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小説『生物失格』 3章、封切る身。(Episode 14)

目次
前話

Episode 14:裸の付き合い。

 サーカスのテントが張られている町一番のショッピングモールから(主観的にはそこそこ距離の離れた)徒歩10分の位置に、町唯一の銭湯がある。いつもは周辺住民が数人集まれば関の山だが、大挙で押し寄せ、今や数十人がごった返して大盛況だった。
 番台を通って(ちなみに銭湯代は奢ってもらった)中に入れば、けたたましい雑談が鼓膜を殴打してくる。頭が痛くなりそうだ。近隣の迷惑にもなりそうだったが、銭湯の主人にはあまり咎める気も止める気がないらしい。寧ろ賑やかしくなって嬉しいのかもしれない。自己中心的だと思った。人間、自己中心的であるのが正常だから別に良いのだが。
 大体、自分とカナ以外の全てが滅べば良いと思っている人間が、自己中心的であることを非難する謂れはない。
 辺りの人間を一瞥すると、そこそこに筋肉質な体が目に入る。体の太さには違いはあるが、一様に筋肉がついている。それが無いと道具を正しく支えることも出来なければ、的確な姿勢を保つことすらできないからだろう。しっかりとした土台の上に演技は存在するのだ、と思った。

 そして、それらの体には傷一つ存在しない。

 大変良い事だと思う。傷なんて、無い方が断然良いに決まっている。
 、という言葉があるが、自分は明確にその言葉が嫌いだ。傷は何がどうあれど傷でしかない。ただ痛々しい過去を体に刻み付けられただけのものだ。その過去に真正面から向き合いたくないから、『傷は得てして良いものなのだ』という倒錯した論理を成立させ、斜めに見ようとする。
 そんな面倒な事を考えずに済むのであれば、その方が良い。だから自分は、このサーカスの人間達のことを『良い』と思う。

 服を脱ぐ。夏に近付いているから、薄手のシャツを脱げば直ぐに肌が露になる。
 ……その瞬間が一番嫌いだ。
 何故なら、自分の体に刻まれた古傷過去に向き合わせられるから。

 ケロイド状になった火傷痕。
 多数の切り傷。
 皮膚に沈着してしまった痣の跡。
 共に甦る、あの拷問の記憶。

 ……っ。
 キツイ。最近は奴の近親者に会ったから尚の事鮮明に思い出してしまう。あの日々を。四肢を動けない状態にされて、ただひたすらに。
 ただひたすらに。
 ひたすら、ひたすら、ひたすら、ひたすら――。
「おう、兄ちゃん!」
 その時、ポンと肩に手が置かれる。条件反射的に身を引いて距離を取ると、滅茶苦茶ガタイの良い男が立っていた。
「お前さんが今日泊まるんだって? よろしくな!」
「……はい」
 生返事をしてしまったが、割と助かったと思うべきだろう。こんな公衆の面前で、自分の古傷を原因に取り乱す訳にはいかない。
 普段ですら、カナに見つからない様に心の内で錯乱しているというのに。
「お前さん、これから風呂に入るんだろ? 折角だ、俺が背中流してやるよ!」
「……い、いえ、お構いなく」
 マジで構って欲しくなかった。コイツのパーソナルスペースどうなってるんだ。線引きを破壊してズカズカ入り込んできやがって。
「そうか――ま、楽しんでってくれ。ここの銭湯は最高だぜ! っつても、兄ちゃんの方がこの町の先輩か!」
 豪快な笑いを飛ばしながら、男は戸をがらりと開いて湯煙に消えて行った。
 ……先輩か。まあ、確かにそうかもしれない。
 なら先輩風吹かせて一言言えば良かっただろうか。人と人は適切な距離を取るべきだと。

***

 銭湯は、よく出来た施設だと思う。
 元々は1つの大浴場を巨大な壁で2つに区切っているだけに過ぎない。それどころか壁と天井はくっ付いていない――隙間が出来て、その部分だけ男性と女性の浴場が繋がっている。恐らく排気口の問題なのかもしれないと推測する。
 そんな状態になったら、普通は声が筒抜けになってもおかしくない。
 しかし、その壁と天井の隙間は最低限しか空いておらず、また壁が高い故に隣の声が漏れる事は殆どない。単に男性浴場が煩いからかもしれないが、そうでなくともはっきり聞き取れる様な状況ではない。
 これは非常に困った。
 別に入浴中の女性の事が気になるとか、青春真っ盛りな青少年らしい理由ではない。問題はカナの事だ。
 壁一枚隔てた先で最悪の場合が起こる事もままあり得る。今何が起きても、自分は何もできない。
 ここは奇季を信頼するしかないのか。カナと同性かつ味方と言えるのは今や彼女だけだ。祈るしかない。無力感をそれとなく感じながら――。
「気になるのか、兄ちゃん」
 ……脱衣所で声を掛けてきた男がいつの間に隣にいた。何なんだコイツは。何故こんなに突っかかってくるんだ。
「……何がですか」
 だが一応反応はする。世間を上手く渡る為には諦めで面倒を抑えつける事も必要――。
「女子風呂の光景に決まってんだろ?」
 ……あ、駄目だ。これ以上コイツとは会話できない。
「ちなみに俺ァ断然奇季さん推しっておい待てよ出て行こうとするなって、あまりにデリカシーの無い話だったよな、謝るからもうちょいオジサンの話に付き合ってくれよ」
「……」
 本当に何なんだコイツは。
「……まあ、そこまで言うなら」
「おっ、ノリ良いねェ兄ちゃん」
 中学生相手にここまで突っかかって来るのは、はっきり言って気色悪い。まあ、「奇季さん推し」だと口走っていたから少年愛ショタの気は無いと信じたい――。

 ……

「……そう言えば背中流してくれるとか言ってましたよね」
「ん、嗚呼。言ったぜ」
 妙な引っ掛かりを感じた。何故感じたのかもはっきりしている。
 だが、本当か? 本当にそうなのか?
 こればかりは、確かめる必要がある。

 親睦を深めるやり方の1つに、裸の付き合いというものがある。
 それを大いに利用してやろうじゃないか。

***

「ふぃー! サッパリしたぜ!」
「ですね」
 そこそこに長風呂をして男子風呂から出て来るが、まだ女性陣はいない様だった。何故女性の風呂というのは時間が掛かるのか自分には全く分からないが、女性というのは得てして身を清めるのに細心の注意を払うらしい。カナの個人的な意見だけど。
「兄ちゃん、何か飲みたいモノはねえか? 遠慮は要らないぜ」
「……ならフルーツ牛乳で」
「良いチョイスだ! 俺もそれにするか」
 コインを数枚入れてボタンを押下。自販機内部に備わるアームが目的地まで移動し、フルーツ牛乳を掴んで取り出し口に落とし入れる。ガラスと金属のぶつかる無骨な音が鳴った。
「ほいよ」
「ありがとうございます」
 フルーツ牛乳瓶を受け取る。冷たい。プラスチックの蓋を開けて、黄色っぽく着色された甘い牛乳を流し込む。
「っくあー!!」
 隣で男は腰に手を当て古典的スタイルでフルーツ牛乳を一気飲みした。
「風呂の後の一杯は格別だぜ!」
「ですか」
 確かに格別だ。まあ、熱いものに浸かった後に冷たくて甘いものを摂るのが心地よいのであって、別にフルーツ牛乳でなくても良い訳だが。
 男は空き瓶置きに瓶を置いて、自分の隣に腰掛けた。
「しかし」と自分は周りを一瞥だけして、男に言った。「とは思いませんでしたよ」
 男は一瞬だけ固まるが、意味を理解したのかニヤリと笑む。
「上手いもんだろ? 俺ァその道のプロだからな!」
 側から見たら訳の分からない会話だろうが、それで良い。。だが、いつまでもこのノリを続ける訳にはいかない。話を戻そう。
「そういや、サーカスって出てましたっけ?」
「いんや、俺は新参者だからな。臨場感溢れる職場に就けたのはつい数日前ってとこだ。まだまだ出るには鍛錬が足りねえよ!」
「ですか」
 サーカスって凄えのな、と男は続ける。
「まさに柔も剛も兼ね備えた肉体だらけ、男性も女性もだ。それに裏付けられた演目は舌を巻くしかなかったぜ。俺が追い落とすにはまだまだ時間が掛かりそうだ」
「……何か」
 自分は言った。
「何か、出来る事があれば言ってくれれば」
「何言ってんだ」
 男は背中を叩いてがははと笑う。痛い。手加減くらいしてくれよ。
「コイツは大人の領分だ、子供は大人しくしてな」
 ……とは言うものの。
 一応忠告くらいはした方が良いかもしれない。
「……2つだけ良いですか」
「何だ?」

。それから、になるかと」

「……間違いは無さそうだな」
 男はまた微笑んだ。
「ありがとよ! その忠告胸に、これからも精進しますかね!」
 そう言って男は立ち上がり、場を後にした。それと立ち替わる様に、女子風呂からカナがピエロと奇季を連れて出て来た。
 ……。
 あれ、気のせいだろうか。カナの顔が何だか真っ赤だ。温泉に茹でられたかの様に。
「……カナ?」
「あ、うえ、えええ、えーたっ!? な、なんでもないよっ!?」
 まだ何も言ってないんだけど。
「もう、可愛いんだからっ☆」
「ノゾミは可愛がりすぎ。もうまともに口きけなくなっちゃってるじゃない」
 本当に何の話をしてたんだ。
「な、なななな、なんでもないからねっ! ねっ!!」
 お目目ぐるぐる状態のカナが自分の服を掴んで何だか必死に弁明している。可愛いことは可愛いんだけど。
「……まあ、深くは聞かないでおくけど」
 言いながら、風呂上がりのふわっとしている髪の毛を撫でる。ドライヤーで乾かされた髪はさらさらで触り心地が良い。少しだけシャンプーの匂いも漂う。
 さらさらの髪を堪能しつつ、しかし。
 深くは聞かないけど、これだけは訊いておきたかった。
「カナ」
「な、何かなっ!?」

「……楽しいか?」

 その質問に一瞬だけキョトンとし、それからいつも通りの笑顔を浮かべ。
「もっちろん!」
 快活な返事をしてくれた。よしよし、平常心に戻った様だ。
「じゃあ、戻りましょうか」
 ピエロ達に言いながら、カナの手を握る。その瞬間、カナはまた茹蛸の様に顔を真っ赤にしてしまった。

 隣でテンパってるカナはずっと、何かを呟いている様に見えた。
 ……聞き間違えじゃなければ、「こ、今夜。こここ、今夜……」と言っていた。
 まさかな。

 ……いや、まさかな?

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