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人生のバイブルと出会う喜び

先日とあるドキュメンタリー映画を鑑賞し、その内容があまりにもよくて、数日間その余韻に浸っていた。

32歳にしてようやく人生のバイブルと出会えた感覚になった。ちなみにバイブル(bible)とは、もともと聖書を意味する言葉であるが、その解釈が広がり今では「個人が影響を受けて人生の指針とする作品」として使われることが一般的だろう。

これまで出会っていそうで、出会っていなかった。

作品名は『ターシャ・テューダー/静かな水の物語』。アメリカ、バーモント州の雪深い山奥に建てられた18世紀風の住まいが舞台。絵本作家兼ガーデナーのターシャ・テューダーの暮らしぶりを映したドキュメンタリー映画だ。

ターシャの暮らしはとにかく穏やか。レトロな雰囲気のお宅に住まい絵本を描くかたわら、愛犬のコーギー(メギーという名前がまた愛らしい)や鳥たちを世話しながら、ガーデニングの作業をする。クリスマスや誕生日など、四季のイベントは家族そろってホームパーティー。

春に向けて100個のチューリップの球根を大胆に植えている際には「枯れてしまうこともあるけれど、綺麗に咲いた姿を見られた瞬間は格別よ」と言っていた。

庭は30年以上の歳月をかけて作り上げたそうだ。

ターシャに心惹かれたその背景には、これまで彼女が歩んできた苦労や我慢がよく伝わってきたからだと思う。実際、作品中ではpatient(我慢する)という言葉が頻繁に登場した。

他者の暮らしを見てここまで幸せになったのは、正直久しぶりだ。

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たとえば10年前にこの作品を鑑賞しても、人生のバイブルとはならなかったと思う。

もちろん自分の興味範囲は幼少期から変わっておらず、動物や植物と調和したターシャのような暮らしをすることであったから、関心は強く持ったはずだ。

しかし、私の10年前と言えば3月に東京の大学を卒業し、4月から新入社員として働き始めたばかりの頃。「素敵だな、いいな」とは今と同じように感じただろうけれども、あまり現実味がなく思えてしまったのではないかと感じるのだ。もしこのタイミングでターシャの生活を見ても、ただ羨ましいなで終わっていた気がする。

そういう意味では、大学を卒業してからこの10年でいろいろなことを経験した。仕事も、結婚も、移住も。そして今、自分はターシャの暮らしを真似ることができる環境にいる。端的に言って、10年前と比べて実現可能性が高まったのだ。

また、この10年でたくさんの苦労をしたし、辛いこともあった。世の中の世知辛さも思い知った。これもまた、ターシャの我慢や人生観に深く共感できた理由だと思う。

人生におけるすべての出来事が、あれもこれも魔法のように思いのままになる訳ではないことを、今の自分は知っている。

どの人生ステージにいるかによって、バイブルはその都度変わっていくものなのかもしれない。私にとってこのタイミングでターシャに出会えたことは、幸運なことだった。

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素敵な映画を鑑賞したあと数日間は余韻に浸ることがある。そのおかげで日常を乗り越えることが出来たりするものだ。

映画を観ること自体もエネルギーになるけれど、作品群のなかから偶然人生のバイブルを見つけてしまった時は、エネルギーでは表現できないほどの更に大きな力になる。

それはなんというか、心の中で輝き続ける水源地のようである。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。