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完璧でないことを微笑む優しさ

最近、自宅でヨーグルトを作れるヨーグルトメーカーを購入した。

「家にヨーグルトメーカー欲しいよね!」

そう言ったのは、主人だった。健康食品には目がない食べ物ヲタクのわたしを見て、何かおもちゃを買ってあげようとでも思ったのだろうか。

「いいね!」

わたしはその提案が嬉しくて、早速主人にモノをアマゾンで購入してもらった。アマゾンには何でも売っていて便利だ。

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最初に作ったヨーグルトは、飲むヨーグルトのような出来栄えだった。

作り方は簡単で、牛乳と種菌になるヨーグルトを少々混ぜて、機械にセットするだけ。寝ている間に完成してしまう。

「ヨーグルトできてるよ!」

朝、主人の嬉しそうな声で目覚めた。夜には牛乳だったものが、朝には容積が増して、ヨーグルトらしくなっていた。

「今夜のおかず(?)にしよう!」

初めて食べた手作りヨーグルトは、牛乳の味がした。さらさらした舌触り。まだ市販のヨーグルトほど上手に固まっていない。それでも嬉しかった。

そういえば、田舎に住むと「自分で何かつくろう精神」が身に付いてくる。

都会に住んでいた頃は、家から出れば歩いてすぐスーパーかコンビニがあった。でも、田舎の家にはそれらが近くにない。

歩けないこともないけれど、特に夜などは暗いし、遠くて出歩くのが面倒だ。

そんな環境に慣れてくると、何かと「家にあるもので作ってみよう」という考え方になってくる。

だから、「ヨーグルトを買わずに自分で作ってみる」という発想は、田舎に住んでみて自然と生まれるものなのかもしれない。

ヨーグルトを作るときには、結局牛乳が必要だから、スーパーに行くことに違いはないのだけれども。

発想の根本にはいつも「作る精神」が横たわっているのかもしれない。物理的に移動が面倒な場面が多いから。

買うわたしから、作るわたしへ。いや、作らないといけないわたしへ。だんだん変わってきている。

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完璧なヨーグルトじゃなくても嬉しかった。

初めてつくったヨーグルトはまだまだだった。でも、すごく美味しかった。自分で作るって嬉しいから。

自分で作ると、完璧じゃなくても受け入れられるようになると思った。

わたしは田舎に住んで、自分で作るようになって、こう思うようになった。

「何でも完璧じゃなくていいんだ。綺麗じゃなくていいんだ。」

きっと完成度は高くなくたって、自分で作ったものは、なんだって可愛いのだろう。田舎に住むと、なんだか優しくなれるような気がした。


そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。