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静かな湖畔でよかったこと

田舎へ越してきてからというもの、出かけるのが一大事になった。

スーパーにお買い物へ行くときも、大きなエコバックを3つか4つは持っていく。まとめ買いするから。次に来るのは、たぶん二週間後。

「都市部で用事」なんてことになると、もう「終日がかりの大イベント」だ。

前日からスケジュールを考える。朝何時に起きて、出発して、車は○○駅の駐車場に停めて、何時の列車に乗車する…。

夕方17時までには帰ってきて夜ご飯を作らないといけないから、目的の用件が終わると余計なことはせず、さっさと帰ってきてしまう。

「終日がかりの大イベント」は、湖畔暮らし(つまり田舎暮らし)をし始めてから、とても顕著になった気がする。

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都市部へ行くのがひと手間になれば、そりゃあやっぱり面倒だから頻度は減る。なるべく行かないで済む方法を考える。

それはつまり、人に会う回数が減るということにも繋がる。

だから寂しいのか?と言われればそうでもない。むしろすがすがしい。

誰にも会わず一人でいる時間が長い方が精神的に安定するし、寂しさも以前より感じなくなった。東京に住んでいた頃に感じていた寂しさは空虚なものだった。

横断歩道を渡る人にもまれて、満員電車に飲まれて、どこか悲しかった。コンクリートの硬い地面が嫌いだった。狭いところに押し込められるみたいに、心が塞がっていく感じがした。

今はない。

横断歩道には大抵誰もいないし、一人で堂々と渡れる。電車だって空いてる。土もあって、柔らかい。

心が解放されていく感じがある。空虚な寂しさはなく、いつも自分自身と対話できている。(独り言も増えたけど。)周囲に飲み込まれて怖い思いもしない。体も心も。

私は田舎に来てよかったのかもしれない。ひとりポツンと呟く。

ここは静かな場所だ。

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もうすぐ「終日がかりの大イベント」がある。年始に亡くなった祖母の四十九日法要が都内で行われるからだ。

前日に入念に準備するんだろう。

電車の時間を調べて、洋服を確認して、夫と打合せだ。帰りはたぶん遅くなるはずだ。

こういう参加必須の用事がないと、本当に都内へ行くことはなくなった。遊びたいスポットも特にない。買いたいものもない。

なんだか少し歳を取ったように思えるけれど、二十数年かけてようやく本当に心地よい居場所を見つけた気がしている。

家を見つけるときは、自分の心の声に耳を傾けた方がいい。本当にそこで体と心が無理のない生活ができるのかって。

そのうえで、家を静かな湖畔に決めてよかった。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。