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世界的クリエーターを目指したら、障害者になってしまった私の履歴書 <上>

初めまして。世界的に活躍する夢を抱くも、無理が祟り42歳で大手企業の障害者枠*の事務員に転じた、スカン☆ピンコと申します。

私は自身の経験を通じて、「私らしいはたらきかた」とは、自分の身の丈に合った夢や目標の実現を目指して「はたらく」ことだと提言します。私の人生が、誰かの「自分の身の丈とは何か」を考えるきっかけになれば幸いです。

*障害者枠とは:障害者雇用促進法という法律に則った、障害者手帳所持者向けの就労枠で、仕事の難易度や平均年収が低い、健常者よりキャリアアップのチャンスが少ないなどのデメリットがあります。

このタイトルは、大まかに「子供時代〜大学卒業」「Web制作者時代」「障がい者としてのセカンドライフ」の三部作としてお届けします。

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●はじめに─子供時代の話(高校卒業まで)

まずは読者の皆さんに、元来の気質を理解いただきたく、子供時代を振り返る。
簡単に言うと、対人緊張が強すぎて、常に強い不安を抱える子供だった。
「強すぎる不安」がまっとうな思考や言動を妨害し、話しかけられてもロクな返しができない・授業で先生の話が理解できない・親きょうだいの顔色が気になりすぎる・挙動不振を頻発してしまうなどの「生きづらさ」があった。
特に、対話の場面では「重度のコミュ障」に見えるようで、周囲から差別的に揶揄されることもしばしばあった。
私にとって他者に囲まれる環境は、成長とともに劣等感だけを増大させていたので、嘲弄されるのはしょうがないと泣き寝入りする一方で、「重度のコミュ障」の扱いには違和感を覚えるようになった。
なぜなら、考えを独力で具現化する作業─新書の読書感想をプレゼンする・テーマに沿ったミニブックを作成する等─では、クラスメイトや先生からも評価されやすく、いわば「一方的な伝達能力」は周囲より長けているように感じたからだ。

ASDでは?HSPでは?などと思われるかもしれない。現在も特に診断を受けていないのと、本題から逸れるので「疑わしさ」は見逃して欲しい。

●好意的に接してくる人々との出会い─大学時代

進路は親の了承を得るのに骨折りしたが、一浪の末、1995年に東京にある美術大学に入った。アナログの映像を撮ったり、イラストを描いたり、Photoshopで写真のコラージュを造ったりと、持ち前の一方的な伝達能力を発揮する機会が多かった。今考えれば学んだ事は多くないが、自分の表現に関心を持った人が周りに集まってくるのが新鮮で心地よく貴重な体験だった。この機会が無ければとっくに人生を諦めていたように思う。それまでの周りに人が寄ってくる経験は、イジメの場面しか身に覚えがなかったからだ。

●就職活動失敗談─新卒一括採用

結論から言うと新卒採用での就職はできなかった。就職氷河期のピークとされた時期の1年前で求人数が少なかったのは確かだが、それだけが原因ではない。

就職氷河期の大卒求人率は厚生労働省の資料の2ページ目を参照されたし。


現在の就活はインターネットを用いた情報収集が一般的だと思うが、当時の就活の情報収集はリアルなクチコミが主流と言ってもよく、学内の知り合いが多い人と少ない人で大きな情報格差があった。相変わらずの対人緊張で友人が少なかった私は情報収集の時点で負け組となり、就活のスタートが周囲より完全に遅れてしまった。

4年生になった4月、親しくしていた同級生の誘いで、大手広告代理店X社(以下X社)のクリエイティブ職のキャンパスリクルーティングに応募した。これが私の就活の皮切りとなった。いきなり本命に応募した印象を受けるかもしれないが、企業のTVCMやグラフィックに関心はあったものの、残念ながら私はX社の名前すら知らない、社会への関心が低い学生だった。

それにも関わらず、学内の選考会の結果、応募者20人程度から4-5人に絞られた中に私が含まれていて、さらにはX社で行われた他大学の学生を含む1次選考も学内では私のみ通過してしまい、二次選考と最終面接に挑むことになった。
二次選考では重役風のおじさんが「今年は採用人数を減らしているが、例年なら採用しているレベルです。ここまで残ったことを誇りに思ってください。」と言い放ったのが心に響いたものの、結果は不採用だった。

残念な結果に終わったが、おじさんの言葉を裏付けとして「一方的な伝達能力」をそれなりに評価してもらえた事実が私を強くした。当時のマスメディアの広告は、紙・テレビ・ラジオを通じ、良いブランドイメージを消費者に印象づけて購買に結びつける手法が主流だった*からだ。遅まきながら、私は広告業界に就職したいと考えるようになった。

*私なりの解釈なので異論は認める

X社が不採用となった4月の下旬以降、広告代理店・広告制作会社・印刷会社・新聞社を中心に制作職で新卒募集している企業を見つけては応募した。X社のように最終選考まで進んだ企業もあったが、結局一つも内定も得られないまま、卒業式を迎えた。

<続く>

#私らしいはたらき方  

サポートいただけたらとてもとても心強いです。