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一人で忘れれば自分の心が汚れない

「今は一人になりたい」

人間生きていれば一度は感じたことのある気持ちだろう。

一人になりたい時は、とにかく誰の意見も必要としていない。例えば首を突っ込まれたり、頼もしくアドバイスを頂いたり。そういう必要がない。一人になりたい時というのは、そういうものだ。

強いて言えば、嫌いにならないで見守って欲しいということ。

この気持ちの根底には「現在の自分と同じ状況の人は居ないのだから、気持ちや状況を適切に理解してもらえることは絶対にない」という本音が流れているように思う。過去を経て現在があるのだから、地球上の人の数だけ想いがあるはず(辿ってきた人生が類似している人ならいるかもしれないが)。

一人になりたいという気持ちは、「忘れたい」と同じような気がする。忘れるための時間が欲しくて、きっと一人になりたいのだ。

特に怒りや悲しみなど負の感情は生まれてしまったら消すしかなくて、消すには「忘れる」方法が手っ取り早い。一人の時間は、敏感になった精神に鈍感力を蘇らせてくれる、リハビリテーションにも似た時間である。

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先日夫の親戚一同と二日間も顔を合わせる機会があって、今年一番つらかった。詳しいことは書かないが、夫の両親や義理きょうだいは私の実家の家族と比較するととてもドライだ。

文化が違い過ぎて、毎回絶句する。何というか、自分たちのコミュニティが完全に出来上がっていて、外からくるものは無関心無視!的な雰囲気がメキメキと感じられる。

普段だったら、嫌なことがあれば、嫌な気持ちをもたらす人とは自分からさっさと離れるが、親戚となるとそうもいかない。他人だったら即効で離れているタイプの人たちなのに。でも出来ない(離婚したら話は別)。

そうすると、負の感情についてはその都度抱くしかないのだ。そして「忘れる」しか方法がない。つまり、一人になるしかない。

誰かに愚痴を言っても、愚痴を言われた人の気分を害してしまうだけでとても申し訳ない。しかも状況を言葉で伝えたところで、伝わり切らないだろうと思う。

だから誰にも言わない。ただ一人になって忘れればそれでいい。

こんなに「一人になりたい」と感じたのは、生きていて初めてのことだった。

これまでは何か困ったことがあると、答えが欲しくて優秀な人や波長が合う人にアドバイスを求めることが多かったが、「一人になる」という選択肢を明確に意識したのは初めてだ。誰も巻き込まない、誰も嫌な気持ちにさせない。

これのいいところは、愚痴を言わなくて済むこと。言葉は自分が一番はじめに聞いているものだから、愚痴を言うと自分の心が真っ先に汚れる。だから一人になれば、自分の心が汚れなくていい。

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今回「一人になりたい」と感じて、バラのお花畑へ行った。正確にはもともとそこへ行く予定があったんだけど、ちょうどタイミングが重なったという感じ。

薔薇は小高い丘にたくさん咲いていて、とても綺麗だった。いい香りも漂っていて、少しでも悪いものを「忘れられた」。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。