心理士として働くこと、「自分」の使い方

心理士Vtuberとして活動しております、狐田さきつねと申します。狐田と書いて「こんた」ですよ。

キツネ推しについては、いずれ話すとして…

「心理」の専門家として数年働いてきまして、この「心理士」という仕事を少しでも広めていきたいという思いから、これまで感じたことを言語化してみようと考えた次第です。

その初投稿である今回は…

仕事としての「心理士」について考えてみました

まず、「心理士」と聞いて、どんな印象を持ちましたか?あるいは持っていますか?

変わり者?頭良い人?怖い人?優しそう?


バイアス(認識の偏り)とは怖いものですが、それだけの力があるもので、さまざまな理解を楽にするためのものです。その分、誤解もつきものですが。

「心理士」は、あくまで心理を学んできた人間が、その知識と実践を活かして職業としているだけであり、それ以上でも以下でもなく、

「心理を学ぶ」ということは、感情や思考のあり方などを、さまざまな手と目をつかって考える術を学び、それからの生き方を考える頭を養う、ということだと思っています。

メンタリストでも精神科医でもソーシャルワーカーでもなく、またひとつの生き方なわけですね。


今の世の中、いろんな名前の「カウンセラー」やら「○○心理士」やらが増えてきており、なかにはとんでもな人、インチキな人、熱意だけの人などなど…

聞くとモヤッとするような肩書きも増えてきました。まだまだ自分も自信がないんですかねー

「心理士は使えない」「カウンセラーは話聞くだけでなにもしてくれない」「心理とか役に立たない」という言葉もよく聞きますね、悲しいですね。そりゃ心理士だって傷つきますよ、普通に。


ただですね、それこそがバイアスなわけです。認識が偏っているということですね。むしろ、元々偏った目しか我々は持っていません。自分が自分であるゆえに。

先程も述べたように、「心理士」も心理を学んできたひとりの人間でしかないわけで、その人がどんなもんかはその個人に委ねられるわけですね。

「心理士」として働く上では、いつだってそういったバイアスなり先入観なりと付き合っていく必要があります。

ただ我々が学んできたことは「心理学」

バイアスや先入観が印象やその後に影響することをよーく知っているはずです。

自分たちの目がいかに偏った目なのか、自分たちの感覚がいかにこれまでの環境で自分本位の認識となっているのか、よくわかっているはずです。

そして、相手(目の前にしている対象)から出てきた反応そのすべてが、対象を表現する要素のひとつひとつであるということです。

「関与しながらの観察」というわけです。いつだって「心理士である自分」をアンテナにして「自分を含めた環境」と「他者」の相互作用を考えて、対象の思考や感情を理解しようと努めるわけですね。

でも、そういったことが必要以上に相手に伝わることは、その後の関係に影響を与える可能性があります。

「心理学」という言葉が流行りだし、一般的な言葉になっている今、多くの方にもそういった知識が蓄えられています。もしかしたら、知識という意味では僕より学んでいる方も多いかもしれません。

ですが、「心理士」として働いていく上では、それらのことをすべて踏まえ、「心理士」である自分ですら環境のひとつに落とし込みながら、対象と環境の相互作用のなかに生じている多くの情報を総合的に捉えていき、対象のなかに起きている「葛藤」「悩み」「苦しさ」などを考えていくわけです。

「あなたは○○で悩んでいますね」みたいなのは心理的支援でもなんでもなく、パフォーマンスでしかありません(「直面化」という技法としてではなく、相手に自分を認めさせるためにやるなら尚更)。

「目があっちに動いたからウソをついている」などもあながち間違いではありません。でも、そんなことよりウソをつく必要性やその行動原理を考える方が先ですし、見抜いたとしても伝えることの影響がどのようなものになるか考える方が先です。

そもそも自分は、他者の話を100パーセントで信じた上で、その後100パーセントで疑って考えます。それくらいの感覚で考えています。その方が仮説の可能性が広がります。

心理士が理解したことや考えていることについて、それが対象である相手にすべて伝わっている必要なんか、まったくありません。もしかしたら影で「なんもわかってない」「アホっぽい」とか言われても、です。

心理士として最終的に必要なことは「支援」なわけで、その方が自分にどう思おうが、どう使おうが、その方が生きていく上で少しでも楽になれるならそれが善なわけです。

あくまで、それらは心理学的な理論や知識を用いた中で必要なことをしていくことであり、「困りごとをすべて解決しちゃおう」みたいなスーパーマンになど、なってはいけません。

たまーにいるんですけどね、救世主になろうとする人。そういった行動のあり方も分析対象です。

上から目線な人、やたらなめてくる人、すごい下手に出る人、謙虚そうな人、丁寧な人、よく目につく人などなど、それらから表現される「すべて」の言動と「心理士」である自分との関係性から考えられることの可能性を仮説として、

それからのすべてのかかわりが、その仮説の検証になっていくわけです。

心理士でいる時は、自分は自分のものでありません。仕事における環境のひとつでしかありません。

そういうことぜーんぶひっくるめて、「心理士」なんだと思ってます。もはや、そういう生き方になるわけです。あくまで「仕事」として、ね。

目の前の誰かを助ける仕事ではないんです。最終的に、対象である方が納得して「自分らしく生きていくことを支えるための仕事のひとつ」でしかないです。感謝される仕事ではないかもですね。

自分が助けるんだ!といった考え…

多分そういった意識で長く活躍されている心理士の方もいると思いますが、僕はそれでは心理士でいられませんでした。僕が心理士でいるための、僕という人間のひとつの使い方が、今の僕の「心理」でした。

Vtuberとしては半人前で、パフォーマーとしてはまだまだな自分ですが、あくまで心理士は職業人としてプロ意識を持っています。プロとしての自分にとって大事にしている核ともいえる部分が、これまで書いてきた「心理士」としての「自分の使い方」なわけですが、

こういったことも含めて伝えていくことが、心理学への興味だったり、職業への理解だったりにつながっていくならば、手の内を広く伝えていくことも悪くないかな、と思ってまとめてみたわけです。

拙い文章で伝わりづらいかもしれません。けど、こういったことを続けていくことで、もしかしたらVtuberというパフォーマーとして、ひとつ成長できるのでは?ということで、ひとつお付き合いいただけたらと思います。

次回からは少しでも自分のこれまでに触れながら、今課題になっているさまざまな出来事についても心理士として考えていきたいと思います。

どうぞ今後ともよろしくお願いいたします!

私のYouTubeチャンネルでございます!!

https://youtube.com/channel/UCwvvdMAL_IQVkeJcmNACwGw

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