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noteの続け方とこれからのこと
先日、noteですごく気に入って読ませて頂いていた方から「note辞めます」といった内容の報告があった。素直にショックだった。
失恋したあとの感覚に似ていると思った。もう会えないし、考えていることを聞けないし、魅力的な文章に没頭できる機会が減ってしまった。
自分と同じような感性を持っている方で親近感があったし、美しいと思うもの、嫌悪感を抱くもの、本質を求めることもまた似ていた。鋭い角度から世の中を見て、少し皮肉っぽい表現をしている時でさえも清らかな人だった。そんな存在を失ったことは自分にとって大きな衝撃。
それ以前から少しnoteの続け方をどうすべきか悩んでいたことも重なって、今日はこんな記事を書くことにした。
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まずその方がnoteを辞める理由は「ここに読みたいと思う文章はほとんど無い」といったモヤモヤを突き詰めた結果だったのだそう。感性の合う文章に出会うと感心したり幸せな気持ちになるけれど、はっきり言ってこのnoteではほとんど出会えない、ということだった。
人気、有名、フォロワー数が多いなど、特にこれらが目立つものほど、その文章の良さがサッパリ分からないと感じたのだとか。かと言って、自分の言いたいことだけを綴っていても存在意義が生まれない。そういうわけで、ここに時間をかけるならいっそのこと「良書本をたくさん読もう」という結果に落ち着いたそう。
最後までその方の言っていることは、とてもよく理解できた。
恐らく純粋な読み物としてのnoteと、自身のアウトプットとしてのnote、どちらにも意味を見いだせないと思われたのだろう。そのようにコメントすると、まさにそうだとおっしゃっていた。
noteでは単純に良質な読み物を求めるべきなのか、SNSとしての繋がりを重視した使い方をするべきなのか。ここは今のところ私も謎である。
ただ、noteは他のSNSと違って「フォローしすぎると全部の文章を読み切れないから慎重に選びたい」と言ったコメントを見かけることが多い。そう意味では、繋がりよりも、各ユーザーにとって良質な文章を求める人が多いということなのだろうか。
一方で、明らかに繋がりや数字目当ての人もいると思っている。例えば前日にフォローしてくれた人で、フォローバックをすぐにしないとフォローを翌日には外されるといったことが結構ある。つまりこれらの人は、「私の文章」を見てフォローしたのではなく、あくまで「繋がりや数字」を重視してフォローをしたと捉えられる。
これからどうするかな、とも思うけど今のところ上記でお話しした2点(良質な文章探し、SNSとしての繋がり)どちらもバランスをとってnoteを続けてみたいと考えている。続けていくうちに新しい哲学が生まれると思うから、その時まではこれまで通り悩みながら進んでみたい。
同様にnoteの使い方を悩んでいる人の話もひそかに聞いてみたいと思っている。
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愛読していたコンテンツがなくなることはとても寂しい。大好きだったその方はもういない。
素晴らしい音楽家や画家などのアーティストが、急に自殺をしたり活動休止することは珍しくない。最近で言えばAvicii(アヴィーチー)が、自殺したのが記憶に新しい。そんな報告を聞いたときはもちろんショックだが、同時に無条件でお礼とねぎらいの言葉を伝えたくなる。
「素晴らしい作品を生み出してくれてありがとう。またいつか」
そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。