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第12回:「喜び」が役割を創り出す

今回は「喜び」が役割を生むということを書いていきます。「喜び」を追求して生きていると、それが自分の仕事になるので、その仕事が自分の役割になるといえるでしょう。つまり、「喜び」で生き始めると、「喜び」=「仕事」=「役割」という構図が生まれるようになります。そして「喜び」を「役割」にすることができると人生が楽になります。なぜかというと、生きることに迷いがなくなるからです。

とはいえ、「喜び」を自分に仕事にしていくにしても、その「喜び」をどう表現していくかは、やはりその人その人が生まれ持った特徴や特性があるので、そういったことも理解していく必要があるといっていいでしょう。

「喜び」をどのように表現するかで役割が決まってくる

仕事とは、求める人がいてそれに答えるのが基本の形です。例えば、ラーメンを食べたいという人がいるからラーメン屋さんが存在します。また、数多あるラーメン屋さんの中で、美味しいラーメンを出しているお店を知りたいと人がいるので、そういった情報を提供する人や食に特化した媒体が存在したりします。他にもラーメンのスープに合うような麵を作る人もいれば、人気のラーメン店をフランチャイズする人、お店の味を乾麺として加工して販売する人もいます。

こういうふうに、ラーメンひとつをとってみても、いろいろな役割があります。そういった意味では、ラーメンが好きであることにプラスして自分の得意なこと、やっていて楽しいと感じることを理解できると比較的簡単に自分の役割を見つけられるようになるでしょう。

「特徴」とは「喜び」であり、その「喜び」が役割になる

「特徴」は「他と比べて特に目立つ」ことです。では、どうすれば人は自分の特徴を理解し、それを活かしていけるようになるのかというと、自分の「喜び」を理解することだと思います。「喜び」を感じて、それを「継続」して出来ること、それを特徴ととらえるとわかりやすいかと思います。

人は「喜び」を感じられるものでないと継続して行うことはできません。仮に何かを上手に行えることができたとしても、続けていくことができなければ、それが「特徴」になることはないでしょう。したがって、何かしらの「特徴」を持ってそれを仕事にしようとするならば、「喜び」と「継続」の二つの要素が欠かせません。

人と比べて簡単に何かを上手にできてしまうようなことも特徴ではありますが、それを継続しないと仕事にならないので「役割」にはなりません。当然のことですが「仕事」は継続して行うものです。こういった点を考慮すると、最初はあまり上手にできないことでも、続けていると上手になっていくものなので得手不得手よりもむしろ、それをしていて「楽しい」かどうか、「喜び」を感じるかどうかの方が重要だといえます。

こういったことから、自分の「喜び」を仕事にしようとするなら、自分が何に「喜び」を感じるかをいくつか見つけた方が、より具体的に何をすべきかが分かるようになるでしょう。例えば、ラーメンか好きということ以外に、文章を書くのが好きならばラーメンについてのライターになってもいいし、経営に興味があればラーメン店を全国展開させる仕事をするのも自分を活かす方法です。加工の知識を持っているなら商品開発も楽しそうです。

「役割」には、自分が出来ることで貢献するという意味も含まれているので、やはり自分の特徴を活かして得意なことで世の中に貢献できるようにななるのがベストといっていいでしょう。

また、自分の特徴を活かして、世の中に貢献していると自己肯定感が上がっていき、自分の存在価値を見出すことができるようになっていくので、自分が得意なことを「役割」にして、世の中に貢献していくことはとてもいいことです。こういった「喜び」で「役割」を果たしていく人がどんどん増えていけば、当然、社会もよくなっていくはずです。

「喜び」で新しい文化を生み出していく

自分の「喜び」を見つけ、それを「役割」としていく方法として、既存のものの中から見出していく方法もありますが、自分の「喜び」を新しい役割として創っていくことも可能です。

例えば、これまでになかったような商品を発明し、それが周りの人から歓迎されるようになったなら、そこに自分なりの新しい「役割」を生み出すことができるようになります。

もちろん、これまでにはない商品を広めていくことは認知度がない分、大変だったりしますが、もし周囲から認知されるようになり、それを仕事として成り立つようにしていくことができれば、新しい「役割」を創ることになります。

さらに、新しい商品を生み出すことができると、新しい文化を作って行くことも可能です。例えば、ラーメンなんかも中華風の麺をアレンジすることで生まれた新しい文化といえるでしょう。

新しい商品が生み出される背景には、当然、作り手の「情熱」があり「喜び」があるはずです。「情熱」は、「喜び」を集約させたエネルギーであるので、そういった「集約されたエネルギーとなった喜び」があると新しい何かを生み出すことができるようになるし、それによって周りの人に喜んでもらえるようになれば、さらに「情熱」が湧いてくることでしょう。

「情熱」には必ず「喜び」があります。また「喜び」が「情熱」の源泉となっているので、「情熱」と「喜び」は切っても切れない関係だったりします。

自分で「役割」を生み出していく時代

「喜び」の感情は誰もが持っているものですが、人によって「喜び」と感じるものが異なります。実はこの違いこそが新しい役割を生み出す力となります。なぜなら新しい発想は、独自のものなので、他者との違いが鍵となるからです。そういった意味でも、自分が「喜び」と感じることが何なのかを明確にしていけばしていくほど、誰でも「新しい何か」を生み出していけるようになっていきます。

近代スポーツには分析官と呼ばれる人が存在しますが、例えばサッカーをしたことがない人でも、サッカーが好きで分析が得意な人であれば分析官になることができます。分析官は現代のテクノロジーが可能にした職業ということがいえるので、分析に限らず何かに新しいテクノロジーを使っていくことができたなら、これまで誰もしなかったような新しい職業を生み出すことができるかもしれません。

先日、ゲルハルト・リヒター展に行きましたが、彼の描いたピントがぼけた古い写真のような絵は、まさにリヒターならではの発明のように感じました。リヒターは絵に限らず、様々なアートを生み出していました。そういった数々の作品から、どんなことでも「喜び」と「情熱」を注いでいくことができれば、「新しい何か」を生み出せるようになるということを理解することができました。

新しい何かは、意図して生み出す場合もあれば、偶然によって生まれることもあるでしょう。新しい何かが生まれる過程は様々ですが、情熱を持って何かを追求していると、必ずそこに「新しい何か」が生まれてしまうものなのです。

「発明」は「情熱」によって生み出されるものなので、どんなことでもいいので「情熱」を持って「喜び」を追求していると、新しい物事を生み出せるようになると思います。たとえば、私たちの、身の回りにある物のほとんどが、近年、発明されたものだったりします。おそらく身の回りにある物のほとんどが数百年前には存在いていなかったものといっていいでしょう。

私たちは常に発明を繰り返して文明を築いていて、今この瞬間も世界のどこかで新しい発明が生まれているはずです。発明はちょっとしたアイデアで生まれたりするものなので、「喜び」と「情熱」さえあれば、必ず「新しい何か」を生み出すことができるようになるでしょう。

お笑い芸人のヒロシさんは、オリジナルのキャンプ商品を作り出していますが、彼のように自分の楽しみの中から、新しい商品を生み出すことも十分に可能です。

「喜び」と「情熱」で人生が楽しくなる

自分の役割が何なのかが理解できると人生が楽しくなっていきます。その一方で、何をしたらいいか分からずにモヤモヤしていると、宙ぶらりんな気持ちになってしまいます。

人は何かしらの役割を求める生き物なのです。もちろん単に役割があればいいというのではなく、そこに自分を輝かせるような「喜び」が欠かせません。もちろん、その「喜び」は人それぞれに違っていいし、生まれ持った特性が違うからこそ「喜び」の対象が異なるのも当然のことです。

野球でいえばホームランを打つことだけでなく、バントに「喜び」を感じる人もいるし、裏方として球場の芝を管理することに「喜び」を感じる人もいるでしょう。

他者から求められることであれば、必ず仕事に繋がって行くものであるため、それがどんなことであったとしても「喜び」と「情熱」を感じることができたなら、それを自分の「役割」として、人生を楽しんでいけるようになっていくことでしょう。

これからは自分の「喜び」に「情熱」を注いでいく生き方が主流になっていくように思います。世の中の認識がそういう風になっていくと、社会そのものが「喜び」と「情熱」に溢れていくようになっていくでしょう。

といったわけで、今後も、私の「役割」として「喜び」についての記事を「情熱」で書いていきたいと思います。次回は「喜び」と「平和」について書いていきます。


*こちらがリヒターの画集です。写真のような絵が印象的です。


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