれがらこばみもまた普通。黒髪黒瞳の、中学校に通い、友達と遊んで恋をする青春真っ只中の青少年であった。
 彼には当時付き合っている恋人がいた。今はもう名前も思い出せないし、出来る限り思い出したくもなかった。扉の奥底に閉じ込めて鍵を掛けておきたかった。
 だがそうしたところで、鍵を壊して扉を蹴破り、記憶は拒を侵食する。
 忘れるはずも無いのだ――恋人と遊園地デートをしていた日曜日のことであった。
「もー! そんなに絶叫マシン弱いなら言えば良かったのに!」
「……いや、君があんまりに楽しみにしてたから、さ」
 ジェットコースターが苦手な拒は、恋人の誘いを断り切れずに乗ってグロッキー状態になってしまっていた。恋人はそんな拒の優しさに苦笑しながら冗談を返す。
「完全に名前負けしているじゃない!」
「……ぐぅの音も出ないね」
 乾いた苦笑を漏らすと、ついでに胃の中のモノも漏らしそうになり咄嗟に手で口を覆う。「ほらほら、無理しないの」と恋人が背中を摩ってくれた。何だか情けない、と思う。
「……まあ、でも。そういう優しいところは好きなんだけどさ。無理しちゃうのは、ちょっとアレだけど」
 拒の代わりとばかりに苦笑しながら、彼女は言う。拒はそんな彼女に惹かれていた。彼女もまたそういうところが何だか放っておけなくて、愛しくて、拒が好きであった。
 淡い、泡のように消えそうな恋人関係。
 それが本当に弾けて無くなるなど、思いもしなかった。

 突如。
 頭を鈍器で殴られたような感覚が走り、なす術も無く頭を地面に叩きつけられる。
 何が、と拒は思うもあまりの力に起き上がることすら出来ない。無様な格好で地面に押し付けられていた。ちらりと見ると、彼女も同じ状態だった。気絶しているのか、だらりと力を喪っている様に見える。
 いや、彼女だけでない。
 この遊園地にいるが同じ状態になっているのが見えた。
 拒が状況を把握するのはそれが限界だった。割れる様な頭痛――脳味噌をパン生地みたく捏ねられる感覚がする。生涯で感じたどんな痛みより、それこそ骨折した時より、遥かに痛い。
 痛い、嫌だ。助けてくれ。
 救援要請とも命乞いとも取れるその言葉の届け先は居ない。それでも拒は無力だった。無力さに歯噛みしたいが、激痛でそれも出来なかった。
 永遠にも感じられた一分が経ち、重圧が無くなった。俯せのままふうと息を吐いた拒は、仰向けのまま息だけはする彼女に目を向ける。
「……ね、ねえ」
 呼びかけた。応答がない。
 ずるずると這って近付く。頭痛の余韻の為か上手く体を動かせない。
 だが、手で地面を掴んでは体を引き摺ること二分。彼は辿り着いた。これが恋の力なのか、と真面目に思って肩に手をかける。
「ね、ねえ」
 体を揺する。それでも目を覚まさない。
「ねえ」
 何故目を覚まさないのか分からない。
 呼びかけているのに。恋人である自分が、こんなにも。
「ねえってば」
 肩を揺する。呼びかける。返事はない。
「ねえ、ねえってば」
 肩の稜線に沿って、滑らかに手が移動する。
 首筋へと、徐々に。
「ねえ」
 首に、手をかける。
「ねえねえねえねえ」
 そのまま力を籠める。
 呼びかけているのにどうして応じない?
 どうして? どうして? どうしてだよ?
「ねえねえねえねえねえってばあああああああ!」
 ……。 
「あああああああああああああああああ」

置いて行かないで置いて行かないで僕を拒まないでくれこんなにも愛しているのにどうして呼びかけに応じてくれないの僕のことが嫌いになったの嫌だ嫌だ嫌だ嫌だそれなら僕のことを好きなままで少しでもいられるように早く殺さなきゃ殺して僕を好きな君を保存しなきゃ保管しなきゃ保全しなきゃ死ななきゃそうならないんだ死なせなきゃそうならないんだ。

 
 

 首の骨が、折れる音が鳴った。
 瞬間、拒は意識を取り戻す。
「……あ」
 最初に、柔らかな首を握り絞めていた感覚。次に、青褪めた彼女の横たわる体。首には手の痣。愛慕の中に困惑が混ざり、人生で感じたことのない感覚に襲われる。
 辺りは悲鳴と怒号と発狂の大合唱が沸き起こっているが、そんなものすら耳にも目にも入らない。
「ね、ねえ」
 拒は彼女の体を揺する。目は開いているのに返事がない。
「ねえ、ねえってば」
 動揺したまま揺すって漸く、首元に手型の痣が出来ていることに気が付く。
 ……死んでいる。いや、殺された。
 
 拒は自分の行動を思い返す。突如襲われた頭痛が止んで、倒れている彼女に気付いて、それから――。
「体を、揺すって」
 手は、首筋へ。
「……嘘、だろ」
 手型の痣に、自分の手を合わせる。
 ピタリと、一致した。
 つまり、そういうことで。
 そういう、ことで。
「あ、あ」
 拒自身はこれ以上の言語化を拒否したが、一言で言えば。
「あっ、あああああああああああああああっ!!!」
 拒は、自らの恋人を絞殺した。
 気づいた彼も発狂し、狂乱の大合唱の一員に加わった。

 ――昏殻拒が初めて殺人を犯した日に起きたその現象の名前は、壊理アンチロジカル
 名前の通り、世界にあった条理や常識が崩れ去る厄災の如き現象。
 そのせいで一日は二十六時間から二十八時間のいずれかになり。
 昼は緑、夜は橙の空になり。
 何より――全生物が変質した。
 竜人が緑天を舞う。鯨が巨大化して空を遊泳するようになり、昼はビルを食い、夜は皇居の堀で眠る。警察官が正義の執行と称して軽犯罪者を頭部射撃ヘッドショット。頭が蓄音器になったギャルが原宿でクラシックを流しながらネットに(相当努力した)映え写真ベストショットを上げる。
 ハロウィンの祝祭気分とCGの産物と思いたい光景が、日常と化したのである。
 それだけではない――何故か人間には、外論ファンタズムと呼ばれる異能じみた条理が一人一つ課された。
 例えば、娯楽から殺人まであらゆることを愉しいとしか感じられなくなったり。
 例えば、傷病者を診るとどういう訳かたちまちその人を衰弱させて殺してしまったり。
 例えば、全世界の情報が強制的に頭の中に流れ込んだりする。
 そして、その条理を何が何でも達成しようとしてしまう――そのためなら異質な力を手にし、異常な行動をし、果ては異形にもなり得る。ただ力を手にするだけなら利用すれば良いが、使い方によっては自他共に破壊する危険な代物でしかない。
 しかも初めはどんな外論ファンタズムを背負わされたか自分で分からない。経験したくもないことを経験しながら学んでいくしかない。
 五人の少女を殺したこの昏殻拒に関して言えば、『獲得欲求と拒絶拒否』とでも命名すべき外論ファンタズムを獲得していた。
 何をどうしてでも必ず目の前の好きな人を獲得しようとし、少しでも拒絶の意志が見えた途端――例えば、断りもなくトイレに席を外したその行動だけで――好きな人を留めようとする。
 壊理アンチロジカル前までは平凡な少年であった拒は、この自らの性質を最低最悪だと断じつつ、抗うことができずにいた。
 目的も意図も一切不明のこの外論ファンタズムは、当人の意志や意識を超越する。
 抑えることは、誰にもできない。

***

「……っ、は!」
 目を覚ました。
 今何時だ、と慌てて時間を確認する。午前二時。まだ逃走するには時間は有り余っていた。
 悪夢のせいか脂汗塗れで、夜風に吹かれて風邪を引きそうだ。だが構いはしない。
 兎に角また動かなければ。眠気と疲労で重い体に鞭打って立ち上がり、引きずるように歩く。
 どこに逃げようか。どこでも良い。なるべく遠くへ。捕まりたくない、死にたくない。罪人なのに――違う、ふざけるな。
 何で、自分のせいではないのに、こんな苦しい思いをせねばならないのだ。
 歯を食い縛り、拒は生きる為に一歩を踏み出し始める。

「あははははははっ!」

 突然、上から笑い声が響いた。
 びくりと体を震わせつつも、視線を空へ向ける。
 空飛ぶ竜人――あの日の副産物で生まれた異形だ――と、恐らくは少女。2人が何かを話しているらしいが、距離がありすぎて聞き取れない。
 良いなあ……と呑気に思う。東京のシンボル横の晴れ渡る橙色の夜空を眺め、ロマンチックに恋を育んでいるように見えたからだ。
 ……いや、ぼうっとしている場合じゃない。逃亡を再開しようとしたその時。
 ぱん、ぱん、ぱん。
 軽い――発砲音が三発。音源はあの二人の場所から。直後、絶叫した竜人が抱えていた少女を手放し落下していく。
「……は?」
 短時間に起こった異常事態に困惑していると。
 竜人が少女の方へ追いかけていく。少女を助ける為か――否。落下する少女に構わず何かを拾った途端、空中で静止する。そして絶叫の後、『何か』をそのまま自らの額に押し当て――四発の銃声が鳴り響く。全残弾による拳銃自殺を遂げた憐れな竜人は全身から力を失い、そのままスカイツリー横の川へと飛沫を立てて消えて行った。
 比較的一般人の拒は、事態について行けない。
「そこどいてー!!」
 困惑する間に少女が落ちて来た。あと3秒で地面に激突する。
 体が硬直する。咄嗟過ぎて反応が追いつかないのもそうだが、それ以上に少女の言葉に思考がショートしたためだ。
 「助けて」ではなく。
 「そこどいて」なのだ。
 如何に条理が捻じ曲がっても助けの手を払い退けて地面に激突死する思考など、する筈もない。
 大体、この少女。
 想像するに拳銃自殺をしていたのではないのか?
 だとすれば、何故生きている。
 これ以上考えたくもない――目を背けようとしたところで少女が落ちて来て、目が合う。
 可愛い顔してるな――外論ファンタズムにより異常正常にも、拒がそう思った瞬間だった。
 少女は可愛らしい唇の狭間から、恍惚にこう呟いた。

「あ、タイプだ」

 にこり、と少女は向日葵の様な笑顔を見せた。
 そして笑顔諸共、顔面と頭蓋が砕け散った。
「っ、ああああああああっ!?!?」
 拒は腰を抜かした。少女の肉と骨と内臓が辺り一面とっ散らかっている。とてもまともな死に方じゃない。
 大体何がどうなったら、竜人が絶叫の上拳銃自殺し、少女が上空から無残な死を遂げるのか。状況を呑み込めない。喉を詰まらせ窒息しそうだった。
 何なんだ、何なんだこいつらは!?
 過呼吸気味の拒は背を向ける。幾ら世界が崩壊しているからとは言え、幾ら自らが外論に毒されているとは言え、そして悲しいかな、死体を見慣れているとは言え、この狂気に相対できる程、拒は人間を辞めていなかった。
 が。
「ちょっと待ってー!」
 背後から、少女の声が聞こえる。
 逃げる脚が凍ったように止まる。全身にぶわりと汗が噴き出る。
 冗談だろ?
 冗談だと、言ってくれ。
 ゆっくり、視線を回した先には。
 血と脳漿の海に立つ、傷一つ汚れ一点も無い異常な少女。
「……な、なん」
 舌が動いてくれない。歯が勝手に鳴る。喉が締まるし唇が震える。
 脚よ後退せよ――と人間としての本能が告げる。
 だが。
 『獲得欲求と拒絶拒否』の外論ファンタズムが、背中を押して前進させる。
 ほら、笑顔の素敵な少女だろう?
 しかもときた。
 ここで手に入れないで、一体いつ手に入れるんだ?
 ――黙れ、と抵抗すらできない。抵抗できたら逃げている。
「あは」
 そんな拒に、少女は笑って尋ねる。
「私のこと、好きなの?」
「ああ」
 即答。外論ファンタズムによって躊躇いも衒いも無く口が動いてしまう。目の前で少女が落下死して甦った異常事態が置き去りにされてゆく。
 此処には、更なる異常に呑まれて惹かれ合う少年少女しかいない。
 少女は拒に近づき、手を取って顔を見つめる。
「……ふーん、なるほどね」
 何をどう納得したのだろう。それは少女しか知り得ない。
 そんな彼女は――『死なない』外論ファンタズムなのだろうと拒は推測する――、唇同士が触れ合いそうな距離まで拒に近づき、元気に自己紹介をした。

「初めまして。私の名前は氷空町そらまちしのぶ! 私、君のこと好きになっちゃった!」

***

 ある日、少女が空から降ってきた。
 但し此処から幕を開けるのは、胸踊る冒険譚ではない。
 血飛沫が上がり死体が踊り狂う、過激で過酷な恋愛譚だ。

続く


続きの2話目は、『無数の銃弾vol.6』でも掲載中!気になる方はぜひ!100円です!

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