コットンが弾けて
4月末に種を蒔いたコットンがついに弾けた。
コットンを栽培するのは初めてで「大体9月頃になると自然と実が弾けて綿が出てくる」程度のことしか知らなかった。そんなわけで、9月になって本当に綿が飛び出てきたときは驚いた。
自分の腰より低い背丈の枝にいくつもの実がぶら下がっている。そのなかで今のところ3つだけが弾けた感じ。綿はふわふわで、何もしていないのにもうそのままクッションに使えそう。
自然の力だけでこんな物が生まれるとは植物の面白さに感嘆する。野菜や果物などの食べ物も上手にできると嬉しいけれど、コットンみたいに実用的なものの栽培もまた別の楽しさがある。
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野菜や植物の栽培について、人が一生のうちに挑戦できる回数ってよく考えると本当に少ない。例えば今回育てたコットンの栽培と収穫は、一年で一回しかチャンスがない約半年かけてゆっくりと時間をかけて成長を見守る。
これはコットンに限らず、日本にいるかぎり大体どんな農作物もそうだと思う。お米もちょうど今の季節(9月)が稲刈りの時期で、収穫は年に一度だけ。これが東南アジアなどに行けば話は変わってくる。以前バリ島を旅したとき現地の人が、お米は年に三回収穫すると言っていた。
「ぼくらはそうやってお米をたくさん採るから、朝も昼も夜もいつもお米料理だよ!朝ごはんは特にお粥が大好きだよ」
バリ島の名物はお粥で、たしかにお宿の朝食は大体お粥が出た。茹で卵とオニオンフライがのっていた。
話は日本に戻って、そう考えると野菜や植物を育てられる機会は想像以上に貴重。人生何歳まで生きられるか分からないけれど、85歳まで生きるとして私はあと55回しかコットンを作るチャンスがない。それを多いと思うか、少ないと思うか、人ぞれぞれの感性があると思う。
日本には四季があるからこういうサイクルになるんだろう。こうしたサイクルのなかで上手に生きるにはいかに「先人の知恵」が大切か分かる。だってあらかじめ成功も失敗もすでに体験してくれているんだから。亀の甲より年の劫、結構好きな言葉。
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弾けたコットンを何にするかは未定。全部でどれくらいの収量になるかも分からないから、とりあえずは全部収穫し終えるのを待とうと思う。
候補は小さいマスコットかなあ。クッションにするには少なすぎる。糸繰りして糸として使う方法もある。来年蒔く用の種として全部取っておく方法もある。悩む。
容姿が愛らしい植物で気に入っている。
そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。