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32.長く付き合えることと出会うと「幸せ」になれる

昨日は、1000円でベロベロになるといわれる「せんべろ」の飲み屋街で友人と飲んだ。

友人とは前に勤めていた会社で出会い、もう6年くらいの付き合いになる。

今でも月に一度くらいで飲みに行く。

友人は画家でもあるから、飲み席での話題は絵のことになることが多い。

昨日は、山田五郎の絵のユーチューブの話で盛り上がる。

青木繁、藤田嗣治、フェルメールから画壇の話になり、それがお芸人の世界に派生し、最近のオリラジの中田敦彦の話に変わっていき組織論に。

画家も芸人も最初は一人の純粋な表現者でしかないけれど、やがて組織との関りの比重が大きくなる。

そんなことを話す。

シンプルに純粋さを保つことは難しい。

様々な理屈が表現の邪魔をする。

無我夢中でチャレンジする純粋さを忘れてはいけない。

そんな中、飲んでいるお店で主に接客してくれた店員さんの印象がよかった。

人のよさが滲み出ている感じがしてリラックス感を与えてくれた。

唇にピアスをしていて金髪の女性だったけど、その人が持つ本性みたいなものは自然と滲み出るものだ。

友人もそうだけど、人が持つ滲み出る心地よさ感じることができると、長く付き合うことができる。

ピカソの絵は凄いけど部屋に飾ろうとは思わない。

フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」なら飾ってもいいと思う。

「真珠の耳飾りの少女」なら長く付き合える。

藤田嗣治なら「目覚まし時計」の絵だろう。

今、部屋の中に唯一飾っている絵がこの一枚。

もう10年くらい置いてあるから色あせている。

「禅」にまつわる企画展があって、その帰りに買った一枚。

最初は、きらびやかな洋画の油絵のポストカードを入れていたが、これを買って以降、変えることがない。

この絵の禅師の余裕綽々(しゃくしゃく)なところが気に入った。

買った当時は、全く余裕がなかった。

といったわけで、今日の本題。

人は長く付き合えるものと出会うと「幸せ」を感じられるようになるものだ。

しかも長く付き合えるもの感覚で分かるもの。

滲み出る何かが自分と合っていると感じられると、いい関係を結べるものだし長い付き合いになる。

「幸せ」には、心地よさの持続が必要だ。

note以前、別なブログサイトで記事を書いていたことがあったけど、広告が多すぎて記事を読むときも、書くときでさえ妙に落ち着かなかった。

noteは広告がないから落ち着いて記事の読み書きができる。

広告の有無だけど、そういった差が「持続的な幸せ」に繋がっていく。

自分の部屋に広告を貼らないのと一緒で、たとえブログサイトであっても、自分のページに意味のない広告は貼りたいとは思わない。

いずれにせよ、身の回りに「持続的な幸せ」を感じられるものを置いておくと、そこにいるだけで「幸せ」になれるだろう。

こんまりさんの本に、ボロボロでも自分が愛しているものは捨てないし、新品であったとしても愛着のないものは手放す、といったことを書いてあったと思う。

「私」を「幸せ」にするものは大切に取っておく。

身の回りに愛着を感じるものを置いておくだけで、幸せな環境作りができる。

行為での幸せ作りは、自分がしていて楽しめること苦にならないことが「持続的な幸せ」を可能にする。

人は「苦」を感じることは進んでやりたいとは思わないものだから、苦るしさを感じずに楽しめることを見つけることができると「持続的な幸せ」の中で生きていける。

食事や睡眠といった生理現象と同じくらいに、楽しめることを見つけるられると一生を楽しめるようになるだろう。

「頑張る」とは「辛いし苦しいけどそれでもやる」という意味合いがあると思うけど、頑張らなくても自然と出来ることを日々行うことができれば「幸せ」に生活できるようになるだろう。

「幸せ」は「持続」だ。

瞬間的な幸福もあるけれど「持続的な幸せ」が優位になる。

「幸せ」の意味を考えるときには「持続」の要素を加えた方がいいだろう。

そもそも生きることが「持続」だから、「幸せ」は持続的に楽しめること、心地よく感じることが重要になる。

昨晩、友人と飲むんで、その経緯を振り返って、今回、この記事が書けた。

たまに人と合って会話するのもいいものだ。

自分にはない視点で、世界を見ることができる。

お陰で、自然体で長く付き合えることと出会えると人は幸せになれる、という記事を書くことができた。

自分の中の自然をたくさん見つけることができると「幸せ」になれるだろう。




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