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人生は自分との約束

幸か不幸か、日常的に自分以外の誰かと関わりながら生きている。人間は社会的動物だのなんだのって、耳にタコができるくらい聞いてる。

学校の先生に成績をつけられたり、クラスで順位が出たり、合格・不合格に晒される機会が多かったり、常に「他人から評価されること」が当然のように育ってきた。他人がOKと言えば喜び、他人がNOと言えば悲しむ。

でも、人生はそうじゃないんじゃないか。

自分自身の中に行動基準や哲学のようなもの(自分との約束)があって、それに基づき淡々と生きていく。あくまでその流れのなかで、他人との関わり合いが生まれるだけなのだ。

だから、自分について他人が意見を寄せてきたとしても、それはそれで受け止めるだけ。内容に耳は傾けるだろうけれども、感情までもが揺らぐ必要はきっとない。だって、自分との約束は自分にしか分からないことだから。

他人が喜んでくれても、怒ってしまっても、どんな顔を見せられても大丈夫なくらい、揺るがない「自分との約束」をいつも持っているようにすること。

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民泊を運営していると、毎回毎回、本当にいろいろな人が来るなあと思う。

チェックインの直前は、今日はどんなゲストなんだろう?といつもそわそわしている。どんなに綺麗好きな人が来ても大丈夫なように入念にお掃除をしたり、布団を干したり、花瓶に入れる草花を採ったり。

今の自分ができる最高地点の事前準備をしても、不安は一向になくならない。やってもやっても、ゲストからの評価が気になって心配になる。空き部屋とはいえ、他人が自宅にやってくることは結構な緊張感があるものだ。

それで最近はなんだか疲れてしまった。

最初はとことん掃除することや、お出迎えする気遣いで疲れちゃうのかな、と思っていたけれど、多分そうじゃない。

「他人からの評価」が怖いのだ。

民泊には宿泊後のレビューがあって、幸いにも今は皆さんいい評価を付けてくれているけれど、いつか怖い評価を付けられたらどうしようとか、クレームのようなコメントをもらったらどうしようとか、そうやってとりとめのないことを考え出しては自分の首が締まる想いだ。

でもよく考えたら、いま自分が等身大で出来ることはMAXで行っているわけで。思いつく限りのことはこなしているはずであって。例えば「ゲストが来る直前にこなすことリスト」を作っている。

民泊でいえば、この手作りリストは「自分との約束」の一つなんだと思う。

それであれば、他人からの評価がどうであれ、自分との約束を守ったことになるから、不安になることもないのかなと少し慰められたような気持ちになる。

自分との約束をしっかり守れれば、きっと何にも翻弄されずに済むことだろう。これは何に於いても言えることであって、他人がゴールを決めるような見せかけの競争社会に晒されてきた10代の私、20代の私では分からなかったことと思う。

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お庭の草花を花瓶に生けるときが一番「おもてなししているな」という気持ちになる。

最近は、季節的に紫陽花やバラを飾っていて、ときどきバラの香りがフワッと鼻に入ってくる。良い匂い。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。