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あのフィンチャーがやってくれたぜ!!最悪な時代を、最高の無表情で噛み締めろ。『The Killer』

『Mank』をNETFLIXで観たとき、「あ…はい」という感想以上のものが出てこなかった。でも、今回は予告でグイグイくるものがあったので、劇場に行って鑑賞。

観終わったあと、最高に無表情になるひとときを、緩く、噛み締めた。
おそらくエンドロールで席に座っていた観客のほとんどは他のどの映画のエンドロールより、己の無表情を噛み締めたのではなかろうか。

デヴィッド・フィンチャー待望の新作を観にわざわざ劇場に来た、気合いの入った連中なのだから、そうであろう…。

しかし、あくまで緩く噛み締めるのだ。何故って、あいつがそうなのだから。そう、あいつが…!!

デヴィッド・フィンチャー新作、『the Killer』はマイケル・ファスベンダー演じる主人公がほぼずっと無表情でどこか緩く、己の用事に向き合うのだ。


スミスの音楽は作品の極上の案内役である。劇伴も最高

そして彼は延々己の脳内でさささやく。そのささやきは全編に散りばめられ、繰り返される。その内容は、まるでプロの殺し屋の矜持のようでいて、実際には異なる。地に足がついていないような、夢遊病者のような不確な内容、なんとただの「おこだわり」なのだ!

(その「おこだわり」すらも、何年も自らに言い聞かせ、もはや無内容な繰り返しになっている可能性が高い。まるで、綴られる言葉も、無表情のようなのだ)

そもそも、イヤホンで好きな音楽を大音量で聴き仕事をこなす殺し屋なんて、普通に考えて駄目だ。

あれだけモノを捨てて、自分の痕跡を無くすことに必死なようで、空港についたとき誰かに見られるような雑さ加減で拳銃をゴミ箱に捨てる。観ていて椅子から転げ落ちそうになった。

洗面所を使ったあとにスプレーをふりかけてるが、その効果のほどは謎だ。

弁護士も言っていたが、失敗して、自分の住処に一直線で戻るのもどうかしてる。

その戻ったときだって、門前にある大量の吸い殻を目にし、銃を片手に我が家へ一目散に向かうが、普通、あんなわかりやすい痕跡があれば罠と思うか、襲撃が失敗し、消し忘れた痕跡と捉えるはずだが、そんな冷静さは感じられない。

そう、主人公はプロの殺しではなく、凡庸なアマチュアである。
さらに、凡庸にいまの時代を生きるひとりの中年であり、はんば老いぼれである。

スマホ、Amazon、レンタルバイクを駆使し、マックで貴重なたんぱく質を摂取、まるでエニタイムフィットネスにいる会員がそうするようにマットを敷いてストレッチや腕立てをするのは、ここ10年くらいを経て老いぼれた中年が思わず繰り返してしまっている凡庸な日常の動作でしかない。

彼から、真剣に仕事へ向き合う職人の顔をみることはほとんどない。基本、ボケーッとした無表情で、さらにはぼーっとするような退屈な時間が大半を占める。実は。

「人を破滅に導くのは屈託のない時間」と言いながら、そこに思い切り身をさらし続けるのは本人である。

すっかり老いぼれてきて、なにもはじまるこはない。そのくせ、人生には破滅と消滅の予感が増幅していく。

「そうだ。破滅と消滅の予感をもたらす、この退屈さに耐えるのだ。」
フィンチャーはそう言うかのようだ。

人生は退屈であり、よりにもよっていま時代はその退屈さにベッタリと張り付いてくるかのように最悪なムードにある。
そう、なにもはじまらない。
やはりそのくせ、破滅と消滅の予感が増幅していく。

それにたいし、わたしたちはどのようにすごせばいいのか。

この映画のマイケル・ファスベンダーのように、いかに無表情で生きるか。
それしかないのだ、とフィンチャーは提示しているかのようだ。

スミスを無表情に、楽曲の軽薄な側面だけを軸にダラダラと聴き続け、この退屈な時の流れをサバイヴするしかない。

そしてわたしは、そのアドバイスに大いに頷き、目一杯の無表情でしばらく日々をやりきろうとするだろう。

この作品の製作費にたいして、彼も目一杯の無表情で乗りきるのだ。
フィンチャーとはそういう男なのだ…たぶん。

最高のラストシーンのために、明日配信されたらまた観るつもりだ。
最後の、真に示唆的な語りとともに、ファスベンダーはこっちを向いていたか、そうでなかったか。それがいまのわたしにとって最大の問題なのだ。

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