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一枚の小さな羽毛

ある朝のこと。いつものように鶏小屋へ行くと、かわいがっているひよこが毛繕いをしていた。しばらく眺めていると、白くて小さな羽毛がハラッと落ちた。

「きぬちゃん、もう羽毛が抜けるようになったんだねえ」

これまでは羽毛が生えていくばかりで抜けることはあまりなかったため、珍しい場面に遭遇したと思った。

抜けた一枚の羽毛がとても愛おしくて、私はそれを家へ持って帰ることにした。

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これまで羽毛といえば、枕や毛布など寝具類に使われているものしか特にイメージしてこなかった。鳥の羽が原材料というのはもちろん分かっているけれど、改めてそのことをじっくり意識する機会がなかったというか。

しかし、飼っているひよこから抜けた一枚の羽を見て、考える機会を与えてもらった気がした。

「羽毛布団って鳥さんの羽なんだよなあ」

それ以上でも以下でもない、と言われればそのとおりなのだけど、なんとなく見方が変わったような気がする。

羽毛の寝具からは、よく羽がぴょこっと一枚だけ飛び出ていることがある。これまでは「あ、出てる」と思って、無意識に寝具から引っこ抜いて捨てていた。なにも思わないし、特に考えもしなかった。

これからは寝具から羽毛が少し飛び出していたらなにか考えるのだろうか。たとえば、この羽毛の鳥さんはどこでどんなふうに暮らしていたんだろうとか。考えるかもしれないし、考えないかもしれない。

どんなに小さなことや些細なことでも、自分でやってみたり経験してみたりすると、実は奥深くまで思考できることだったのかも、と思えることがある。あるいは単純に素朴なことに心から感動するようになるとか。

世の中は便利だ。お金を出せばだいたいのものは買えるし、商品化されている。全国にはさまざまな企業があって、それぞれの発展を目指して日々前進している。

しかしその分、自分でやってみるとか、自分で生み出してみる、みたいな機会は減っているのかもしれない。その分、幸せの感じ方も贅沢になっている可能性はある。

「物理的な便利の追求がもたらす豊かさが、果たして精神的な豊かさまでをもたらすといえるのか」、これは永遠のテーマであり、これからもたくさんの人が考えることと思う。

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きぬちゃんの小さい羽
大胆な姿勢で昼寝するきぬちゃん

仕事から帰ってきた夫にひよこの羽が抜けたことを報告した。小ぶりのジップロック袋に入れて、それをお守りにすることも伝えた。

夫は少し感動して、そのあと「ダニとか付いてたら羽が食べられてボロになっちゃうかもよ」と言った。意外と冷静(笑)

たしかに動物の種類によっては、抜け毛の保存は衛生的によくないと聞く。念のため太陽の光にさらし、熱消毒。

たった一枚の小さな羽毛だけれども、私はとても嬉しく心が豊かな気持ちになった。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。