第66回:「喜び」は身体の感覚
先日、「奇跡の脳」から「快い生き方」を学ぶ、という記事を書いた中で、こちらの一文を紹介しました。
これは「奇跡の脳」という本に書かれているものであり、脳外科医であるジルボルト・テイラーさんが、自身に起きた脳卒中から回復していく過程で得た気づきです。
彼女は「喜び」や「平和」の感覚は身体の感覚だといっていますが、今回は、このことを私なりに考えてみることにしました。
五感である視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚は、身体の感覚であり、この五感が充たされると人は「喜び」を感じるし「平和」な気分になったりします。
このことは、「喜び」や「平和」が身体の感覚であるということを意味しているといっていいでしょう。
したがって、私たちが「喜び」や「平和」を感じられるようになるためには、まずは身体に「喜び」や「平和」の感覚を与えることが必要だったりします。
身体の声を聞かないと欲求は充たせない
心理学者のマズローは、人には5つの欲求があるという5段階欲求説を唱えています。
この5段階欲求説の5つの欲求とは、「生理的欲求」「安全欲求」「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現の欲求」になりますが、この中で五感を充たすということは「生理的欲求」や「安全欲求」に近い感覚といっていいでしょう。
この「生理的欲求」や「安全欲求」は生活環境を充たすということであり五感と直結しているため、「喜び」や「平和」という感覚が身体の中の感覚であるということがわかりやすかったりします。
しかし、「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現の欲求」と身体の「喜び」や「平和」の感覚の直接的な繋がりを見つけ出すのは少し難しかったりします。
とはいえ、「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現の欲求」の中にも、身体から生み出される「喜び」や「平和」の感覚がしっかりと潜んでいるのです。
まず「社会的欲求」から説明していくと、「社会的欲求」とは「帰属欲求」のことですが、たとえば会社で働くにも、身体が健康である必要があります。また会社に属さないまでも、友人と何かをしたりするにしても健康でないと一緒に行動できなかったりします。
また身体の健康だけでなく、精神的な安定も社会に身を置く場合に必要とされることです。精神的な安定は、当然、調和の取れた身体の「喜び」や「平和」から生まれてくるものであり、身体が「喜び」や「平和」を感じていないと精神的な安定を維持することが難しくなってしまいます。
つまり、社会の中で生活していくためにも、まずは身体的の「喜び」と「平和」の感覚を充たしていく必要があるのです。
「承認欲求」も「自己実現欲求」も同様です。「他者から自分を価値ある存在として認めてもらう」にしても、まずは心と身体の健康が必要であるし、「何かを達成する」ためにも、当然、心と身体が健康が必要です。
したがって、身体の「喜び」と「平和」という感覚を充たしていないと、「承認欲求」も「自己実現欲求」も充たすことはできないといっていいでしょう。
このように人間が生きていく上での基本条件として、どんなときでも身体の「喜び」と「平和」の感覚を充たしてあげることが必須であり、この身体の「喜び」と「平和」の感覚をないがしろにしてしまうと、すべての欲求を充たしていくことができなくなってしまうものです。
以前読んだ村上龍さんの本の中に、「睡眠不足は人を凶暴にする」というような文章があって、それが今でも印象に残っていますが、睡眠不足は、身体にとっての「喜び」や「平和」の感覚が欠けている状態です。
こういった身体にとっての「喜び」や「平和」の感覚が欠けている状態は、他者との関わりを上手くいかなくするだけでなく、普段のタスクを充分に果たせなくしてしまいます。
野球の大谷選手の生活は、野球をするか食べるか寝るかの3つしかないというような笑い話があったりしますが、彼はとにかくよく寝るそうなのです。
彼が睡眠を多くと取っているのは、身体に「喜び」や「平和」の感覚を与えるためであり、そういった効果が、素晴らしいパフォーマンスに繋がっていると考えられます。
二刀流でプレーすることは、野球選手にとって尋常ではない負荷が掛かるそうですが、そういった負荷を充分な睡眠を取ることで軽減していて、睡眠を通じて体に「喜び」と「平和」の感覚を与えているといっていいでしょう。
大谷選手は、私から見るとマズローが唱える5つの欲求のすべてを充たせていると思ったりしますが、大谷選手のように人が持つ欲求のすべてを充たせるようになるためには、身体の「喜び」や「平和」の感覚を充たすことが基本中の基本であるといえるのです。
そういった意味でも、仕事や勉強、遊びの中で、いいパフォーマンスをしようと思うなら、常に身体の声を聞いて「喜び」や「平和」の感覚を充たしてあげることが欠かせないといえます。
身体の感情と心の感情は一致している
人が「喜び」や「平和」の気持ちを表現する場合、自然と身体も一緒に動いてしまうものです。
たとえば、何かを達成し「ヤッター」という気持ちになると、自然とバンザイをしたり、ガッツポーズをとっていたりします。また「平和」な気持ちになったときや「平和」を祈るときは、自然と手を合わせていたりします。
さらに、ひとめぼれで恋をしたりときは胸がキュンとしたり、過度の緊張から解き放たれて安心してほっとしたりすると、身体の力が一気に抜けていきます。
こういったことは、心が「喜び」や「平和」を感じると、身体も一緒になって「喜び」や「平和」の感覚を味わっている証拠だったりします。
またリラックスするということは、先に身体の緊張を解くことで、後から心の緊張も解いていくということでもあるため、身体の「喜び」や「平和」の感覚を意図して感じることができると、心も「喜び」や「平和」を感じられるようになったりするものです。
身体の「喜び」と「平和」で人生が成り立つ
こういったことから、私たちがよりよい人生を歩んでいくために、まずしなければならないことが、身体の「喜び」や「平和」の感覚を充たしていくことであり、このことが生きていくための基本となるといっていいでしょう。
逆にいうと、普段から身体の「喜び」や「平和」の感覚を充たしてあげることができていると、どんなときでもよりよいパフォーマンスを発揮できるようになるため、結果的にすべてが上手くいってしまうと考えることもできます。
そういった意味でも、普段から意図して身体が持っている「喜び」や「平和」の感覚を充たしていると、人生そのものが円滑に流れていくようになるといっていいでしょう。
こちらは、冒頭で触れた「奇跡の脳」から学ぶ「快い生き方」の記事です。
こちらは「奇跡の脳」(新潮社)です。
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