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運河から見えてくる歴史のルール

こっちに来てから4ヶ月間、ヨーロッパの色んな国を旅行して気づいたのが
ほとんどの行き先に運河がある!?
っていうこと。運河があると、クルーズとか運河沿いの街並みが観光地として有名になるから必然的に観光地になりがちなのかもしれないけど、そこまで運河のイメージがない場所でも思い返してみればこれまで行ったほとんどの都市で運河を見ていたことに気づきました。
せっかくなので、これまで訪れたヨーロッパの運河の時代背景や個人的おすすめをまとめてみました^^

これまで行った運河を比べてみたよ編スタート!

コペンハーゲン

見れば見るほど色んな水源が見つかるコペンハーゲン
ニューハウン("新しい港"の意味)はカラフルな建物でも知られる観光名所!

コペンハーゲンの港の歴史は、北欧の港と聞いて思い浮かべる人が多いであろうバイキングが活動した8世紀頃からスタートします。当時このエリアにあった漁村をバイキングから守るために城塞が作られ、それがコペンハーゲンの始まりになったのだそう。地理的に西ヨーロッパと北欧のちょうど間に位置するコペンハーゲンはその両者を結ぶ貿易港として栄え、それがために他の国との対立を深めて城塞都市として拡大していきました。

この地図を見ると色んな種類の水路があるように見えるけど、どれもそもそもの水源や作られた背景が全く違うのがコペンハーゲンの面白いところ。例えば写真を載せたニューハウンは、観光地としても有名な運河で、これは地理的に西ヨーロッパと北欧諸国のちょうど真ん中に位置していることからコペンハーゲンが港町として栄えた時代に、海から内陸側に物資を運ぶために人工的に掘られた運河。ちなみに海っていうのは、地図中央の一番太い川のように見えるところ!地図をズームアウトして見るまでてっきり川だと思い込んでいた(^^;)

そして左側に見える円弧状の場所は、The Laksと呼ばれる人工的に作られた湖。5つにあるように見えるけど実際には3つに分かれていてそれぞれ水車を動かすための水源、貯水池としての役割を持っていたのだけど、それが16世紀頃に他の王国からの攻撃が激しくなると、市内を守るための堀として補強されたのだそう。
私が行ったときは10月のちょうど気候がベストな時期だったこともあってか、とても眺めが良くて最高に気持ちよかった!ここで散歩したりビールを飲むのがコペンハーゲンの人たちの楽しみでもあるらしく、今は要塞というイメージとは全く違う雰囲気が楽しめる場所だなと思います。

The Lakesの畔からの眺め。柵がないのが開放的で良いよね!

そしてこちら側には足を運ぶことができなかったけど、地図1番東のギザギザの部分もやはり人工的に作られた要塞だそう。

地図をじっくり見るとまだまだ面白い形の水路がたくさんあるけど、その多くは海からやってくる敵から市街地や城を守るために作られたものがほとんど。
水源自体が観光地として有名なのがカラフルな建物がかわいいニューハウンだから運河のイメージが強いけど、こうやって見てみると港町は水運と同じかそれ以上に、いかに敵からの守りを固めるかに意識を強く向けることになるんだなと感じます。

(参考にしたのはこちら▼)
https://scandification.com/copenhagen-lakes-exploring-the-lakes-in-copenhagen/
https://www.jcca.or.jp/kaishi/246/246_toku4.pdf
https://scandification.com/copenhagen-lakes-exploring-the-lakes-in-copenhagen/
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Lakes,_Copenhagen

アムステルダム

地図で見ると芸術的に感じるほどに運河が張り巡らされたアムステルダム
雄大な川に感じられる美しいアムステルダムの運河

次はアムステルダム!
アムステルダムというと運河というより干拓地、というイメージがある人も多いはず。今のオランダの国土の一部は、ワッデン海という海に"締め切り大堤防"と呼ばれる巨大な堤防を作って海水を堰き止め、さらにそこを干上がらせて作られた干拓地。オランダといえば風車のモチーフがよく使われるけど、それも水を汲み出すためのポンプとして使われていました。
そして実はこのアムステルダムの運河も、最初は水運のためではなくこの干拓地の水を管理するために作られたんだって!この運河を水路にして水を汲み出したり、運河を作るときに出た土を盛土にして運河沿いの建物の海抜を高くしたりしていたんだそう。それが段々内陸を守るための堀として使われるようになったんだけど、さらに広い範囲にCity Wallと言われる要塞が作られてその役割も必要とされなくなってから、ようやく私たちのイメージが一番強い水運のために使われるようになったんだそうです。
そういうわけで運河沿いの土地は緩くて不安定だから、その上に建っている建物もガタガタ!あまりにも傾いているからダンシングハウス、とも呼ばれているそうです…(^^;)

写真だと分かりにくいけど本物で見ると本当に建物が踊っているみたいに見える!

ちなみに、このCity Wallは地図で見るとこんな感じ!

こんなに広い範囲だと、逆に近くにいっても気づかなそう??

壁みたいな感じかと思って、
こんなに広い範囲に壁があるってどういうことだろう??
と思ったら、連続的に要塞が設置されているってことなんだね。そして地図をズームアウトしたら本当に要塞があってびっくり(そりゃそうなんだけど)!

これ、言われずに自分で見つけて「何この点々!?」ってなってみたかったな〜
(どんな願望?())

(参考にしたのはこちら▼)
https://stellingvanamsterdam.nl/en/discover/defence-line-on-the-map
https://www.suiko.jp/rkk/pdf/6_6.pdf
https://www.kansai-u.ac.jp/ordist/ksdp/danchi/018.pdf
https://en.wikipedia.org/wiki/Walls_of_Amsterdam

ブルージュ

ブリュージュはベルギー北部にある都市。
この直線に伸びている運河で北海とつながるブルージュは、ハンザ同盟という中世のドイツを中心に栄えた北ヨーロッパの商業組合の重要な拠点となった港町(もう少し正確にいうと当時はベルギーはオランダの一部だった)。15世紀に災害で運河が埋まってしまって港町としての役目は終えることになるけれど、そのおかげで逆に当時の街並みがそのまま残っているのがブルージュの魅力。

もっと沿岸沿いの街かと思いきや、運河が結構ながーく伸びてるんだね
このままポストカードにして飾りたい…
運河沿いの建物が一層当時の雰囲気を感じさせる!

ベルギーっていうとブリュッセルくらいしか知らなかったんだけど、ブルージュに住んでる友達が案内してくれて行ってみたら荘厳な建物が立ち並ぶベルギーとはまた違う雰囲気が楽しめる場所だった!
運河沿いにたくさんお店が並んでるのにほとんどがチョコレートとワッフルのお店だったのがベルギーらしいなって思いました(笑)

ロンドン

ロンドンと言えば、テムズ川を思い浮かべる人も多いかも?でもた運河の存在はあんまり知られていないんじゃないかな。

テムズ川の印象に押されてるけど人工的に作られた運河もあるロンドン

私が行ったのはカナリー・ワーフっていうエリアの運河。でもこの運河が今回取り上げた他の運河と大きく違うのは、他の都市が運河沿いのエリアを歴史地区として保全しているのに対して、ロンドンでは大規模な再開発が行われて今は高層ビルが立ち並ぶエリアに様変わりしているところ。
ロンドンに行ったときに書いた記事でも触れたけど、もともとこの運河はテムズ川を上って運ばれてきた物資を内陸側に運送するために作られたもの。でも段々水運以外の輸送手段が主流になるにつれて運河の役割がなくなり、その結果運河沿いの港町が廃れてしまったから、そのエリアを再開発するために高層ビルが立てられました。

これが運河っていわれても…
さすがロンドン、東京を思い出させる大都市の景観

まさかこれが運河って思うような眺めだけど、それがまたロンドンらしさなのかな〜とも感じた!

リガ

よく見るとヴェクリガって書いてある部分は島になってる…!

リガはこれまで行った都市の中で一番あまり聞いたことがなかったんだけど、実は歴史的には様々な国と密接に関わってきた貿易の要所。
なんとリガの中央を流れるダウガバ川はロシアまでつながっていて、ブルージュと同じくハンザ同盟がドイツとロシアの間の貿易の中継地点として使っていた場所。そしてその港町ヴェクリガを取り囲んでいる水路は、元々は運河ではなく、リガを一時期支配していたスウェーデンが市内を守るための堀として作った場所だそう。明確に書かれていたわけじゃないから正しいか分からないけど、運河が作られた時期から察するに、ハンザ同盟が貿易をしていたときはこの運河はまだ存在していなくて、当時の水運はあくまでも北海とロシアを結ぶ川によって行われていた。そしてスウェーデンの支配時代に堀が作られ、スウェーデンがロシアに敗北してリガがロシアの支配時代に置かれてから要塞が取り壊され、そのタイミングで運河や緑地として使われるようになった。ってことなのかなと。

リガに行ったときの記事でも少し書いたけど、リガの街並みってとてもじゃないけど車が通るにはあまりにもくねくねしてて正直生活はめちゃくちゃしにくそうなんだよね。でもそれも、Georg Kuphaldtっていうドイツ人の園芸家があえてくねくねにしたっぽくて、それも運河が近くにあるっていう地理条件が関係していたらしい。ここら辺の話まで行くと運河とは少し離れすぎるから今回はあまり深入りしないけど、また別の記事で掘り下げてみたいところ!

運河沿いの中央市場でものすごくたくさんの種類の新鮮な肉や魚が売られていたのも、きっとこのダウガバ川と運河を伝って色んな場所から物資が運ばれてくるからなんだろうなって思いました。

中央市場が面してるところ、川だと思ってたら運河だった(^^;)

(参考にしたのはこちら▼)

http://www.lasproceedings.lv/en/publikacija/georg-kuphaldt-director-of-riga-city-parks-and-director-of-tzars-parks/https://hiddenwatersblog.wordpress.com/2016/07/05/pilsetas-kanals-riga/

まとめ

こうやって調べてみると、歴史で習うような有名な都市や今の首都になっているような大きな都市になったのは水利政策を成功させることが必要条件だったんじゃないかと思うほど、防衛、水運、土地利用、エネルギー…様々な用途で水が深く関わっていることを実感します。運河っていうから水運のイメージしかなかったけど、案外元々は街を守るための堀だったところが多くて、逆に言えばそれはその街がその時代に栄えていたということでもあってその街並みが今は観光地として残されていて…って、いうように、もちろん作られた時代や背景はそれぞれ違うけど、なんだかちょっとした規則があるんじゃないかな〜って気もしたり。
色んな都市を回ると、少しずつ歴史のルールみたいなものが見えてきたりするのも旅の醍醐味だな〜って思いました^^

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運河クルーズ乗りたいけど1人で乗るのは寂しいよなぁ…って結局あきらめちゃうのが一人旅の辛さ。

読んでくれてありがとう!Kiitos!



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