美術と師にまつわる自分語り
わたしは高校を二つハシゴしている。公立高校と通信高校だ。
今回は公立高校で出会った美術の先生、わたしの人生の先生となった一人のおじいさんのお話。
「ベンちゃんって呼んで」
高校2年生、公立高校へ異動してきた美術のおじいちゃん先生は美術部のわたしたちにそう自己紹介した。
当時、わたしは美術部に入っていたもののアルバイトに勤しんでおり幽霊部員となっていた。
新学期の初回、美術部の担当をする先生が変わったので挨拶だけでもとオリエンテーションへ参加したら、ベレー帽を被ったニットベストの似合うおじいちゃんが美術室に胸を張って立っていた。
彼はまず「名字+先生」と呼ばれるより「ベンちゃん」と呼ばれたいと自分の要望を口にした。
もちろん本名には「ベン」という文字は入っていない。本名をもじった上で「ベンちゃん」と呼ばれたがっていた。
あぁ、生徒と身近に居たいタイプの先生なんだなと直感的に感じたが、その美術室の黒板前に立つ姿はほかの先生と雰囲気が違うようにも思えた。
ベンちゃんは美術部員それぞれに自己紹介させた。
美大を目指している子や、デジタルイラストが既にメインの子、絵は描けるけどすでに何したらいいかわからないからとりあえず美術部に居る子。
そして、美術は好きだけどアルバイトばかりであまり顔を出していない上に、ドラムが叩けるからヘルプでたまに軽音部にも居るわたし。
ベンちゃんはどの子もウンウン、と質問することなく黙ってにこやかに聞いていた。その目はまるで自分の孫を見るような穏やかでわたし達には見えないものをもうすでに見通しているような目だった。
美術室に寄ったある日、ベンちゃんは自分の作品を並べていた。わたしとベンちゃんの二人きりだった。
初めてベンちゃんの作品を見た時、イナズマが体を貫いたような衝撃は今でもありありと覚えている。
ベンちゃんは銅板を様々な道具で曲げたり凹ませたりして立体物の作品を作る人だった。カテゴリとしては彫刻だ。
麦わら帽子をかぶった男の子が犬を連れて歩く像。高さ1mくらい、幅1.4mくらいの作品で、すべて銅板でできていた。一部加熱が施されているのか、素材は同じでもパーツは一つ一つ、色の深さや鮮やかさが異なっていた。
男の子が先導して紐を緩く持ち(紐も銅だ)犬が後ろからついてくる。穏やかなその主従関係が銅版だけで表現されていた。
「ベンちゃんの作品ですか?」
「そうだよ、良い仕上がりでしょ」
素敵です。
と今なら言えていたけれども、初めて彫刻というカテゴリで衝撃を受けるような作品を前に言葉が出なかった。じっと見入り、この作品の良さを目の前に居る本人に伝えたかったが表現する言葉が浮かんでこなかった。それくらい、ベンちゃんの作品には魅入ってしまった。
気が付いたときには、ベンちゃんは自身の作品ではなくわたしを見て自己紹介をした時のような眼差しでこちらをニッコリと眺めていた。
それからアルバイトを減らして美術室へ足繁く通うようになった。わたしはアクリルガッシュでずっと水生生物を描くような美術部員だったが、ベンちゃんはしきりにみんなの作品を褒めた。
漫画「ブルーピリオド」を読んだことのある人なら知っているかもしれないが「講評」という、同じテーマを部員に描かせて作品を並べ、先生がみんなの前で作品を評価するようなことを1回もしなかった。それぞれ好きなものを描いている最中の部員のところへ歩いて回り、その場でベンちゃんが評価を述べる。
みんなの前でほかの人の作品の良いところも悪いところも言わなかった。作品を作っている最中のその人にだけ、アドバイスや良いと思ったところ、改善できるポイントを教えて行った。
完成した作品には、何も言うことなくまたウンウンと穏やかに頷いて終わる。それがベンちゃんの美術部だった。
ある日ベンちゃんは部活の初めに「みんなでお好み焼きでも食べようか」と提案した。突然だった。
それぞれ画材を用意していた部員は目を丸くしていたが、やがてベンちゃんは美術準備室から大きなホットプレートを持ち出し掲げながら「部活が終わったらこれでお好み焼きを焼いて食べよう」と満面の笑みで言った。
部活の中盤、夕方5時頃。
「お腹が空いてきたねえ。でも、良い作品というのは空腹のときに出来が進むんだよ。僕たちの体は空腹の時にこそ、神経を尖らせ、鋭くなるからね。」
ベンちゃんはみんなの製作する姿を見ながら言った。
ホットプレートを囲んでみんなでお好み焼きを焼いて食べた。
ベンちゃんが目の前で奥さんに電話をして「今日の夕飯は軽くで大丈夫、みんなでお好み焼き食べてるから」とニコニコしながら話していたのも印象的だった。
水生生物ばかり描くわたしの元に、ベンちゃんは「暗い色の使い方がとても綺麗だね」と何度も褒めてくれた。
「深海が宇宙みたいでとても素敵だ」
「深い水から浅い水への移り変わりはこう表現することも出来るよ」
「赤い金魚はふみさんにとってこう見えているのかな?とても綺麗だね」
穏やかに、時には的確に鋭くアドバイスをもらい、ベンちゃんとの時間を過ごした。
どれだけ描いてもベンちゃんの作品を見た時のような衝撃は結局わたしには作れず、ひたすらベンちゃんと話をしながら描いた。
ベンちゃんは作品製作途中にしか評価を送らないという、ちょっと変わった先生だったのでいつまでも同じ絵を描いていたり、完成させると逆に自分が満足いく仕上がりにならないような気がして、わたしの作品製作は製作経過に価値を見出すようになった。
ベンちゃんの穏やかさや、鋭さは本人の作品にも反映されていて時折美術室で目にするベンちゃんの完成された素晴らしい作品には毎回言葉が出なかった。
そんな毎日を過ごしてわたしはベンちゃんと出会った翌年の3月、通信高校へ移動した。翌月にはベンちゃんはわたしの居た公立高校からさらに異動となった。
通信高校へ通いだした半年後、ベンちゃんから連絡が届いた。個展の開催だった。
ベンちゃんの個展はもちろん筆舌に尽くしがたい素晴らしい作品が並んでおり、公立高校で見られなかったキャンバス画も数点見ることができた。
ベンちゃんよりも大きな作品や、小さなキャンバスに描かれた抽象画、あの時みた麦わら帽子の少年と犬。
そして半年ぶりのベンちゃん。ベンちゃんはわたしをみつけ小さく手を振ってくれた。わたしは思わず駆け寄ってしまい、渾身込めて握手をした。ここ半年の生活の話やベンちゃん本人から聞ける個展のコンセプト、作品の解説。他にも来場されている方も居る一方で、一緒にわたしと個展を回ってひと時を過ごした。
わたしが個展を後にする際、ベンちゃんはあの穏やかな目をわたしの目と合わせて「好きなことを好きなだけやってきなさい。お元気で。」とあいさつをした。
以降、わたしはベンちゃんと連絡を取ってもいなければ会えても居ない。どうやら現在は小さな美術教室で講師の一人としてご活躍されているようで、生き生きとしたベンちゃんがホームページの写真に写っていた。
わたしは学生時代から引き続き、デジタルイラストやアクリルガッシュでキャンバスに絵を描いている。特にアクリルガッシュで絵を描いている最中に完成が惜しくなるのは今でも変わらず、好きなものばかり描いている。
更には好きなこととしてこうやって文章を書いたり、風景を撮影してチェキにしてみたり。
そして決まって、いつも空腹なのである。
突拍子もない話だけども、死という完成に向かっている途中のわたしは今が一番魅力的で完成に向かって様々な色が足されて鮮やかになっていくんじゃないだろうか。
たぶん。
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