灯油ストウブの匂いと混沌と
この2月は、個人事業の季節外れな繁忙期だった。文字どおり目が回る忙しさだった(この感じは3月初まで続く予定のため、まだ終わっていない)。
宿にはお客さんがたくさん入り、執筆ではご縁のあるメディアさんから多数依頼が入り、赤ちゃんもどんどん成長し遊びのレベルが上がっている。特に執筆については、今月は一体何万文字書いたのかわからないほど、タイピングしまくっていた気がする。
そんなわけでとにかく一分一秒が貴重だった。正直、睡眠時間も少なくて、最近はまだ真っ暗な早朝からガザゴソ起き始める日も少なくない。冬の寒さがピークを迎える中、まだ温かい布団を抜け出さなくてはならないのは、まあまあ辛い。
そんな状況で、ふと私に癒しを提供してくれたものがある。それが「灯油ストウブの匂い」だ。
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まだ外が暗い時間、ふんわりと灯油ストウブの匂いが漂ってきた。
そのとき、目の前の忙しい現実から少し離れた「柔らかい気持ち」になった。例えるなら、ずっと閉ざされた部屋にいたところ、ようやく窓を見つけて青空を見れたときの感覚に似ていた。
私にとって灯油ストウブは、長野の祖母の家を思い出すきっかけになる。冬は雪が降り積もる長野では、灯油ストウブのような火力の強い暖房器具が必須だ。
祖母の家は古民家で、間取りに不思議なところがあった。母屋から離れに行くとき、少しだけ屋外に出る瞬間があって、建物の間には橋のような板がかけられているのだ。古民家ならではの間取りと言えるのかもしれない。
私はこの間取りで「混沌(カオス)」を覚えた気がする。
まるで「家の中に外がある」感じで、そこが気に入っていた。不思議とわくわくする感覚が刺激されたのだ。実家は「家の中は家の中」というごくふつうの西洋風の戸建て住宅だったから、より一層そう感じたのかもしれない。
混沌とは「無秩序でさまざまな要素が絡み合いごちゃごちゃとした状況」を形容する表現。私は何においても、自由かつ乱れた感じが好きだ。家も、人も、文章も。
特に文章は、なぞかけみたいな「これって何が言いたかったんだろう」的な、考察を余儀なくされる作品が読んでいて楽しいと思う。だからエッセイは読むのも、書くのも大好きなんだろう。
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混沌という意味では、この2月の状況もそう言えるのかもしれない。宿と、執筆と、子どもと、動物と。たまに自分の時間があって、こうやってnoteを書いたりしている。ああ混沌。
忙しくてひーひーしていたけれど、そういう意味ではこの生活も悪くないというか、自分好みのはずだ。
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