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小説『生物失格』 3章、封切る身。(Episode 13)

目次
前話

Episode 13:先に立たぬ。

 5分くらい経っていただろうか。食堂に戻るとカナが変わらぬ笑顔で談笑していた。ホッとすると、カナが振り向き手を振る。
「おかえりー……ってキキさんと一緒だったんだ」
「帰る途中に偶々会ってね」
 自然に返して席に着く奇季。彼女に倣って自分もカナの隣に座る。
「えーた、おかわりとかしなくて大丈夫?」
 カナに訊いてもらったが、これは丁重に断ることにする。
「いや、お腹いっぱいだから大丈夫」
 勿論嘘だ。
 敵地の食事に手を出すのはそもそも危険だから、これ以上胃の中に入れたくないだけ。席を外した間に毒を盛るなど赤子の手を捻るが如し。皿でもスプーンでも好きな方に好きな毒を好きなだけ塗れば、あっという間に毒殺出来る。小学生でも可能な犯行だ。小学生に出来るのだから、ここにいる全員が出来る。
 ……カナ以外は。
 流石にカナはそんなことをしないだろう。逆に「何してるんですか?」と止めにかかるに違いない。そう尋ねられたとしても、このピエロにははぐらかす術を手に余る程備わってるのだろうけど。

 ……ところで。
 自分は一体、あと何度カナに嘘を塗り重ねれば良いのだろうか?

「そっか――と、ところでさ、えーた」
 カナは、バツが悪そうに急に歯切れ悪くなった。何を言いたいのかは、大体予想がつく。
 さっき奇季も言っていた。。ならば、此処で標的をみすみす逃す訳にはいかない。
 狩りの基本だ――獲物は囲い込んでこそ。
 であれば、ピエロ達の取り得る選択肢はただ一つ。
「……一晩泊まりたい、ってか?」
 カナに、「お泊りしてみない?」と勧めることだ。
 予測通り、カナは一瞬目を見開いてそれから目を伏せた。当たりらしい。当たってしまったか。景品の1つでも欲しいものだ。戯言だが。
「ど、どうかな……?」
 上目遣いに尋ねてくる。自分の答えは決まっていた。

 これも狩りの基本だ。
 餌を吊り下げておく事。ここに於いては帰宅するという事が餌の様なモノだ。そこに自分が食い付いたら最後、家まで尾けられてしまう。そうなればいよいよ逃げ場をなくしてしまう。自分の家以外に帰る場所を無くせば、当てのない逃避行を続けざるを得ないからだ。それこそ、サーカス集団に殺されるまで。
「もし、皆さんがお邪魔じゃなければ――」
「私は構わないよ☆」
「む」
「私も良いよー」
 他の全員も即決だ。この時ばかりは判断の早い連中である。
「……え?」
 唯一困惑しているのがカナだった。自分は宿泊に乗り気じゃなくて説得しなきゃ、とか思っていたのかもしれない。
 勿論、此処で帰っても良かった。寧ろそうするべきだろう。だが、残念ながら自分は口出しすることが出来ない。カナが楽しいと思っていることはとことんまで体験させてやるべきだと思った。無論、その為には自分が殺されないことが最低条件だが、そこは後で奇季とビスタと詰めるとしよう。
 それにカナを殺さないという先程の言伝を信用するならば、1泊したところでカナには危害を加えられる事は無いと踏んだ。第一、よく考えなくとも、殺すつもりならばこのサーカスに足を踏み入れた時点でもう殺している筈だし、自分が此処に戻って来た時にバラバラ死体になっていても可笑しくなかった――想像すらしたくなかったが。
 だから、お泊り会に乗ってやろうという訳だ。殺されずに一夜を過ごし、カナと再会することが出来ればまだ希望がある。その後で殺されそうになったとしても、切り札の警察を使えば宜しい。

 ……そういう訳だから。
 奇季から話を聞いた時からずっと、気味の悪い疑念がついて回っている。
 何故、、と。
 そもそも何ですぐに殺さず、殺したい人間と共に時間を過ごしているのだろうか、とも。
 いつでも殺せるからか。或いは? 
 しかし道化の真意など考えて解るはずもない。

 閑話休題。
 呆けているカナに目を覚ます一言でも入れてやろう。
「……泊まらないのか?」
 瞬間、はっとカナは我に返ってぶんぶんと首を横に振った。
「泊まる! 泊まりたい! え、いいの、えーた?」
「無論だ。それとも、そうか、自分はカナのお願いを跳ね除ける程薄情な奴に見えたのか……」
 よよよ、と泣く素振りでもしてみようとしたが、見っともない大根役者を晒すだけになるのでやめにしておいた。だが、この冗談を間に受けたのか手でわたわたと空を切りながらカナは慌てる。
「そんな訳ないじゃん! えーたはいつでも優しくてカッコいい自慢のパートナーだよっ!」
 ……。
 …………。
 そんなストレートに言われると、何かこっ恥ずかしい。それはカナも同じで、顔に急激に朱が差す。毎回のことだが、何で自滅してるんだカナ。
「おやおや~☆ お熱いですね~☆」
「む、む」
「うんうん、若いねえ」
 冷やかしを入れてくる女性3人。カナは「もう! からかわないで下さいっ!」と怒るが、それすら愛おしいのか母親然の微笑ましさを送っている。確かにこんな子が娘だったらさぞ可愛いだろう。だが自分のものだ、お前らには渡さない。
「と、とにかくっ!」
 そんな雰囲気を破ったのは他でもないカナ自身だった。耐えられなくなったに違いない。
「お泊りっ! させて頂きます! お願いしますっ!」
「おー☆ よろしく☆」
「着替えとかは持っていないだろうから、サーカスにあるもの貸してあげる。あと、お風呂は流石に此処には備えてないから近くの公衆浴場に――」
「む、む」
 可愛らしい――ふざけるな――ただの笑顔を振り撒くピエロ。てきぱきと用意を進める奇季。歓迎の握手をカナと交わす曲弦師。
 ……ということで。
 サーカスの舞台裏でお泊りをするという謎の展開に突き進むことに相成った訳である。まずは、近くの公衆浴場に皆で行くこととしよう。

***

 ……今にして思えば。
 やはりこの時点で帰ってしまえば良かったと、自分は後悔している。
 カナが楽しめれば良いとかそんなことは置いておいて、餌だろうと何だろうと食い付き、さっさと警察に頼るなり何なりすれば良かったのだ。
 そうすれば、きっと。

 
 
 何より――済んだのに。

 ――肩に爪を食い込まされた自分は、狂乱させられたビスタの目玉にナイフを差し込んでいる。鈍色の刃に血が伝い、顔を優しく叩きつける。
 何の先にも立たない後悔だな――頭の中で勝手に巡る記憶に唾を吐き捨てた。どうせ、あの時のカナの心情を慮って宿泊には同意していただろうから。100の可能性があったとて、1000の可能性があったとしても。
 ビスタの目玉に刺し込んだナイフを、180度ぐるりと回す。激痛に焼かれる咆哮を、百獣の王は放った。血が、更に噴き出る。

***

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