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友だちと仲間

こんにちは、こんばんは
こかげといいます。

ようこそお越しくださいました。ありがとうございます。

今図書館で借りてきてこの本を読んでいます。

いや別に友だちについて悩んでいるわけじゃないんですけど、
子どもと行った図書館でなんか家事の合間にパラパラ読める本がいいなと思って。

#吉本ばなな さんが一般の方からの友だちについての悩みに答えています。

たとえば

「友だちは結婚して子育てに忙しくしているのに、私は独身で彼氏もいない。距離を感じるし友だちを妬ましく思ってしまう自分に罪悪感を感じる」

というような。(筆者による意訳)

このお悩みを読んだ私の最初の感想は

「うーん、わかるわかる。私もそういう時期あった。だからFacebookやめちゃったんだよねー。自分が結婚して子どもが出来たら変わったけど」

という感じでした。結局自分自身に満足していなければ、友だちとも良好な関係を築くことはできないのでは?と。

でも吉本さんは「妬んだ段階でそもそも仲が良い友だちではないのでは?」とバッサリ笑

回答の中で吉本さんが「友だち」と「仲間」の話をされています。

私が吉本さんの文章を読んだ解釈では

「友だち」は学校でクラスが一緒になった等、身体的時間をある程度の期間共に過ごすことで自然と仲良くなるような存在。そもそも気が合っているのかどうかは別の問題。(人間って適応力ありますもんね)

でも「仲間」は物理的な距離が離れたり、お互いの状況が変わっても会いたいし、話をしたくなる、距離を超えた通じ合えるものがある存在。

つまり境遇が変わったぐらいでお互いの関係が変わってしまうのは「仲間」ではないと。

むむむ…

そうか…そう考えると私に「仲間」はいるんだろうか?

そして、これからそういう「仲間」が出来る可能性はあるんだろうか?

大人になるといろんな「属性」をすでに身に付けてしまっていて、
その「属性」ありきの人間関係の作り方しかできなくなってしまっているから、

それこそ昔あった「ウルルン滞在記」みたいに異国に一人で移住する

とかでなければ、まっさらな人と人として向き合って通じ合うことはできない気がする…

何者でもない自分が相手に何ができるか。

そういう思いやりこそが仲間を作る第一歩なのかもしれないですよね。

今いる友だちも

「いやこの人は私にとって友だちじゃなく仲間だ!」

て思い直すと、向き合い方が変わってくる気がします。

今日もなんとか日付が変わる前に投稿できました。

3日坊主にならないよう明日も頑張ります。








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