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犬と音楽についてのあれこれ

皆さんお元気ですか?僕は元気です。
今は朝の6時半、息子も明香もハリィもエルもチャイもまだ寝てます。皆が寝ているとなんて家の中が静かなんだろう。

今年中にどうしても森日記を書きたくて早起きしました。早起きしたと言うよりも、年のせいか職業柄か、早朝にパッと目が覚めるのです。暖かければサーフィンに行きたいところなんだけど、これもまた年のせいか寒いとどうも海に足が向かないこの頃。日中に陽射しがあって風が弱くて波の良い日を虎視眈々と狙ってます。なかなかそんな日と休みが合わないのがもどかしいけれど、ピッタリあった時の嬉しさといったら!そういうのも含めてサーフィンはずっと楽しくて仕方がない。ここ最近の森日記はお店に関してのお知らせが続いていたので、今日はテーマや決まりもなくフリースタイルで書いていきます。

こうやって文章を書き初めて10年くらい経ちました。皆さんも経験があるかも知れないけれど、朝とか夜中にパッと目が覚めて、頭の中、心の中にその時々で考えていることや想ってることがグルグルと渦巻いて二度寝が出来ない!ってありませんか?僕はたまにそうなる時があって、それって自分の中で外に出したい何かがあって、どうやってその感情を掬い取るか。

感情を言葉にして綴る行為が文章を書くってことなんだけど、その作業を1人で黙々と集中して行っていると、客観的に自分を見つめているような感覚になります。そうするとなんだかスーッと溶けていくような気持ちにって、よし!次に行こうと!踏ん切りがつくんですよね。
自分を表現する一つのツールがこの森日記なんです。
人は何かしら、毎日毎日、表現を繰り返して生きていると思います。
例えば朝起きて、洋服を選んでその服で1日を過ごすってことも一つの表現ですよね。
表現=表に現れる なるほどな言葉だなって。
日々の暮らしの中で選ぶもの、食事だったり、ラジオだったり 、TVだったり、音楽だったり。自分の感覚で選んで吸収した物事が、何かしらのカタチになって表に現れていくと思います。
作家はそれを文章に、音楽家は音楽に、写真家は写真に。といった感じで、自分の中の表に出したい部分が(感情が)カタチになって現れる。

現れる=今まで無かったもの、隠れているものが、はっきり見えるようになる。

僕は43歳なんですが、この歳になって少しだけ自分が見えるようになりました。
えっ?どういうこと?って思いますよね。
今まで見てきた(思ってきた)自分っていうのは実は、幼い頃から周りの影響を受けて刷り込まれてきた一つのイメージだと気づきました。なぜそれに気づいたのかってなると話がとんでもなく長くなるのでまた違う機会に書きたいのですが、とにかく自分が思っている自分って存在しないに等しいんじゃないかと。

子供と暮らしているとよくわかるんだけど、親の世界観っていうのが子供にとっては、かなりのウエイトを背負っていくと思うんです。実際僕もそうでした。
親が絶対というか、それくらい子供にとっては親のエネルギーって良い意味でも悪い意味でも大きい。そこからどうやって抜け出していくのかが、自分を表現するって事と繋がっていると思います。つまり、その中から抜け出せないと、自立は難しい。自立って言葉もなるほどですよね。自立出来ないってことは、1人で立てない、だから人や物に依存して生きていくことになる。

愛犬の「あさ」が旅立った時に、僕の中で何かがリセットされました。
このままではいかん。というかこのままでは生きている意味がない。
今までの人生何やってたんだって。ハッと目が覚めたのです。
なんだか目が覚めてばっかりですが笑
何を表現していきたいのか?全くもってそんなこともぼんやりとしか考えられなかったけれど、あさの死をきっかけに色々な歯車が動き回りました。
そこからのスピードの速さったら!もう追いつくのもやっとです。
その当時には考えもしなかった、メロードッグレスキューとの出会い、ハリィとの出会い、そしてハリィを迎えての暮らし。そこからもどんどん加速していって、ハッと気づけばいつの間にかテラス席が目の前に現れていた。
本当にそんな感じなんです。

そう、あさの死と向き合って、苦しくて悲しくてどうにかなりそうだったけど、明香と息子のサポート、あさの事を書いた森日記(あさへの手紙)を読んでくれたお客さんとのコミュニケーションもあって、なんとか自分で立ち上がって(まさしく自立)歩き始めてやっと今があります。
自分がこれだけ「犬」とリンクしているかなんて思ってもいなかった。
でも、今は犬と触れ合えることがエネルギーの源になってるから不思議なもんです。

その流れで先月【C'MON C'MON】というイベントを開催しました。

愛犬家の集い

カモンカモンが終わってからまだ1ヶ月も経ってないけれど、なんだか1年前の出来事のような気がします。改めて、参加してくれた皆さん、本当にありがとうございます。海岸で雨が再び降り始めた時はどうなるかと思いましたが、とりあえず無事に開催できて良かったです。初めてだったからか、あれもこれもと詰め込みすぎました。まるでフルマラソン!午前のパックウォーク中も、「これからお店に戻って約30人分のランチを準備しなければ!」と言った具合に、終始せかせかしている自分がいました。来年の春にはまた違った感じのイベントをやりたいなって思ってます、もちろん犬がメインです。

個人的に今回、開催して良かったって思えた瞬間は、パックウォークの時でした。
あるご夫婦が犬2頭と参加してくれました。一頭は男の子でフウタくん、一頭は女の子でキナちゃん。
キナちゃんは散歩時に引っ張りぐせがありました。このご家族はずっとお店にも通ってくれてるので、お父さんがどれだけキナちゃんの事を可愛がっているのかを知ってました。それはもう目に入れても痛くないくらい。
メロードッグレスキュー代表の美織さんが、お父さんにアドバイスをして、プチトレーニングが始まりました。こうやって犬のトレーニングを間近で見るのが初めての方も多かったのではないかと思います。

一宮海岸にて

この日は陽射しが暑くて、額に汗をたらしながら、何度も何度も教わったやり方を繰り返していたキナちゃんのお父さん。その姿がこうグッときました。この真摯さこそが愛情表現なんだなって。

美織さんの犬の見方って、僕たちとは全然違うんだなっていつも感じます。その子の性格だったり、環境だったり、飼い主との関係性だったり。その視点から学べることが本当に沢山あります。実際、ハリィを迎えた当初は分からないことだらけで大変だったけど、美織さんの的確なアドバイスとサポートに救われました。
あと犬との接し方、立ち振る舞いがカッコいいんです。ハリ日記に書いたと思うんだけど、パックウォークで美織さんの後ろを歩いてると、親分のあとを歩いてるかのような、ドシっとした安心感があるんですよね。
次にカモンカモンを開催する時には、森喫茶の周りで、美織さんの犬との接し方や、犬との暮らしで困ってることのQ&Aの実演というか、そういう体験形ワークショップな時間を作れたらなって思ってます。また相談しにメローに行かねば。

アフタートーク

イベント終了後に店内で参加してくれた方々と過ごせた時間も楽しかったです。
写真を沢山撮ってくれたエルフのお父さんに感謝します。
ハリィにとっても沢山の犬達と、この場所で過ごせたことが良かったです。

ハリィが我が家にやって来てもうすぐ9ヶ月となります。最初は庭にあるドッグランに入っても、フリーズしてかたまっちゃって全く動けなかった。ご飯を食べるのにも慎重で、中々食べれなかった。散歩でも立ち止まることがあったり。
でも今はドッグランでも走り回って!ご飯もモリモリ食べて、散歩もしっかりと歩きます。しかも、ここ最近は家の中でも僕に少しずつ心を開いてくれるようになったんです!ドッグランで2人でいる時には、呼んでもすぐに来てくれるし、撫でていいよって。でも、家の中だと人の動きと猫の動きに注意していて、中々リラックス出来てないかなって。今はすっかり1人で2階に上がっては布団でゴロンとしたり。しかもね、うちは夜ご飯を食べた後に明香が洗い物担当、僕が2階で布団を敷く担当なんだけど、布団を敷き終えてから「ハリィおいでよ」って声をかけると、尻尾をフリフリ来てくれるんです。その時は息子も一階にいたり、猫もいなかったり、家の中でも2人の時に甘えてくるようになったんです。いや〜嬉しいですね。
1日の癒しの時間なんです〜。正面にちょこんと座って、僕がハリィの首の周りを掻くと「う〜痒いとこそこなんです」って顔するんです。それでね、ちょっと意地悪だけどわざとやめると、「もっと掻いてよー」ってピタって寄りかかってくるんです。それで最終的にはへそ天に!
「ハリィがまだメローに居た時の動画やん!これって!」と感慨深いもんがあります。もうね、本当に最初は家の中で僕が立ち上がっただけで、バッてなって離れていく日々で。この先本当に大丈夫かなって。

ここで話が少し戻るけれど『親の世界観』ってのがここでもやっぱりすごく大切な鍵だと思うのです。ハリィに対して諦めたり、これは無理だって決めつけたりすると、ハリィもそう思ってしまいますよね。これは人も犬も関係なく、親となったからには肝に銘じておかなくてはと、常に心がけています。
とはいえ、何でもかんでもOKっていうんじゃなくて、よく観察して向き合って、今のハリィ、今の息子にとって、どんな環境の暮らしがいいのか?そこを考えて整えるのが親の責任だと思います。こればっかりは一朝一夕ではできない。日々の積み重ねがいかに大切か、そしてその日々がいかに貴重な時間でかけがえのない思い出となるのか。そういったことを、あさ、そしてサンから教わりました。

いつもならこの辺で締めとなりますが、多分この日記が今年最後になりそうなのでもう少しだけお付き合いください。

皆さん、理屈や道理では理解できない出来事を体験したことはありますか?

9月29日 代官山 晴れたら空に豆まいて
EACH STORY presents BEAUTIFUL SOUND
The Vernon Spring Live in Tokyo 2023
Special act 中納良恵

The Vernon Springというピアニストのライヴを観に、久しぶりに1人で東京へ行きました。この音楽家の音は後で貼り付けるとして、今年、いや昨年からひたすら聴いている音楽であります。特に印象に残ってるのが今年の2月かな、福島県へスキーをしにいった時に雪景色の中をドライヴしながら聴いていた時です。
自分自身が風景に溶け込んだような感覚になりました。繊細で静寂で、なおかつ力強いメッセージ性が音に現れていて、今の僕にとって欠かせない音楽であります。

いつ来るんだ?ってずっとアンテナを張っていたら、ようやく情報をキャッチしてすぐに予約しました。代官山の近くで古くからの友人がシルバーアクセサリーのショップを営んでるので、ライヴ前に寄りました。

シュンくんとマルちゃん

アポなしでしかも仕事中にいきなり寄ったからどうかな?って思ってたけど、ウエルカムに迎えてくれた!バルコニーでノンアルコールビールを飲みながら、なんだかんだ2時間近く話してた。シュンくんとは僕が16くらいの時に、新宿は花園神社の隣の地下、そうワイヤーでのロンドンナイトで出会いました。以来、週末の夜遊びの場で一緒だったり、ライヴハウスに行くと必ずいたり。それで呑みにいったりしてるうちに一緒にバンドを組んだり。何回かライヴもしたけど、僕の勝手で解散することになって(当時の僕は本当に自分勝手でどうしようもなかった)。
それでもこうして迎えてくれるっていうか、ずっと繋がっているのが奇跡ですよ、ほんとに。東京の街の空の下、あーだこーだって過ごしてると10代の頃を思い出して、その感覚のままライヴハウスに向かいました。地下のライブハウスに着くと、ちょうど前座の中納さんが終わったところでした。ていうか、お客さんがパンパンでびっくりした。僕は人混みが苦手だから、最後列辺りで立ってライヴを観ました。これまでスピーカーや、イヤフォンを通してしか聴けなかった音が、目の前で演奏してダイレクトに響いてくるんです。東京の地下で。

その時にふと今までに感じたことのない感覚に陥りました。
それは言葉にすると難しいんだけれど、ライヴを観ている自分を、客観的に観ているもう1人の自分がいた。言葉だと、そこにその存在がいた、ってなるんですけど、もっと抽象的というか、感覚で感じたのです。

そしてそのもう1人の自分は、僕を見て「つきあいたい」ってフレーズが、スーッと僕の中に入ってきたのです。中学生の時とかって、好きな子ができると、あの子と付き合いたいなって思いますよね。その感じが自分自身に対してなったのです。
その時、僕は生まれて初めて自分という存在を肯定出来たのかもしれない。
今まで、どこかしら否定的に自分を感じていたのかもしれない。
どちらにせよ、そこには人智を超えた体験がありました。
音楽を通じて。

音楽はずっと僕のパートナーであって、音楽なしでは今の僕は存在しません。
若い頃は、もうどうしようもないような時間を過ごしたり、自虐的になってさんざんな暮らしをしてました。でも、さっきいったようにライヴハウスに行ったり、音楽と触れる時間があったから、ギリギリのところで踏ん張って立ち直れました。
ジャンルは問わず、自分の心に響いた音は忘れません。
常に自分の中で音が鳴ってる気がします。
今後は音楽を通じて、何か表現していけたらと思っています。


いや〜長くなりました。最後まで読んでくれてありがとうございます。
相変わらず、パンを焼いて、ケーキを焼いて、コーヒー淹れて。
山を歩いて、海に入って、ハリィの散歩して。
どんどんどんどん日々は流れていきます。
そんな日常のちょっとした出来事とか、お店でお客さんとのんびりと話せたら。
そういうちょっと息抜きが出来る空間でありたいです。
犬と一緒に。