見出し画像

アニメ映像表現の「強度」の問題について(その2)~涼宮ハルヒの場合

アニメ映像表現新時代~再び「強度」への回帰

この稿は、アニメ映像表現の「強度」の問題について(その1)の続きです。とはいえ、その1とその2は、ある程度独立した構成となっていますので、その1を読んでいなければいけないわけではありません。その2が面白かったら、その1も読んで戴ければ幸いですが。

最初に、もう一度「強度」について少しお話して起きたいと思います。

あるものの評価基準が、「面白い/面白くない」だけしかないのはつまらないと思います。ぜひ、強度がある/ないでも評価してやってもらいたいと思います。面白い/面白くないは主観的・感情的な基準でしが、強度になると少しは客観的な視点も入った評価基準になると思いますので、話も広がるのではないでしょうか。

「あの作品、どうだった?」「うーん、面白いとは思うけど、ちょっと強度が足りないかな。シリーズが進めば強度も増していくと思うんだけど」なんていう会話が秋葉原のあちこちでされるといいなあw

超監督『ハルヒ』登場!

■1『涼宮ハルヒの憂鬱』の衝撃

アニメの歴史上もっとも多くの新作が制作された2006年(註1、『ARIA The NATURAL』や『ひぐらしのなく頃に』『コードギアス 反逆のルルーシュ』に混じり、ある傑作が生まれました。京都アニメーション制作の『涼宮ハルヒの憂鬱』です。ストーリィものなのに、時系列をシャッフルした特殊な構成もさることながら、映像の緻密さも注目を集めました。

『フルメタル・パニック』シリーズ(『フルメタル・パニック? ふもっふ』/2003年、『フルメタル・パニック! The Second Raid』/2005年) や『AIR』(2005年)で、元々評価の高かった京都アニメーション(京アニ)の名が、京アニファンの間だけでなく、「京アニのハルヒ」って感じで、それ以外のアニメファンの間にも一気に広まっていきました。

EDのダンスは、作品の枠を越えて人気を博しましたし、第12話「ライブアライブ」の文化祭での軽音楽部のライヴシーンは、《good knows...》をカラオケで歌おうとして本編映像が流れると、歌うのを忘れて見入ってしまうほど精密に描かれています。ロトスコープ(註2を使って制作されたシークエンスとはいえ、その作画法が、目的ではなく見事に手段として機能的に活用されていることに驚きを禁じえませんでした。

後に『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』(2007年、ufotable)で、明らかにこのライヴシーンを模倣したシークエンスが出てきます。エフェクターなどの小物に拘っているほか、カメラも大きく動かして「うちでは『ハルヒ』より凄いことやってます」とアピールしてはいたものの、強度は感じませんでした。それだけでなく、『まなびストレート!』は、フルアニメ並によく動くアニメでしたが、映像表現だけでなく、作品全体の強度も低かったように思います。

ですから、私の考えるアニメの映像表現の「強度」は、作画の美しさや緻密さ、動きの細かさや滑らかさ、はたまた演出の良し悪しとも関係ない領域での話となります。つまり、なんでも過剰に見せればいいわけではないのです。アニメでありストーリィである以上、隠したり敢えて劣化(デチューン)させたりして、視聴者に想像させたり考えさせたりすることも重要だと思います。

その意味で、背景を緻密に仕上げている面では同質の、新海誠(*1973)作品『秒速5センチメートル』(2007年、配給/コミックス・ウェーブ・フィルム)と『魔法遣いに大切なこと ~夏のソラ~』(2008年、ハルフィルムメーカー)を比較すれば、写真を元にしてただ描き込めばいいわけではないことが、良く分かるでしょう。アニメとしてこなれている(強度がある)背景はどちらか、一目瞭然だと思います。

どのシリーズだったかは忘れましたが、『宇宙戦艦ヤマト』で、キャラクタがジュースを飲んで揺れながら減っていくショットを見せるのに、セルを4、5枚重ねてアップにする演出をしていました。技術的には凄いことなのですが、強度の面からは疑問なショットだといわなければなりません。『ハルヒ』は、いい具合に強度の強さを極限にまで高めたアニメ映像だと強く思います。

■2「朝比奈ミクルの冒険」と「ライブアライブ」


『ハルヒ』で、映像的に特に強度の強いものとして特筆したいのは、「朝比奈ミクルの冒険」(ミクル)と「ライブアライブ」(ライブ)です。

「ミクルの冒険」は、ハンディカメラで撮影した自主制作映画という体の、ちゃちさを狙った映像です。画像の色調は彩度が低いし、カメラは不安定で終始揺れていて、構図もむちゃくちゃです。でも、「強度」の面から見てみると、極めてそれが強く出ている表現だと思います。

まず、カメラの正しい構え方も知らないような、アマチュアが撮っているようにきちんと見えますね。画面ブレの効果は撮影段階ではなく手描きだそうですが、大変な技術です。その技術の高さが、映像の強度を強くすることにちゃんと結びついています。カタログ式にいえば、スペックの高さが使用感に直結しているとでもいいましょうか。

「ミクルの冒険」が凄いのは、ちゃちさを狙っていながら、アニメ映像的にはもの凄く高度な技術を使って作られていることでしょう。「脚本・絵コンテ・演出:山本寛」とクレジットされたとき、「山本さん自身が超監督なんじゃ?」と思いました。

一方「ライブ」は、「ミクルの冒険」とは逆に、もの凄い映像を作ろうとして作られたものです。精密な作画(「ミクルの冒険」も精密ですが)とキャラクタの細かな演技。どの瞬間一つ取っても「凄い」としか言いようがない映像です。ロトスコープを使っているのだから演技が細かいのは当然だと思われるかもしれませんが、元となった実写映像以上の演技をキャラクタはしています。

例えば、後奏で長門のソロがあるので、カットがハルヒから長門に切り替わる直前、ハルヒが一瞬長門の方を見ますよね。EDのダンスでもそうですが、ハルヒは長門のことを結構気遣っていますよ。設定上は長門がミスするはずはないのですが、それを知らないハルヒが長門を気にかけている心理が、このショットでよく出ていると思います。また、長門がソロを弾いている最中に、ベースの財前舞ちゃん(註3にカットが切り替わります。その時、舞ちゃんが演奏の成功を確信したのか、満足そうに目を閉じます。このように、キャラクタにその心理が透けて見えるような演技をさせていることが、映像の強度の強さに繋がっているのです。

■3『ハルヒ』の残したもの


アニメに限らず映像作品は、それが映画であるなしに関係なく、小ストーリィや小エピソードを順列組み合わせ的に羅列して連鎖させていけば、それで一本のフィルムにまとまるものではありません。それは、時系列をシャッフルした『ハルヒ』を観た人ならお分かりいただけるでしょう。

TVシリーズは、食事をしながらとかインターネットをしながらとか、「ながら視聴」の前提があります。1週や2週見逃すことはあるでしょうし、そうでなくても黒澤映画みたいに、台詞一つ、ショット一つ見逃したらもうわけが分からなくなる構成など無意味でしょう。主テーマだけを延々と追っていくのではなく、副テーマやストーリィとは関係ないお遊びのエピソードを、そこに適当に絡ませながらシリーズが進んでいくのがTVアニメの本質だと思います。

『ハルヒ』は、本当はシリーズ構成不可能な作品だと思います。その苦肉の策が「時系列シャッフル」だったわけですが、にも関わらず『ハルヒ』は、再放送を待たずに人気作になった(註4、恐らく当時としてはアニメ史上珍しい作品だったと思います。『ハルヒ』は、一つのストーリィを順番に追っていかなくても、魅力的な作品に仕上がることを教えてくれたような気がします。

ゲーム原作のアニメも、その傾向は強いですが、なかなかどうして、一つの大ストーリィを語ろうとしちゃうんですよね。『ハルヒ』と同じ年に制作された『ひぐらしのなく頃に』がかろうじて一つのストーリィに固執せずにいた作品でしたが、『解』で一つのストーリィを語ることにしがみ付いてしまいました(もちろん、その裏には『DEATH NOTE』[2006年、マッドハウス制作、日本テレビ]のように、圧倒的なストーリィで見せる作品もありましたが)。

京アニの『ハルヒ』に続くヒット作が『らき☆すた』です。『らき☆すた』は完全に大ストーリィ無視の作品で、小エピソードの巧みな構成によって、見事に一つの作品に仕上げています。

その後、『ひだまりスケッチ』シリーズや『絶望先生』シリーズ(以上2007年、2008年、シャフト制作)や『スケッチブック ~full color's~』(2007年、ハルフィルムメーカー制作)、『みなみけ』(註5(2007年、童夢制作)のように、小エピソードをひたすら集積していくアニメで印象に残る作品が多いのは、気の所為でしょうか。『まかでみ・WAっしょい!』(2008年、ZEXCS制作)なんて、本当にものすごいことになっていますよね。

しかしながら、映像強度の面からいうと、『ef - a tale of memories』(2007年、シャフト制作)が最近の最強な作品の一つでしょう。

ここで留意して戴きたいのは、ストーリィ性とドラマ性は全く別物だということです。ストーリィ性は回避できても、ドラマ性を回避するには、それ相応の強度が作品自体に備わっていなくてはなりません。そこで重要になってくるのがキャラクタ性です。キャラクタに強度があるか否かによって、作品の評価や価値は大きく違ってきます。

また長くなると大変ですから、今回はこの当たりでお開きに致しましょう。

次回は、ストーリィとドラマの強度についてお話しようかと考えています。

(註*1
新作アニメの制作数(TVシリーズ、OVA、劇場版をひっくるめた総数)は1998年以降ほぼ横ばいで、90から100を少し超える程度でしたが、2004年から急増しました。本文記載のとおり、新作アニメの制作数が過去最多となった2006年は、2003年の約二倍の新作が作られました。

(註*2
ロトスコープとは、実写のフィルムをトレース(なぞる)して仕上げる作画法。簡単そうに思えるかもしれませんが、苦手な人も少なくないとききます。実写映像に映っている人物をアニメのキャラクタ化して描かなければならないわけですから、大変です。

(註*3
原作では、バンド名とメンバの名前は設定されていません。

(註*4
動画投稿サイトが「再放送」に当たるのかもしれませんが。
youtubeやニコニコ動画でも、多数のMAD動画が作られました。

(註*5
『みなみけ おかわり』(2008年、アスリード制作)は、作品世界にストーリィを持ち込もうとして見事に玉砕した例、といったら怒られますかね?

劇場版『涼宮ハルヒの消失』上映会が2022年も世界改変の日(12月18日)にところざわサクラタウンにて開催決定


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?