小説『生物失格』 3章、封切る身。(Episode 12)
Episode 12:『対』話。
「ねえ、どうなのさ。答えてよ」
マジシャン、奇季。苗字すら知らない彼女は、シルクハットの下で微笑みながら質問してきた。
……どうする?
自分の頭がフル回転しているのが分かる。『最低』先生に『空回る思考回路』と言われたあの記憶が不意に脳内の引き出しから滑り落ちるが、空回っても何でも、回さなければ意味が無い。行為を行えばコンマ以下でも正の数にはなる(口が裂けても『1にはなる』なんて言えない)が、何もしなければ本当にゼロにしかならないのだ。
目の前のマジシャンは、敵だ。自分の命を狙うサーカス集団『ノービハインド』の一員。京戸希望の手に落ちた、自分に危害を加えることを命じられた操られ人形でしかない。
此処で戦うのは得策ではない、愚策だ。この後に待ち受けるのは、騒ぎを聞きつけてサーカスの団員達が来て、自分を嬲り殺しにする未来だけだからだ。如何に今ライオン『ビスタ』を手懐けたとは言え、大人数で襲われてはさしもの猛獣と少年如きでは刃向かいきれない。
ということは、取り得る手段はただ1つ。
「……嘘ですよ。あの場ではライオンに触るのが怖かったんですが、気が向いて触りたくなりましてね。トイレのついでに――」
対話をすることだ。古来から、武器を交わす対決を避けるためには、口で戦う『対話』をするものと相場が決まっている。空回る思考と同様に、舌も良く回った。空回りでも回ってくれて良かった。
とは言え、ささやかな抵抗でしかない。最早自分にはこれくらいしか対話の手札が残されていない――。
「だろうね」
奇季はしかし、特に驚くこともなく返してきた。
「あの時には察していたよ。この少年は嘘を吐いているのだろうな、って。他の人は気づいてなさそうだから、まあ演技としては及第点という感じだけども」
もしかして、常日頃から口が巧い方だったりする?
トランプのカードを見透かすのと同じことを、自分の頭に対してされている気がした。気持ち悪いの一言しか浮かばない。
「気味悪がってるね。ま、そうだろうけど。でも仕方ないんだ――マジシャンってそういう職業だからさ。人の反応を伺って疑って、意識の隙を突いてあっと驚く手品を見せることが仕事だから」
職業病というヤツか。そんなものを発揮して欲しく無かった。
「……何しに、此処に来たんですか」
早速万事休すだ。対話の手札が少ない事に歯噛みしたが仕方ない。単刀直入に尋ねてみるしかなかった。
「君の手助けをしようと思ってさ」
「……は?」
聞き間違えか?
今、自分の手助けをするとほざかなかったか?
自分の手助けをするということは、即ち、あのピエロ達――サーカス団そのものを相手取ることになるんだぞ?
これは、どちらだ?
本心か、建前か。
「疑われてるかぁ。まあ、無理もない。希望にはそういう力がある訳だし」
「! ……自覚、してるのか」
あのピエロに人の感情を魅了する力があると、はっきり認識しているのか。
「口調が変わったね。僅かにでも信頼されたかな?」奇季は変わらぬ笑みを湛えやがる。「そ、自覚してるよ。希望がこのサーカス団の全員を少なくとも魅了か洗脳かをしていて、今晩にでも君を殺そうとしていることも。全ての状況が分かっているとも」
「……」
そこまで曝け出すか。
しかし、自分は未だにこのマジシャンの言い分を信じ切れていない。裏切られる可能性が充分にあるからだ。これが演技である可能性すらある。
相手はマジシャン――奇術師。奇策の1つや2つがあっても不思議じゃない。例えば、現況を態と開けっ広げにして安心させた所を刺してくる、なんてことも出来る訳だから。
「ふむ。まあ信頼できないならそれで良いよ。私は此処から立ち去るだけだし」
と、奇季はあっさりと踵を返す。その態度の変わり身の早さに怪訝を抱くが、畳みかける様に奇季は続ける。
「大体、私が今この場で君にこの情報を開示して、殺す上でのメリットってあると思う?」
……それはそうだと思い直す。
こんなことを言っては今の自分のように、より警戒されるのがオチだ。敵地に1人で潜入し、突然敵陣の1人から「君に寝返るよ」なんて言われて即座に信じるのは、余程のお人好しか、余程の考え無しかの何方かでしかない。
いっその事、背後から奇襲を仕掛ける方が成功確率は遥かに高い。
「それにさ」出て行くのかと思えば、再び自分の方に向き直りすたすたと足音を殺して近づいて来る。「私が敵であれば、後ろの猛獣が黙ってないだろうしね」
ぐるる、と。そう言えば撫で続けていたビスタから喉を鳴らす音が聞こえた。目の前のマジシャンの言葉に同意するかのように。
にこりと笑ったマジシャンは自分の横を通り過ぎ、檻の前に到達する。格子の隙間から手を差し伸べて鬣を撫でると、これまた気持ち良さそうに喉を鳴らした。少なくともあのピエロの術中に嵌っていない自分と同じ反応だ。
……これは、信用しても良いのかもしれない。人間以外を指標に人間の信頼を測るのは中々に奇妙な気がしたが、実際、現状信頼できるのはビスタしかいなかった。
人間は、信頼するには複雑すぎる。
獣を信頼するには前例が少なすぎるのだが、まだマシなのではないかと心の片隅で思っている。思っているらしいことを自覚した。
とは言え流石に100%信頼、というわけにはいかない。幾ら何でもそれは安直過ぎる。
「まだ信頼度は足りなさそうね」
マジシャンに見透かされ、更に言葉を続けられる。
「……うーん、なら。希望の能力の絡繰りも開示しちゃおう」ビスタを撫でつつ奇季は続けた。「能力というか、本人は呪いって口走ってた気がしたけど」
ピクリ、と。自分の瞼が見開かれるのを感じた。
呪い。呪いと言ったか。
この世界で特に断りもなく『呪い』と言うと、1つしか指さない――死城の呪い。ある日突然全世界に『汚辱』を振り撒いた、世界最悪のテロリズム一族。
自分はその末裔だからな、よく知っている。ピエロの様な呪いを持っている奴もいたとは、流石に知らなかったが。
「目で見ただけで人を魅了する呪い。多分そういう類なんだと思う。だから会話の時とか、私は極力目を合わせないようにしてたけど」
目を合わせれば魅了される。
まるで――蛇頭の女の様な話だ。
「他の人は……まあ無理よね。会話をする時には一瞬だって目を合わせる。その瞬間に全てが終わり。魅了された人間は完全に希望の僕、たとえ何をされたとしてもニコリと笑ったままなのよ」
……ぞくり。この言葉を聞いた瞬間に、自分の肌が粟立つのを感じた。
……カナ。
カナが、危ない。
『魅了された人間は、例え何をされたとしてもニコリと笑ったまま』、だと?
今、あの場にはカナ1人だ。危害を加えられたらお終いだ――!
「まあまあ、落ち着いて」
言いながら、自分は後ろ襟を引っ張られる。喉仏が絞められ思わず変な声を出してしまった。しかし止まっていられない。早く、早く!
「放、せ」
「だから落ち着いてって。希望はあの子を殺さない」
「ど、こに、そんな、確証、が」
「そもそも殺す筈が無いのよ、あの子の事」奇季は、続けた。「何を思ってるかは分からないけど、この舞台裏ツアーの直前に、希望がはっきりと一言ね。
絶対に、標的の隣にいる少女を殺すな。
――ってね」
……漸く襟を離してくれた。思わず咳き込むと、奇季が背中を撫でてくれた。ビスタも唸っていた――それは何やら、自分の身を案じてくれている様に聞こえた。
「『呪い』の力は絶対的。多分あの場で『自殺しろ』って命じたら従うんじゃないかってくらいの力だしね。希望はそんなことさせないんだろうけど」
「……だから、殺さないと?」
「そ」
奇季は短く返答した。
「……」
……最早、何を信じたら正解なのか全く分からない。分からないが、それでも選択するしか無い。何より今は時間が惜しい。
人生は選択の連続だ――巷間に広まるその言説は5文字程欠落している。『人生は半強制的な選択の連続だ』。その選択の先に破滅しか待っていなかったとしても、人生には制限時間がある。悠長に待っていられる訳がない。そうすればすぐにでも時間切れだ。
「……何が目的なんだ」
ビスタに擦り寄られながら、結局自分は奇季を信頼することにした。
裏切ったらぎたぎたに潰すという約束込みで。裏切られた事には恨まないが、代価くらいは支払ってもらわねば。
察したのか、奇季は微笑んで答える。
「別に。客は無事に帰す――エンターテイナーの基本でしょう? まだまだ幼い君達の体にも心にも傷を付けない様に、手助けをしてあげようと思ってさ」
師匠の受け売りだけどね、と奇季は手を伸ばした。
……傷を付けられても自分は別に痛みを感じないので余計なお世話ではある(し、いざとなれば切り札がある)が、カナも守ってくれるのならば有難い。
自分は、マジシャン奇季の手を握った。
「……じゃ、詰める話はあるけど、一旦あの食事場所に戻ろうか」
笑顔で奇季は言う。
「でなきゃ、いい加減怪しまれそうだからね」
「……ああ」
テントの出口へ向かう。去り際、ビスタへと手を振った。ビスタは尻尾を振って返してくれてる様に見えた。芸達者だった。
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