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自殺を考えると同時に生に執着した話

初めて書いたので雑さには勘弁してください

「学校に遅刻してしまったな」
「課題やるの忘れたな」
など小さな理由で「死にたい」そう思う事は何度もありました。
しかしそれは本心で死にたいとはおもっていないのです。
なんなら私は「自殺なんて考えるものではない」そう思うって生きているタイプの人間であったし病むなんてものとは程遠い人生を歩んでいると思っていました。
為るがままに身を任せてとりあえず言われた通りに高校まで行き、専門学校へと進学しました。
ここで詳細を書くつもりはないがその専門学校を中退し、自分の人生は自分の力で歩まなければならなくなっていきました。
1人で色々と考え、行動していくうちに自分の弱さや甘さに向き合わなければならなくなっていったのです。
今までそんな自分ではなかった訳ではなく、周りの大人たちにカバーしてもらっていたためか、とくに大事にならなかっただけなのでした。
ずっと周りの環境に甘えて自分のことに向き合わず生きていた結果欠点に気付かず、そしてそれを治そうとも思うことなく過ごしていたツケがいつかは回ってくるのです。
「自らの行いはいずれ自分に返ってくる」
その通りでした。
周りの大人を舐めて、人生を2周しているかの如くの立ち回りをしていた私でしたが、全くそんな事はありません。
確かに大人の言うことに間違いもありますが、自分より2倍程かそれ以上生きている方々の言葉には重みがありますし、私より的を得ている考えをしていたのだと気付かされました。
中卒、高卒、大卒、専門卒、などいろいろ社会に出る道のりはありますが、全て段階を踏んで覚悟を決めて進んでいくのです。
しかし私は中退、「あっちの道に向かおう」と、道ではない場所に道をつくらず勝手に合流していったのですからさまざまな障害物や対向車にぶつかるに違いありません。
すべての信号や表札を無視して進んだ結果なのです。
同じ中退であっても自らの道を定めて進む人はそれなりに進むことができるのですが、私にそんな考えはありませんでした。
敷いてもらっていたレールから外れたくなり電車のまま公道を走るという、そしてそのまま走れるだろうと考えていたのです。
そんな事うまくいくわけがないともうまくいくとも思わず自分がやりたいから進んでいきました。
どう考えてもそんな事誰もが止めると思いますが、「私は人生二周目ですからあなたたちよりも優れていますよ。そして私はベジータですからトンビから生まれた鷹ですからね」そんなことを思いながら勝手に進んでいったのでしょう。
そして私に車はないので公道を電車で走らなければいけません。
やはり走ってしばらくしてなんで車にならなかったんだろう。などと悔やんでもどうにもなりません。
自分のではない廃車でも探して乗るしかないと思わされていきました。
あまりにもうまいこと進まなければ、他人にもかなりの迷惑になっていたことでしょう。
そんなことに気づくと、もう悔やみに悔やんでいてもたってもいられません
「うん。死のう」そう考えたら、すべてどうでもよくなり死ぬ前に散々遊んでしまおうと、好きな事をたくさんやりました。
そしてお金も底をつき、そろそろ死と直面させられていきます。もちろん他人に迷惑がかかるなんてこと分かっていましたが、そんなことどうでもいいほど、「もう、楽になるんだ」と考えるほどまで落ち込んでいました。
いくつか自殺方法を考え、それを行おうとしましたし、遺書も書きました。
あれだけ死のうと思っていたはずが何処かでストッパーが効き行動に移せないのです。
ネットで自殺方法を検索していると、自殺しようとしていた人が「生きたい」と訴える動画が目に入ります。
とりあえず見ていると、不思議と自分の目に涙が出て、そこからは人生で1番泣きました。
なぜ泣いているのか、全く意味が分かりません。
最後に首吊りをしようとしたところストッパーがききました。
「あぁ、生きたいんだな。どうしようもなく生きたいけれど、その術がわからずいつしか死にたいに変わってしまっていたんだな」と思い知らされたのです。
そう思うと簡単に行動できました。遺書を捨て、ロープも捨てて、「とりあえず家に帰ろう。怒られたっていい。生きて自分と向き合って、何もかも変えていけば良いじゃないか。私は鷹なんだから。」
死にたいと思っていたはずが、生きると決めると心にあったものがすっと消えていくような感じがしました。
今自分の何が変わったかと言われれば何も変わっていないでしょうけれど。
初めて自分と向き合った、それが人生でいちばんの収穫。

死にたいと思っている人を止める資格はないけれど

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