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卒業しても記憶は残り続ける

「来週には卒業となりますね」

それは突然の知らせだった。しばらく通っていた病院の先生から卒業を言い渡されたのだ。まだまだ不安もあるし、もっと長くお世話になれると思っていたから、それを聞いたとき胸がドキッとした。

大人にも卒業はある。

卒業とは、ある段階を通り過ぎて次の段階へと向かうこと。前向きなことであると頭で分かっていても「ある段階」でお世話になった人のことを考えると、どこか寂しさや悲しさみたいなものを感じてしまう。

それでも時間は流れていくし、卒業を経てまた新しい出会いがあるかもしれない。春、桜が咲く季節は、たくさんの人が嬉しさと寂しさの両方を抱えて新たな段階へと向かう季節だ。

ひとつ言えるのは「ある段階」で人生に大きく関わってくれた人は、いくらそこを卒業しても、記憶に残り続けるということ。私の場合、恐らく先生に一生感謝し続けるだろうし、忘れることは決してないだろう。

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思えば先生には2020年から付き添ってもらった。もちろん毎日顔を合わせるわけではないから、日数にしたら意外と多くはないのかもしれない。それでも先生は間違いなく私の生活に溶け込んだ人物になっていた。

あまり多くは語らないが、適切な助言と処置をしてくれる医者らしい医者。

白衣をまとった先生、青い半袖の医療用服を着た先生、緑の手術服とネットの帽子を被った先生。いろいろな姿を見てきた。

先生から「来週です」と言われたその日、病院からの帰り道で泣いた。家に帰ってきてからもまた泣いた。なんで泣いているんだろう、と考えてみたけれど、たぶん私は先生を心から頼りにしていたのだと思う。

診察のとき、待ち時間が長くてうんざりすることもいっぱいあったけど、先生の顔を見ればそんな気持ちはすっ飛んだ。先生の話を聞いて、ただただ必死に付いていくだけだった。まるで子ガモが親ガモのすぐ後ろを付いていくように。

卒業と言われるまで気が付かなかったけれど、だいぶ人生の一部に先生の存在があったみたいだ。その存在が、今後の日常からすっぽりとなくなってしまう。

寂しいけれど卒業は卒業。次の段階へ向かうのはいいことだ。

これからの生活で苦しいことがあったとき、先生を思い出せば乗り越えることができるのではないか。先生があれだけ頑張ってくれて結果を出してくれたのだから、その姿を想像すれば、勝手に体も心も前に進んでいくことだろう。

こうやって人は出会いを重ね、恩を重ね、くじけにくい体質になっていくのかもしれない。

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今回の卒業を受けて、これまでの卒業を軽く振り返ってみた。すると、懐かしい人たちの顔がポツポツと思い浮かんできた。

「自分の人生これまで何やってきたんだか」と悲観する日も多くあるけれど、思い浮かんだ人たちの顔を思うとそんな気持ちを抱いてしまったことが悔やまれる。これまで数え切れないほどの恩を受けてきたではないか。

受けた恩を次へと繋げていこう。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。