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孤独感との伴走

先日、二泊三日の一人旅をした。

自分から提案したわけではなく、夫に勧められてのことだった。ヤギが来て、世話が忙しくなって、なんだか余裕がなくなっている様子が伝わったらしく、ある日突然「旅行、いってきたら?」と言われた。

「一人旅なんて久しぶりだから寂しい」と思いつつ、少しだけヤギと距離を置きたくて、夫の言葉に甘え行かせてもらうことにした。

ヤギは可愛いけれど、言葉が通じるわけじゃないから、猛烈に心配性な私はお世話過剰になりがちだ。こうした方がいいのか、ああした方がいいのか、要らぬ心配までするようになって、なんだか疲れてしまっていた感じがある。

そんな矢先のことだったから、夫の言葉はとても嬉しいものだった。

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いざ一人旅を始めてみると、いろいろな場面で大きな孤独感に苛まれた。

飛行機の中では前席の人たちがカップルで、楽しそうにしているのが苦しかった。レンタカーを運転するのも緊張した。夕方になると、日が暮れて暗くなるのが怖くて気持ちがざわざわした。入ったレストランが満席で、断られた時のショックが大きかった(田舎町でほとんど人が歩いていなかったのに、なぜその店だけ満席だったのか謎)。

こうして「孤独感」をじっくり味わうことになった。

日常生活のなかで夫がいつもそばにいてくれること、何かあれば両親が即座に寄り添ってくれること、これらがどれだけ有り難いことだったのか、改めて深く理解した。

そういえば孤独については昔から興味があって、人生のテーマにしていることの一つ。

どうして人は孤独を覚えるのか、どうしたら孤独を感じなくなるのか、感じ方は人によってどの程度の差があるのか。「孤独な気持ち」が常に身近にある私にとって、これらの疑問はとても気になるテーマ。『世界一孤独な日本のオジサン』という本を読んだこともある。

「満席です」と断られたレストランをあとに、とぼとぼ歩き、ようやく別の店を見つけた。

店内ではおじさんが一人店番をしていて、私の他にお客さんはいなかった。親子丼を注文することにした。手作りで美味しかった。

おじさんはちょこちょことお話をしてくれて、それまでひどく感じていた孤独感を薄めてくれた。誰かの顔を見て直接話すことってこんなにもあたたかいものだったっけ。人が発する雰囲気、表情、すべてを近くで感じることで心が安心する。

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孤独感を薄めるには「人が物理的に近くにいること」が大切なのだと思う。

もちろん電話やメッセージでも孤独感が薄れることはあるけれど、効果は持続しない。大抵1分もしないうちに再び孤独の波がやってくる。だから無駄な抵抗はしない。電話とメッセージは要件だけでいい。離れている場所にいる人に、できることは少ない。

親子丼を作ってくれたおじさんが私を救ってくれたように、目の前に孤独を感じている人がいたら声をかけてみたい。一緒に暮らす夫を大事にしたいし、両親とこまめに会いたいし、お隣さんや地域の人のためにできることがあればやりたい。

「今ここにいる人の為にできることをする」そんな生き方を望んでいる。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。