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47.どんなときでも笑える強さ

昨日の記事の中で、「不安」=「弱気」、「幸せ」=「強気」ということを書いた。

「幸せ」と「強気」をイコールで結んだのは、「幸せ」になるためには、「強度」が必要だからだ。

「幸せ」とは、「どんなことがあっても私は幸せである」という意味であり、そうなるためには「ぶれない強さ」が必要となってくる。

例えば、幸せを感じられるような出来事があったから幸せだと思ったり、不幸と思えるような出来事があったから不幸だと思っていたりするのは、出来事に対してリアクションで生きることになるから、「自分の外側の出来事」が主体になってしまう。

しかし、「どんなことがあっても自分は幸せである」という認識を持てるようになると、幸せの主体を自分に置けるようになる。

外側の現象に反応してリアクションで生きていると、感情の起伏が大きくなってしまうし、感情の起伏が大きくなるということは、自分が放っている波動を一定に保つことが難しいという状態を作ることになる。

波動が上下動するということは、目の前に現れてくる現象がばらつくということであり、現象に振り回されてしまうことになる。

しかし、自分に主体を置いて「どんなときでも私は幸せである」と思えるようになると、自らが放つ波動を一定に保つことができるから、自分が生み出す現象を安定化させることができる。

そして、自らが放つ波動を一定に保つためには、一意専心、つまり、「他に心を動かされず、ひたすら一つのことに心を集中する」必要がある。

この一意専心、「他に心を動かされず、ひたすら一つのことに心を集中する」ことを実践するには「強さ」が必要になるといっていい。

人は常に目の前の情報を取り入れて生きているため、過去に得た情報をどんどん忘れていってしまうものである。

もちろん、過去のことを忘れるということは、自分を保つためには必要な能力でもある。

しかし、強い気持ちで決意したことが、時間の経過とともに薄れていってしまっては元も子もないため、その思いの強さを持続するには「パワー」が必要になってくる。

「パワー」とはエネルギーであり、強いエネルギーを持っていないと「思いを持続する」ことができなかったりする。

このため、何かを決意するときには「強い思い」が必要になるといっていいだろう。

「幸せ」とは、「幸せの状態」を持続させることでもある。

そこで「幸せの状態を持続する」には、持続させるという強い思いが必要になってくる。

「幸せ」とは、個人の価値観であり、主体的な幸せの価値観を持てるようになるためには、新たな捉え方・考え方を見つけ習慣化させ固定化させなければならない。

この価値観の固定化を図るには「思いを維持する強さ」が必要になる。

習慣とは、繰り返しによって身に付けるものだから、古い習慣を刷新するのには、当然、何度も同じことを繰り返していかなければならない。

同じことを反復するには、強い思いが欠かせないものであり、強い思いで反復をしていく中で、思わぬ「氣づき」が生まれるもので、この「氣づき」が「幸せの強度」を生み出すといってもいい。

例えば、「どんなときでも私は幸せである」という習慣作りをしていると、ふと「どんな出来事があったとしても、結局、それは幸せに繋がっているんだ」といった氣づきを得られたりする。

あるいは、「幸せとは、善し悪しで判断するのではなく、善し悪しの二つが一つになって幸せなんだ」と思えるようになったりすると、それまでの考え方を改める力となる。

さらに、「幸せとは、いろんな経験をすることなんだ」と思えるようになると、「どんなときでも私は幸せである」という意識にたどりつけるようになっていく。

つまり、強い気持ちを持って反復をしていれば、必ずそこに「氣づき」が生まれるものであり、その「氣づき」によって目的が達成できるようになるといっていいだろう。

こういった反復の中から生まれる「氣づき」を、いくつも得ることができるようになると、古い習慣を新しい習慣に書き換えることができるようになっていく。

人は、主体的に幸せを導き出せるようになると、自然とどんなときでも笑って過ごせるようになるものである。

なぜかというと「幸せ」には、どんな状況であっても笑える強さがあるからだ。

「幸せ」には、根拠という強さが必要である。

幸せの根拠とは、幸せは自分が生み出していると自覚することであり、自分には幸せを生みだすことができるという強さを知ることでもある。

「幸せ」は「強気」で作り、「強さ」を持てるようになることで達成できるのである。

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