それはいつも突然に
最近畑では冬野菜を育てている。鍋に合いそうな葉野菜が多くて、春菊、小松菜、カブ、などがある。
実は冬野菜の隣には、まだ夏野菜が中途半端に残っていて、ナス、ピーマン、シシトウなどが気まぐれに実っている。もうとっくに夏は終わったけれど、それでも花を咲かせ収穫できるまで大きくなってくれるのはとても嬉しいことだ。
とは言えそろそろ本格的な冬がやってくるし、夏野菜がもう実ることはないかもしれない。ヤギたちはナスの葉がお気に入りでよく食べるから、そうなったら彼らに差し出してしまおうと考えている。
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先日、冷蔵庫のなかにほとんど食材がなくて、晩御飯をどうしようかと困った日があった。そこで、畑の野菜たちを駆使して何とか乗り切ろうとした。
「とりあえず畑から野菜を大量に採ってこなければ。メニューはそのあと考えよう」
結局その日の食卓がどうなったかと言うと、恐ろしいほど大量の食事が出来てしまったのであった。
あるもので何とかしなくちゃ……という危機感がかえって感覚を狂わせたようで、大変な量になってしまった。収穫する野菜の量も気持ちが焦っていた分、多かった。
「今日は料亭みたいな食事だね」
夫も夕飯の多さにびっくりしていた。それはそうだろう。自分でも何故そんなに作ってしまったのか全く意味不明。お浸し、煮物、炒め物、味噌汁、焼き魚、サラダ……どう考えても二人分の食事ではなかった。
その日を境に「どうしたら丁度良い量の食事が作れるのか」ということを考えるようになった。
夫の意見ももらいつつ、最近は作りすぎないよう皿数に気を付けている。もう食べられない!といった満腹感は、幸せのようで実はツライ。人間やはり腹八分目が最も幸せなのかもしれない。反省する日々が続いた。
そしてある日、ふとコツを掴んだのを肌で感じる瞬間があった。それからというもの「作りすぎ問題」を起こしていないし、以前より調理が一段とラクになった。
思い通りの技術を習得したり、コツを掴むタイミングは、突然にやってくるものだ。
それは驚くほどあっさりとしていて「あ。できた」といったように無感情のなかで生まれる。何とかしたいと潜在的に考え続けることが大切なのかもしれない。
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しばらく畑に頼っていて、スーパーに行かない日が続いた(葉野菜を食べ飽きるまでにはなっていない)。
もうそろそろレパートリーの限界!というところで、今日久々にスーパーへ行き買い物をした。畑ではどうしても採れないキノコ類はとても重宝している。
ヤギたち用に、半額以下に値下げされたバナナも買った。双子のヤギたちはあっという間に2本ずつたいらげてしまった。やはりスーパーへ行き珍しい食材を調達することもいいなと思う。満足そうな彼らを見ると嬉しい。
そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。