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「時給」への疑問

TVなどで、「賃金」に関する報道やレポートが多く目につくようになったような気がする。
同じ時期に、資本主義、資本論、メリトクラシー、脱成長主義などの本を読んでいるうちに、賃金が決まる仕組みに関心が向いた。
丁度、前から繰り返し読んでいる「頭がよくなる思考術」(白鳥春彦著)の一説を思い出したので、これも含めて、だらだらつづってみる。

13人間らしく考えよ
葡萄園を経営しているある主人が朝早くに四人の失業者を見つけ、雇うことにした。
「日暮れまで働いてくれれば、それぞれに二万円の賃金を支払おう」
四人の男たちは了承して葡萄園で働いた。
その日の午後遅く、主人はまた一人の失業者に出会った。
「日暮れまで働けば、二万円の賃金を支払おう」
その男も葡萄園で収穫の手伝いをすることになった。
やがて日が暮れ、主人は五人の男を集め、それぞれに約束通りの賃金を払った。
すると、先の四人の男たちが不平を言いだした。
「我々は朝からずっと働いた。しかし、この男は午後遅くからいままでしか働いていない。それなのに同じ賃金だというのは不公平ではないか」
すると、主人は彼らに答えた。
「日暮れまで働いてこの賃金を支払うと契約したではないか。それとも、私の気前の良さに腹を立てているのか」

「頭がよくなる思考術」白鳥春彦

賃金が時給で決まるシステムでは、このようなことは起こりえない。しかし、働いた時間で賃金が決まる仕組は合理的なのだろうかと、ふと思った。
例えば、同じ店でAとBの店員が、時給800円で3時間ずつ働いたとする。いうまでもなく、3時間分の給料はA、Bともに800円/時間×3時間=2,400円となる。
そこに追加の要素として、3時間あたりに応対した顧客の人数が Aが20人、Bが60人だったとしよう。時給換算では、A、Bともに給与は同額だが、応対した人数で割ると次のようになる。
A:2,400円÷20人=120円/人
B:2,400円÷60人=40円/人
上のとおり、賃金を応対した来店客数で割ると、AはBの3倍高い賃金を得たことになる。
更に、来店したすべての客が1,000円の買い物をしたとすれば、
A:1,000円×20人=20,000円
B:1,000円×60人=60,000円
となり、Bが働いていた時間の方が売り上げが多かったことになる。

賃金を、時給で決定する方式では、働いていた時間の繁閑は賃金に反映されない。実務では時間以外の要素も考慮しているかもしれないが、それがなければ、忙しいほど「安上り」な働き手だったことになる。反面、勤務中にこなした業務や作業をもって、合理的に賃金を算定するのは難しい。「同一労働同一賃金」の理想がいつまでたっても実現しないのは、そのためでもあろう。

広く採用されている「時給」による賃金算定は、一つ二つ例を挙げるだけで、その合理性は否定される。私見だが、「日給」、「半日休」などのような定額の賃金に「売上」や「業務量」を反映した賃金体系を構築するのが、「時給」よりも望ましいのではないかと考えるがいかがだろうか?


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