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祖母88歳、在宅介護のリアル

実家にばあちゃんがいる。88歳。
そりゃあ人並みに認知機能が低下している。

だけど、1ヶ月半前に会った時よりも
明らかに元気がなくなっている。

ばあちゃんを見ていると、老いること、生きること、そしてばあちゃんを取り巻く家族のありかた、在宅介護、いろいろ考えさせられる。

だから、ばあちゃんの今と、感じたことを、今、書いておくことが大事なことに思えた。

もう10年も前になるけれど、私は大学で福祉の勉強をした。
介護は専門ではなかったけれど、少しばかりの知識を役立てようと試みたこともあった。
だけど、在宅介護のリアルは、少しの知識だけではどうにもならない。
知識なんかを軽々超えて、もっともっと、迫りくる、日常。
介護の本はたくさんあれど、そのどこにも解決策は書いてなかった。
家族が、学びながら実践してゆくしかなかった。

だから、書き、残し、考えてゆきたい。

わたしはふだん、ばあちゃんとははなれて暮らしているけれど
今年産まれた子どもの顔を見せに約2ヶ月に1回、実家に泊まりにきている。

ある日のばあちゃんと、ばあちゃんと過ごして考えたこと雑記。

  • 微熱で寝込むばあちゃん
    今日は微熱が出て寝込んでいたばあちゃん。
    37.2度でも、ばあちゃんにとってはものすごく重症。
    そして気持ちも弱くなる。
    私はひさしぶりに実家に帰ってきたし、今日は母に子どもを預けて映画リトル・マーメイドを観に行きたいと企んでいた。
    だけどばあちゃんの発熱。

    微熱の人が家にいるくらいなら、私は予定通りリトルマーメイドを観に行けたと思う。
    でも、ばあちゃんの発熱はばあちゃんの気持ちを弱らせる。
    そんときのばあちゃんは、母を頼りまくる。
    88歳微熱がキツいのか、認知症の進んだばあちゃんの微熱が要介護たらしめるのかわからないけれど、とにかく微熱が出れば家族の予定は一変する。
    私のリトルマーメイドは中止。
    そのくらい、在宅介護はばあちゃん中心に動く。
    在宅介護ってちょっとしたお世話をすればいいっていうもんじゃないんだよね。

  • 朝は気分が落ち込むばあちゃん
    ばあちゃんは朝に弱い。
    朝はだいたい具合が悪い。
    ものすごいどんよりした感じで起きてきたりする。
    一緒に過ごすとわかるけど、朝からものすごく暗いテンションの人がいると、家族もちょっと落ち込む。
    ばあちゃんを悪者にしないために、いかに自分が引っぱられないで明るい気持ちを保てるかが試される。
    はじめはばあちゃんが心配で、わたしは気持ちも同じところまで降りてしまってた。
    つらいよね。大丈夫?どうしたらいいんだろう?と、いっしょに落ち込んでた。
    だけど今は「ばあちゃん、朝は調子悪いもんね!休みなよ」と割り切って、ばあちゃんはばあちゃん。わたしはわたし、ができるようになった。
    それがばあちゃんと暮らしつづけるには必要なことだった。

  • ばあちゃんの世界にあわせること
    ばあちゃんは、もともとせっかちな性格。
    そして年老いるにつれて、ものすごくネガティブになってしまった。
    すると、たとえば病院に行って2番目に呼ばれたとしても
    「病院はすっごく混んで大変だった!」となってしまう。
    帰ってきてから何度もそれを言ってしまう。
    ばあちゃんはせっかちだから、病院=混んでるという印象を持ってしまうと、次回からは母にもっと早くから行きたいと言いかねない。
    実際、病院を予約していても予約の30分以上前に行きたがる。
    連れて行くのは母。母だってけっこう忙しい。
    だから母は「ぜんぜん混んでないよ」「2番目に呼ばれたでしょ?」と言って、ばあちゃんのなかにある混んでる説を訂正する。
    混んでたという印象がつかないようにする。
    だけど、ばあちゃんにはぜんぜん響いてない。
    ばあちゃんはたぶん、なにか大きな声で言われてるな〜くらいの感覚。
    だけど、語調から否定されてることはわかる。
    たぶん、なんだかわからないけどまた否定されている、というのがばあちゃんに残ってしまう。
    そして、訂正したところでばあちゃんの印象は塗り変えられないレベル。
    きっと次に病院に行くときには忘れてしまってる。
    だから、これにはとりあえず、ばあちゃんの世界に合わせて「混んでたね」と言ってあげるのがいいんじゃないかと、わたしには思えた。
    ばあちゃんの世界では混んでたんだからね。
    否定され続けるってけっこうしんどい。
    そのあと家族で、そういうときはばあちゃんの世界に合わせようという話をした。

  • ばあちゃんは家族になんでも確認してしまう
    ばあちゃんの世界に合わせようと提案したことのひとつに、ばあちゃんはなんでもこれでいいか?と周囲に確認するくせがついているというのがあった。
    まるでまちがうことを恐れているような。
    怒られ続けた子どもが親の顔色や意見を気にするような。そういう聞き方をすることも多い。
    ばあちゃんはたくさんまちがう。
    それはばあちゃん自身もわかっている。
    だからまちがえないように確認する。
    それはばあちゃんが身につけたまちがえない方法。
    だけど、怒られないように、まちがわないようにしている姿はものすごく切ない。
    介護って、強かったその人が弱っているところを見ることでもある。それが切ない。

    願わくば、ばあちゃんのまちがいに寛容になれる家族でありたい。

今日のところは、そんなところです。

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