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誕生から学生時代、受験、就職、結婚、育児……女性の生き方について考えさせられる小説「82年生まれ、キム・ジヨン」

「82年生まれ、キム・ジヨン」という小説を読んだことはありますか?

韓国で大ベストセラーとなり社会現象まで巻き起こした話題の小説です。噂の通り、読後のその衝撃たるや。うまく言葉に出来る気がしませんが、読後感ホヤホヤのうちに、思ったことを綴ってみようと思います。

まず、どんな小説なのか。「82年生まれ、キム・ジヨン」はフェミニズム小説であり、韓国社会における、過去から現在につながる女性差別の実態を告発したものです。

ネットの紹介を抜粋すると以下の通り。きっとこれを読むだけでも、小説に興味が湧くのではないでしょうか?

ひとつの小説が韓国を揺るがす事態に
K-POPアイドルユニットのRed Velvet・アイリーンが「読んだ」と発言しただけで大炎上し、少女時代・スヨンは「読んだ後、何でもないと思っていたことが思い浮かんだ。女性という理由で受けてきた不平等なことが思い出され、急襲を受けた気分だった」(『90年生まれチェ・スヨン』 より)と言及。さらに国会議員が文在寅大統領の就任記念に「女性が平等な夢を見ることができる世界を作ってほしい」とプレゼント。25か国・地域で翻訳決定。本書はもはや一つの<事件>だ。

ある日突然、自分の母親や友人の人格が憑依したかの様子のキム・ジヨン。
誕生から学生時代、受験、就職、結婚、育児……キム・ジヨン(韓国における82年生まれに最も多い名前)の人生を克明に振り返る中で、女性の人生に立ちはだかるものが浮かびあがる・・・

韓国社会の話ですが、キム・ジヨンのエピソードや語る言葉は、日本社会の私達でも「あ、これ私のことだ。」と感じる部分があるはずです。

例えば、キム・ジヨンは仕事と子育ての両立がかなわず、泣く泣く仕事を辞めます。ベビーカーで子供が寝たので、コーヒーを片手に公園のベンチに座っていると、近くに座っていたサラリーマン男性が仲間に向かって、こう言っているのを聞いてしまいます。

俺も旦那の稼ぎでコーヒー飲んでぶらぶらしたいよなあ…ママ虫もいいご身分だよな…韓国の女なんかと結婚するもんじゃないぜ

そのことについて、キム・ジヨンが家で夫にぶちまけます。

「あのコーヒー、1500ウォンだよ。(中略)私は1500ウォンのコーヒー一杯も飲む資格が無いの?(中略)私の夫が稼いだお金で私が何を買おうと、そんなのうちの問題でしょ。私があなたのお金を盗んだわけでもないのに。死ぬほど痛い思いをして赤ちゃん産んで、私の生活も、仕事も、夢も捨てて、自分の人生や私自身のことはほったらかして子供を育ててるのに、虫だって。害虫なんだって。私どうすればいい?」

そして、キム・ジヨンは病んでいくのです。

キム・ジヨンが傷つく他者の発言や行動は、時に発している本人にとってはちょっとしたこと。悪気はなかったり、無意識だったり、深く考えていなかったり、些細なことなのです。

でも、そういう発言や行動が、社会の中、日常生活の中に本当に沢山存在していて、それらが学生時代、就職、結婚、育児と色々なフェーズを経験する中で、積もり積もって山となっていきます。

1.事なかれ主義だった私

これを読んでハッとしたのは、キム・ジヨンが傷つく他人の発言や行動は、私も目撃したり体験したような事が混じっていますが、私の場合は特に深く考えず、流していたことも多いかも、ということでした。

ちょっとイラっとしたり、モヤっとしたり、ということはあっても、「まぁ、そんなものよね。」と流して、結局忘れていく。

「社会で当たり前」になっていることを、「自分の当たり前」にする技を身に付けていました。

どうして、そうなったんだろう?

おそらく、一番大きな理由は、私が一番信頼する母親が「父親を立てるタイプ」だったので、それが正しいと自然と思っていたというのがあります。

でも、もう一つの理由は、誰かの発言や行動についておかしいと思っても、そこについて深く考えて、それを問題行動だと再認識してしまうと、なんだかパンドラの箱を開けてしまうようで怖く、避けていたというのもあると思います。いわゆる「事なかれ主義」です。波風を立てるのが嫌。

でも、そういう「事なかれ主義」の私も、発言や行動をしている人を黙認しているという意味では、そちら側に加勢している状況だったのかもしれない、と思いました。

波風を立てないという意味では一時的に平和だけれど、それでは社会は良い方向には向かわないし、子供の世代が大人になるころにはもっと良い社会になっていて欲しい。それならば、やっぱりおかしい事にはおかしい、と声をあげたり、新しいことを前例として残していく、ということをしていきたいと思いました。

2.「女性差別」と「配慮」と「優しさ」

一方で、もう一つ思ったこと。それは「女性差別」と「配慮」や「優しさ」の違いってわかりにくい時があるな、ということ。

キム・ジヨンやその母親が経験したものの中には、明確に「女性差別」であり、撲滅すべきような事象が多く含まれます。小説を通じて、それらが脚光を浴びて、社会をより良くしていこうという動きが出たら、それは本当に嬉しいものだと思います。

でも、自分の状況に置き換えたときに、私の周りにある男女間の差や葛藤は非常に些細なものも多く、もはやそれは差別なのか、配慮なのか、優しさなのか、そこの線引きがわからなくなる時もあるな、と感じました。人によって受け取り方も異なりますし。

この本のことを「男女間の葛藤を強調する」として排斥しようとする一部の人もいると聞きます。

確かに私の場合、この小説を読まなければ、特に気にも留めなかったような状況も、読んだことで「確かに、言われてみればおかしいかも。」と思い始めた部分があります。

小説を読んで過敏になった自分を感じつつ、自分の身の回りにある様々な「男女差」を思い出すとき、なんでもかんでも「女性差別」として批判するわけにもいかない、時に「配慮」や「優しさ」によって「男女差」が設けられている時もある、だからこの問題はややこしいんだろうな、と感じます。

事なかれ主義はやめて、対話すべきところは対話していきたい、でも「男女差」をなんでもかんでも「差別」として問題視していく自分にもなりたくない。それがこの本を読んで今感じている気持ちです。

ややもすると、「で、どっちなの?」と矛盾しそうな両局面をもっていて、まだモヤっとしていますが、これ以上は整理がつかなそう(今は頭が回らない・・・)なので、このあたりで一旦締めたいと思います。

読んでいただいて、ありがとうございました。




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