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ひとさじエッセイ:乗り越えられないコンプレックス

なんだかんだわたしのエッセイには父親が出てこない。
理由は中学生の頃に母と離婚したからだ。

今にして思えば父がいた頃の物心ついた頃〜学生時代まで家庭は歪だった。
父は今で言う「引きこもり」だった。
そんな父の口癖は「お前が男の子だったらなあ」だった。
父は男の子が欲しかったらしい。
自分がそうしたわけでもないが、子供は親の期待に応えようとする。
欲しがったものはジーンズで、フリルスカートは恥ずかしいように感じた。
喧嘩は組みかかったし、(汚い話で申し訳ないが)立ちションしようとして失敗した。

そのうち父と母は離婚して母が出来ないことは自分が補うようになった。
電気の取り替え、家具の組み立て、引越し作業の手続きと準備。
そんなことがいろいろ続いて身体と心の剥離が続いてどんどん歪になっていった。

だから正直、女性と会話する時緊張する。

恋愛対象は男性のはずなのによっぽど仲のいい女性でないとすごく緊張する。
会話のテンションとか、テンポについていけなくて話してる最中にロストする(音楽用語で譜面のどこを演奏しているか見失う用語)

最近は男女ともにFPSをやったり、女性ユーザーの多いMMOが流行したりして仲のいい女性友達はほぼほぼインターネットの中だ。

たまに今でも悔しくなる。男に生まれてきてたら今のように愛想を振り前いてもいろんな事故に巻き込まれなくて済んだのではないかとか、男の子みたいな脳みそしてるから親近感が湧いて揉め事が起きたりしなかったのではないかとか。

だから会社と言うコミュニティに身を置かずに一人で製作してビジネスとしてやっていけてる今はすごく楽だと思う。

LGBTQのもしかしたらQに当たる部分なのかもしれない。
もっと若かったらホルモン治療とか受けられていたのかしれないけど、まあ家の家庭環境を考えると貧困層にあたるのでずっとこのままだったのかも。

脳みそが男の子寄りなら親近感が沸いて好意も持たれるだろう。
趣味が近い女の子がいるのだから。

今は思ってたより女性もさまざまな事ができる。体がついて来れてないと言うだけでやりたいことはいっぱいある。
最近はワンピースやスカートにもちょこちょこっと着るようにもなった。
好きな色が意外と明るい色だと言うことに気づいて、本当にここ最近可愛い服を着れるようになった。

脳みそは男っぽいのに筋肉のつきにくい毎月月経前に訪れるだるさに辟易しながら自分が自分らしくあるための模索は続いていく。

愛想がいい男性思考で女性だったら苦労もあるだろうけど上手いこと自分の自己防衛を気にしつつ自分らしさを今でも求めていけるだろうか。


ところでお父さんはわたしが男の子だったら何をしたかったんだろう。
野球でも一緒にやってくれたのだろうか。はたまたパチンコなのだろうか。

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